コラム

「カロリーベース」という幻想を捨てれば日本の農業はハイテク産業になる

2011年11月17日(木)19時03分

 TPP(環太平洋パートナーシップ)に対して農林水産省や農業団体は「関税が撤廃されたら日本の農業は壊滅する」という。土地の狭い日本の農業は高コストで、海外の安い農産物が入ってきたらひとたまりもないというのが彼らの主張だ。しかし世界第1位の農産物輸出国はアメリカだが、第2位はどこか、ご存じだろうか。

 オランダである。面積は4万平方キロと日本の1割強。農地面積は世界の0.02%しかないのに、農産物の輸出額は世界の1割近い。農家一人あたりの年間輸出額は14万6000ドル(約1100万円)と、世界トップだ。その主力はよく知られている花や観葉植物だが、トマト、ズッキーニ、パプリカなどの野菜も多い。しかもその輸出額は毎年のびている。高級農産物は成長産業なのだ。

 他方、日本の農水省は「カロリーベース」の食料自給率を高めることを政策目標にしている。日本で消費される農産物のうち、国内生産の比率は金額ベースでは69%だが、カロリーベースでは39%になる。これは家畜の食う餌の自給率を農産物の自給率にかけるためで、たとえば卵の自給率は金額ベースでは96%だが、鶏の飼料の9割以上は輸入なので、カロリーベースの自給率は9%になる。

 では、オランダの食料自給率はどうなっているだろうか。こういう比較は無意味なのでWTO(世界貿易機関)などは認めていないが、農水省のデータによると、オランダの自給率(カロリーベース)は75%と日本よりはるかに高い。しかし穀物自給率は16%しかなく、日本(28%)より低い。これは農地を効率的に利用して、土地あたりの収量の少ない穀物をあまり生産していないからだ。

 農水省がカロリーを偏重するのは、戦争のころの飢餓の記憶が残っているのかも知れないが、そのときも輸入が100%止まることはなかった。そんなことは日本が核戦争に巻き込まれないかぎり起こりえないので、問題はカロリーではなく付加価値である。日本のように土地の狭い国で、米や麦のような面積あたりの付加価値の低い穀物に補助金を出しているために農業の効率が悪く、産業として自立できないのだ。

 私の子供のころ、「資源のない日本は工業製品のコストが高いのでハンディキャップが大きい」といわれた。たしかに石油も鉄鉱石もほぼ100%輸入品だが、日本の工業製品は世界に比類ない競争力をもっている。それは付加価値の高い自動車や電機などに特化したからだ。たとえば半導体のコストのうち、原材料であるシリコンのコストはkgあたり2ドル程度。半導体の価格の1万分の1以下である。

 もし日本の製造業が「重量ベースの自給率」を高めたら、半導体や携帯電話の生産が止まってコンクリートブロックや石材の生産が増えるだろう。それが社会主義国で起こったことだ。旧ソ連では生産を重量ベースで計画したため、工業製品は重量の大きいごっついものばかり生産された。日本の農業も補助金漬けの計画経済でやってきた結果、カロリーという無意味な指標で日本に向かない穀物の生産に土地を浪費しているのだ。

 実は日本は、農業GDP(国内総生産)でみると世界第5位である。先進国ではアメリカに次ぎ、ロシアやオーストラリアの3倍以上の生産高を誇る(浅川芳裕『日本は世界第5位の農業大国』)。作物の種類でみると、ネギとホウレンソの生産額が世界第2位、イチゴが第6位、卵が第4位など、野菜や畜産物の生産性が高い。その大きな原因は、日本の農業技術の高さである。狭い国土で集約農業をやってきた日本は、世界有数のハイテク農業国なのだ。

 シリコンの価格がハイテク産業の制約にはならないのと同様、土地の狭さはハイテク農業の制約にはならない。むしろこうした高度な農業技術は新興国に技術輸出されており、製造業のように現地生産することもできる。これから食料需要の激増するアジアでは、農業は成長産業である。日本の農業がカロリーベースなどという計画経済の指標を捨て、付加価値の高い(比較優位のある)野菜や果実や卵などに特化すれば、オランダのように農業輸出大国になることも不可能ではない。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

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