コラム

窓ガラスを割って豊かになることはできない

2011年04月14日(木)19時36分

 東日本大震災が日本経済に及ぼす影響の全貌はまだわからないが、一つはっきりしていることがある。東北地方で20兆円を越す資産と生産能力が失われ、首都圏では電力不足が向こう数年は続くといわれるなど、深刻な供給不足が起きていることだ。

 短期的には、復興需要でGDP(国内総生産)は上がるので、経済成長率はややマイナスになる程度にとどまるだろうという予想が多い。政界には、日銀が国債を大量に引き受けて景気を浮揚させろという意見もある。阪神大震災のあと成長率が上がったことを引き合いに出して「日本株は買いだ」とあおる向きもある。しかし、この話はおかしくないだろうか。もし国土を破壊すればするほど成長率が上がるなら、景気をよくするために政府はもっと国土を破壊したほうがいいということになる。

 もちろん、これは間違いである。それをたくみに表現したのが、ラリー・サマーズ(元米財務長官)のCNBCでのコメントだ。彼は「日本が貧しくなる」といったと伝えられるが、それは正確ではない。これはフレデリック・バスティアという経済学者の「割れ窓の誤謬」として知られる話である。


子供が商店のショーウィンドウに煉瓦を投げて、割ってしまった。店主が怒っていると、一人の賢者が現れて「この子は正しいことをしたのだ」という。窓が割れたことによって、それを修理するガラス職人は修理代を得る。その職人がレストランへ行って修理代で食事をすると、レストランがもうかる・・・というように社会全体が利益を得るというのだ。


 この賢者の話が成り立つためには、一つの前提が必要だ。それは供給能力が余っているということである。商店主は窓ガラスの修理代を払わなければならないが、この店がもうかっていれば、そのぶん出費が増えるだろう。しかし店の経営が苦しいと、彼は修理代を払うために家具を買うのをやめるかもしれない。そうするとレストランがもうかったぶん家具屋が損するので、経済全体としては壊れた窓ガラスが正味の損失になる。

 かつてのように日本経済の成長率が高く、供給力が余っていた時代には、需要が増えた分はそのままGDPの増加になったのだが、電力などの供給能力に制約があると、壊れた国土を復旧するための資源は、ほんらい他の用途に回されるはずだった資源をクラウディングアウト(締め出し)してしまうのだ。

 需要が供給能力を超えてプラスの需給ギャップが発生すると、インフレが起こるおそれがある。すでに原油相場は上がり始め、ガソリンは2008年以来の高値になっている。一時は1ドル=76円台まで上昇した為替も83円台まで下がり、原油などの輸入物価を押し上げる。70年代の石油危機で起こったスタグフレーションの再来を恐れるエコノミストもいる。

 もう一つの問題は、財政だ。これまで日本の財政が危ないといわれながらも長期金利が安定していたのは、民間の資金需要が少なく、銀行の融資先がなくて国債を買うしかなかったためだ。しかし官民あわせて20兆円を超える復興需要が出てくると、国債をクラウディングアウトして長期金利が上がる(国債価格が下がる)おそれがある。これによって利払いが増えると財政危機が深刻化するばかりでなく、日本の金融機関が巨額の評価損をこうむって金融危機に陥るかもしれない。

 このような状況で、国債を日銀に引き受けさせて巨額の財政支出をしろと要求する政治家は、日本が隆々と成長したころの夢からまだ覚めていないのだろう。日本はもう体力の衰えた老大国であり、その成長を制約しているのは需要ではなく供給能力である。スタグフレーションや金利上昇を避けるためには、子ども手当てなどの余計な財政支出をやめ、むしろ増税で需要を減らすことが望ましい。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米バークシャー、24年は3年連続最高益 日本の商社

ワールド

トランプ氏、中国による戦略分野への投資を制限 CF

ワールド

ウクライナ資源譲渡、合意近い 援助分回収する=トラ

ビジネス

ECB預金金利、夏までに2%へ引き下げも=仏中銀総
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    メーガン妃が「アイデンティティ危機」に直面...「必死すぎる」「迷走中」
  • 4
    深夜の防犯カメラ写真に「幽霊の姿が!」と話題に...…
  • 5
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 6
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 7
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 8
    トランプが「マスクに主役を奪われて怒っている」...…
  • 9
    細胞を若返らせるカギが発見される...日本の研究チー…
  • 10
    私に「家」をくれたのは、この茶トラ猫でした
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 4
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 9
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 10
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 8
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 9
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
  • 10
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story