土居 科学技術社会論がご専門の横山先生から見て、経済学者が執筆した今回の特集の論考をどのように読まれたでしょうか?
横山 大竹先生がちょうど日本経済学会の会長になられたタイミングで学会内にコロナのワーキンググループを作られたことが、大竹先生のご論考に言及されていました。
学会の全員がコロナ研究に貢献することを歓迎する雰囲気をつくられたというところに深く感銘を受けました。
というのも、研究者の世界は、誰かがやっている研究と同じことをやることが非常に嫌われる傾向があります。なかなか共同することが難しい雰囲気があるなかで、若い先生が中心になり、研究者として貢献できるシステムを学会の中におつくりになられたのだな、と。
また、社会側から見ると、医療界は専門家集団です。しかし、社会の中の医療を見た場合は、まさに伊藤先生のように外から切り込んでその問題をあぶり出す研究者も必要であることに気づかされました。コロナ禍という大きな問題が、今もまだ終わっていないという点も改めて認識させられました。
土居 横山先生、ありがとうございます。今回の特集を企画した意図として、コロナ禍を振り返りつつも今もまだ終わっていないのではないかという点についても、まさに問いたいと思っていました。
そこで伊藤先生にはコロナ禍の医療現場で何が起こっており、どのような実態があったのか。そしてそれをどう評価するのかについて、お話いただけますでしょうか。
伊藤 そもそも何が起こっていたのかということがきちんと情報共有できずに4年間が過ぎてしまったことが、一番の問題だと思っています。
コロナ禍初期に何が必要であり、どこが一番大変なのかという情報が共有されていなかったために、ともかくお金をつけなければ医療現場はなかなか動けないという流れになってしまいました。
これだけお金がつくのであれば...と、とにかく患者を受け入れることにはつながった一方で、受け入れ側の治療の成果と報酬というものが必ずしもリンクした形で設計されませんでした。そのため、あまり頑張らなかった医療機関のほうが補助金を実は多くもらえた、というような事態も起こってしまったのです。
また、自ら感染リスクにさらされながら対応され、現場で頑張られた方が多くいらっしゃった一方で、メディアの報道によって、医療関係者はみんなそうやっているかのような雰囲気が出てしまったことについても私は批判的に見ています。
土居 そうだったんですね。これを教訓にすべき点として、どういうことが挙げられるでしょうか。
伊藤 次のパンデミックのときには、しっかり対応した病院と医療者が報われるような仕組みにしなくてはいけません。そのためにも今回のコロナ禍でどのような医療で何が行われたかということは、時間がかかっても検証する必要があると思っています。
結局、人材がなくては治療は行えません。病床を確保しても、患者さんを診る人がいなければ医療は成り立ちません。それが、そもそも休床だった病床にも補助金をつけるといったような、ずさんな管理がまかり通ってしまったのです。
先ほど「大竹先生が『病床確保しなきゃ駄目だ』と言ったから駄目なんですよ」と先生には直接、お伝えしました。
すると、「お金をつけて医療提供体制を確保した後、結局、成果に応じてきちんともっともらうなり、返すなりという設計をすればよかった」とお答えいただいたのですが...。