とはいえ、レシピが「コモン」であることは完コピを保証しない。当然だろう。書いてあるとおりに作ったつもりでも、素材によって、作り手によって、また食べ方や食べる環境によって味わいは変わるのが必定。たとえばその環境の違いが階級による違いと一致してしまうこともあるだろう。
しかしレシピ自体は変わらずに共有可能なままだ。まさに「変わるのに同じ(Changing same)」を体現するものが、「コモン」としてのレシピである。
この「変わるのに同じ(Changing same)」は、アメリカの作家であり批評家であるアミリ・バラカ(リロイ・ジョーンズ)が、アフリカ系アメリカ人の音楽の系譜を一言で表現した言葉だ(平井堅が2000年に発表したアルバムもこのタイトル)。
音楽のスタイルは変わってもなお、奴隷制の歴史を通じて培われたアフリカ系黒人の詩学は変わらず表現されているという意味である。
この考え方にはしかし、少し微妙なところもある。奴隷制の歴史が代々受け継がれて共有されているという前提に立っている、立たざるをえないこと、そしてその記憶をもとに「黒人ナショナリズム」とでも言える排他的な共同体の倫理を作り上げられてしまいかねない、とも考えられるからだ。
やはり「コモン」によって内と外の区別ができ上がってしまうのか。その区別は「われわれ(us)」と「やつら(them)」という分断を導いてしまうのか。この分断は階級の分断をなぞってしまうのだろうか。難問は残されたままだ。
そして私たちは食べることに「われわれ」も「やつら」もないと、言い切れるだろか。作って食べて片付ける。仕入れるとか捨てるまでも含めてもいい。この「食べる」という基本的な行為は、どこまで普遍なのだろうか。
皆腹が減れば食べる。それはそうだろう。しかし、食べられない人もいるじゃないか。何が、誰が、どんな仕組みが、食べられる人と食べられない人を分け隔てているんだ?何をどうやって食べるか食べないかまで決めているんだ?
本書では、そんな問いへの答えの尻尾くらいまでは捉えたと思う。しかしまだ特定しきってはいない。「コモナーズ」と名乗っているとはいえ、そう簡単に平等と普遍を寿ぐわけにはいかないのだ。闘いはまだまだ続く。
本書を片手に、レシピに手を加えていくことで、階級差は消せるのか、やはり消せないのか、それを一緒に考えてみませんか?
小笠原博毅(Hiroki Ogasawara)
1968年生まれ。神戸大学大学院国際文化学研究科教授。ロンドン大学ゴールドスミス校社会学部博士課程を修了し、社会学の博士号を取得。スポーツやメディアにおける人種差別を主な研究テーマに据え、カルチュラル・スタディーズの視座から近代思想や現代文化を論じている。著書に『セルティック・ファンダム』(せりか書房)、『真実を語れ、そのまったき複雑性において―スチュアート・ホールの思考』(新泉社)など多数。
※本書は2023年度サントリー文化財団研究助成「学問の未来を拓く」の成果書籍です。
『舌の上の階級闘争 「イギリス」を料理する』
コモナーズ・キッチン[著]
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