國分 先ほどの田母神事件に一言付け加えておきます。田母神事件のとき、五百旗頭先生はなぜそれほどまでに歴史にこだわったのか。それは先ほど述べたブスケ神父と父親の話もあると思いますが、猪木正道先生とも関係があるのではないかと思うんです。
1970年11月に三島由紀夫が自衛隊に憲法改正のためのクーデターを呼び掛け、その後割腹自殺をしましたね。当時防大学校長だった猪木先生は学者タイプの人でしたが、動揺する防大生を集めて徹底的に三島を批判したそうです。この話は五百旗頭先生から何度も聞きました。「猪木先生は三島に賛同せず、きちんと歴史に対応した」。そこですよね。
岸 ご子息の薫さんほかご家族が「送る会」で配布された冊子に、「戦う自由主義者・猪木正道」というタイトルの遺稿とともに、自筆のメモも載っていましたね。
國分 五百旗頭先生と自由主義的な歴史観が通じるところがあったのかなと感じています。その遺稿は、もともと日本防衛学会猪木正道賞基金の年報『平和と安全保障』第10号の巻頭言として用意されていたものです。
原稿ができたので担当者にお送りすると言っていたのですが、なかなか届かないので薫さんに探してもらったところ、カバンの中にあったということです。それを送っていただき、予定どおり年報に掲載しました。まさに遺稿ですね。五百旗頭先生は猪木先生に関する本を次に書きたいと考えていたようです。
岸 配布された冊子の薫さんの文章はこのように書かれています。「『戦う自由主義者』猪木正道は、信念を持ち、率直で、厳しい人だった。家族の知る五百旗頭真は、信念を持ち、率直で、朗らかな人だった。朗らかに戦え、と父が言い遺してくれたような気がしている。」
蒲島 今日はこうして五百旗頭さんのことを皆で振り返ることができて、とても良かった。
御厨 良かった。これだけいろいろな話が出る人もなかなかいませんね。
蒲島 これほど愛されている人はいないね。
國分 いないですね。
岸 来年[編集部注:2025年]は阪神・淡路大震災30年ということで、いろいろおやりになりたかったのかなと思います。
御厨 継続してきたシンポジウムの最終回の計画があり、トータル・コーディネーターを彼が務め、僕が下働きをすると決まっていました。心残りだったと思います。