國分 教会には通っていなかったみたいですけれど、信仰については私も同じような印象を持っています。彼が生まれ育ち、最後まで実家があった西宮の夙川(しゅくがわ)にブスケという神父が創設した夙川教会があります。その後彼が創設した北野教会の信者の中に憲兵のスパイが1人いて、ブスケ神父は憲兵と知らずに「天皇よりも神が偉い」と質問に答えて逮捕され、拷問を受けるんですね。
当時のキリスト教弾圧に抗したのが経済学者で敬虔なクリスチャンで、ローマ教皇庁からグレゴリウス勲章を受章したこともある五百旗頭眞治郎神戸大学教授、お父さまです。その後、ブスケ神父は頭が錯乱して病院で亡くなった。この話をしながら五百旗頭先生は涙を流すんです。目の前で涙を流されてびっくりしたことがあります。
カトリックとしての意識はそれほど強くないとしても、心の底に流れているのかなと何度も思いました。御厨先生がおっしゃるように、震災の有識者会議をみずからの役割として引き受けるとか、人の話を最後まで徹底的に聞くとか。それが、最初に申し上げた戦前の軍国主義に対する強烈な嫌悪感とともに、ご自身のぶれない強い軸となり、五百旗頭先生の歴史観を支えていたように思います。
御厨 五百旗頭さんと地元兵庫県との関係にも触れておきたいと思います。
彼は『兵庫県史』の編纂を編纂委員長として手がけていました。『兵庫県史』というのはずっと昔からありますが、高度成長期で切れていました。その後の五十年史を作ろうとなったとき、五百旗頭さんが理事長を務めるひょうご震災記念21世紀研究機構がそれを引き受けたわけです。
これを引き受けるときも、僕を巻き込むために、彼は新幹線の神奈川県から静岡県の間のトンネルの一番多いところでデッキに立って電話してくるの。
國分 (笑)。すぐ切れるから。
御厨 それで、すごい早口で「なんとかなんとかの委員会をやることになったんだけど、君、出てくれる?」とか言うので、「えっ?」とか言っているとトンネルに入っちゃってね、「ああ、聞こえない」とか言ってるわけ。で、トンネルを抜けると「じゃあ、引き受けた?」とか言う。
これで何回か押し問答をして、負けちゃいけないとつっぱねていたら、次は飛行機の搭乗時間のちょっと前に電話してくるのね。またワアワア言っているうちに、「ああ、搭乗のアナウンスだ。じゃあ、これで決まったということで」ということで僕は引き受けさせられちゃった。五百旗頭先生が編纂委員長、僕が編集会議座長。
最後に、地方史というのは一般的に地方の特徴だけを書いているが、県全体に関する記述があったほうがいいということになり、僕がそれを書かされたんです。それを2023年12月に書き上げた。
そうしたら五百旗頭さんが「ごめん、やっぱり加筆していいか」と言う。「いいですよ」と言ったら、けっこう削るよりはふくらましてくれたのでそのまま、それを受け入れました。その原稿ができ上がったのが今年[編集部注:2024年]の3月、まさに彼が亡くなるちょっと前のことでした。だから僕はたぶん、五百旗頭先生から原稿に手を入れられた最後の一人だと思います。