アステイオン

座談会

「現場を見ないとわからない」と述べた五百旗頭真先生...復興支援の覚悟と現実政治への関わり

2025年03月06日(木)10時55分
蒲島郁夫+國分良成+御厨 貴+岸 俊光(構成:置塩 文)

 今のようなお話はあまり外に出ませんが、公的な仕事をいろいろ引き受けているなかでご苦労もたくさんあったはずですね。

五百旗頭先生はよく高坂正堯先生と若泉敬先生を対比させて書いています。曰く、高坂さんは、佐藤栄作首相とのつき合いにしても歴史観を説いてちょっと引きながら対応する。対して若泉先生は、頼まれた以上のことを全力投球でやるタイプだと。

私の印象では五百旗頭先生は、若泉先生とはやり方が違いますが、やはり全力投球タイプじゃないのかなと。復興構想会議のときであれば、例えば復興税というものをいち早く口にする。大事なことではあったと思いますが、当然風当たりも強く周りもご本人も大変だったろうと。

御厨 復興税はね、「絶対に言わないでくださいよ」と言われて、「うん」と言ったのに口がすべったの。新聞記者に「それも視野に入っていますか」と聞かれて「自分の視野には入っている」と言っちゃったんですよ。

 そうだったんですね。会見で出たわけですか。

御厨 そう。「あれー、しゃべっちゃったね」と思った。あの段階では相当叩かれました。でも、先に言っちゃったおかげで、あとではうまくいったんですけれどね。実は彼は結構失言があるんです。

 正直な人でした。2016年4月の熊本地震のとき、知事としてやはり五百旗頭先生に有識者会議の座長をやってほしいと思われたわけですか。

蒲島 当然です。本震の2日後に五百旗頭さんに電話して、復旧・復興を目指すうえで有識者会議の座長になってほしいとお願いし、すぐに受けてもらえました。

初動対応で手一杯の段階ですから、私が「有識者会議をつくりたい」と伝えたら、県庁の幹部は「今はそのような時期ではないと思います」と言いましたが、「もう五百旗頭さんに電話をして了承してもらっている」と言って押し切りました。

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2008年の熊本県知事就任以来、五百旗頭先生には夢の実現におおいに力を貸してもらいました。私立高校振興の取り組み「熊本時習館構想」においては、細川藩校の名にちなむ時習館塾長として、県内の中学校、高校で未来に向かう若い方々にメッセージを伝えてくれました。「くまもと未来会議」の委員もお務めいただきました。

また、「防衛大学校でのお仕事が終わったら熊本に来てください」とお願いしたところ、五百旗頭さんは熊本に縁があるわけでもないのに、「蒲島さんとは友達だから」という理由で、熊本県立大学理事長を引き受けてくださいました。

そして、県立大学に国内外の識者を招き、冷戦後の世界の動きと日本の進むべき道を論じる国際シンポジウムを毎年開催されました。私には、肥後細川藩が宮本武蔵を呼んだように、世界的な人材を熊本に呼び、熊本に「知の集積」を実現したいという夢があったのです。五百旗頭さんは常に、私の夢の良き理解者として力を惜しまずサポートしてくれました。

熊本地震の前震は知事2期目の最終日(4月14日夜)に、本震は3期目就任直後(4月16日未明)に起きました。熊本県にとって県政史上最大の逆境でしたが、阪神・淡路大震災を直接経験し、さらには東日本大震災復興構想会議の議長でもあった五百旗頭さんから、災害対応やその後の復旧・復興のあり方を聞いていましたので、その教えも踏まえて対応に当たりました。

ですから有識者会議の座長をお願いしたのは、私のなかではごく自然なことでした。2週間後には最初のくまもと復旧・復興有識者会議が、五百旗頭さんを筆頭に御厨さんを含めた叡智を結集して開かれ、3週間目には緊急提言を、その約1カ月後には創造的復興の提言を取りまとめていただけました。

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