人間は一人では生きられない。人間関係あってこその生存・生活である。国もまた然り、意識するとせざるとに関わらず、自国の存立は外国との関係で成り立ってきた。
中国もその点は同じである。だから数多ある中国論のなかでも、他国との関係は議論が絶えない。しかし中国をどうみるのか、みてきたのか、という「中華」「中国」に対する長期的な見方を考察、討論することはあまりなかった。
そもそも日本の中国観がそうであって、さきに「支那」・China・「中華」・「中国」の言葉遣いで、みてきたとおりである。いわんや、ほかの国々・地域の「中華」「中国」に対する見方など、深く考えたこともあるまい。
「中華」の拡散で中国と関係を有した国々・地域それぞれの「中華」観・「中国」論は、日本人の関心を引くことはほぼなかった。しかし主体・方法・視角もふくめ、各国各地の内情を示しており、ひいては日本と無関係ではありえない。
以上の経緯に鑑みれば、現代の東アジアをみつめなおすにあたり、現代日本人に欠けているものは自明であろう。「中国」「中華」に対する、多様で変化に富む見方を、長いタイムスパンのなかで、あらためて考えてみるべきではないか。
「中華」「中国」はかつてどのように見えたのか、いまどう映っているのか。これまでいかに論じてきたのか、これからどう語ることができるのか。
本特集では現代の日中とは異なる立場・視座から、そうした命題に応じる論考を集めてみた。多かれ少なかれ中国と直接の関わりをもつ、それぞれの地域研究・歴史研究に従事する気鋭の研究者の手になる。
まずは森万佑子(東京女子大学准教授)に、中国・北京、および日本と最も近隣する朝鮮半島にとっての「中国」と「中華」を論じてもらった。
14世紀末にはじまる朝鮮王朝が「小中華」をめざし体現して以来、半島は「中華」の矜恃を持して、現在にいたっている。それこそが当時から目前まで、日中と朝鮮半島との関係のほとんどを形づくっているといっても過言ではない。そしてそれをほとんどの日本人が気づいていないのも、また事実なのである。
それほどに希薄な日本人の「中華」意識は、どう測定できるか。そこを石田徹(島根県立大学教授)に朝鮮半島に対する史上の「征韓論」で試みてもらった。
「征韓論」とは日本人の世界観の発露でありながら、特定の時期に表出し朝鮮半島に特化した思想観念である。つねに是非褒貶(ほうへん)の対象だった日本人の「征韓論」を、一般化した思想分析に還元することで、日本と「中華」の関わりをあらためて考えてみたい。
vol.101
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