ここまでは、納得できない史実、提起できない設問ではあるまい。しかしもっと立ち入って考えても、わからない、気づかない、あるいは疑問に感じない事柄もあろう。
その種の事柄は数えはじめたら、あれもこれも、キリがないかもしれない。さしあたって「夢」の「中華民族」「一つの中国」に即していうなら、たとえば「中華」「中国」という、人口に膾炙(かいしゃ)する熟語である。
われわれは何の疑いをもさしはさむことなく、これを国名や文化の名称・固有名詞として用いてきた。しかしそんなあたりまえは、ほんとうにそうだろうか。
オリジナルの漢語にさかのぼれば、「中華」も「中国」も固有名詞ではない。中央・中心というくらいの語義であって、特定の場所や事物をさすことばではなかった。それにもかかわらず、歴史を経るにつれ種々派生・転義して、現在のようなあたりまえに至ったのである。
「中華」「中国」という名辞がそのように拡がり、また深まり、変遷していったプロセスそのものが、中国史だったともいってよい。
「中華」と「中国」はややニュアンスを異にしながらも、おおむね同義語として用いてきた。いまもそうであって、英訳すればいずれもChinaだろう。
ここが見のがせない。そのChinaとは固有名詞で、今も昔もあの地域とそこの住民たちをさす。秦の始皇帝の「秦(チーン)」に由来するのは、すでに周知のことかもしれない。
しかし「中華」「中国」というオリジナルの漢語は、異なる意味である。中心・中央は、どこでもよい。地球は丸いから、どこでもそうなりうるはずで、中心・中央がとりもなおさずChinaなのかどうかは、自ずから別の問題なのである。
もちろん人間は、自己中心主義な生き物なので、自身・地元を中心・中央とみることはおかしくないし、少なくもない。だからChinaの住民が「中国」「中華」を自称するのは史上通例だったし、今もそうである。
そうした意味で「中国」そのもの・「中国」人その人たちは、古今さして変わっていない、とみてよい。変わった、ないし変化しているのは、そこをChinaと呼びながら、同時に「中国」「中華」と言ったり、言わなかったりする側のほうではあるまいか。これまた「中華」が拡散深化した影響だといってよい。
日本人がその典型であろう。戦前はことさら「支那China」と呼んで、「中国」を忌避した。
戦後は「支那」を死語にしてChinaを「中国」「中華」と同一視し、なおかつ食堂・コンビニで「中華そば」「中華まん」と注文して疑わない。そして肝腎の「中国」「中華」が深化転化した文脈・意義を忘却してしまっている。それで中国を理解することなどできるだろうか。
vol.101
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