コラム

「月を生んだ」原始惑星の残骸が地球内部に? 月の起源の研究史と新説の論点

2023年11月11日(土)09時00分

ユアン氏らは「なぜティアの残骸が地球で見つからないのだろうか」と疑問に思い、地下深くに沈み込んだ可能性を考えました。そこで、ジャイアント・インパクト説の数値モデルの研究者たちとともに、テイアの衝突と地球内部の進化のシミュレーションを組み合わせ、テイアの残骸は地球で時間とともにどのように変化するかを計算しました。

その結果、テイアの衝突エネルギーは大半がマントルの上部までにとどまったことが分かりました。つまり、マントル上部ではテイアの構成成分は地球に溶け込みましたが、マントル下部では地球よりも鉄分が多くて重いテイアは地球に混ざらないまま核との境界部分に沈み蓄積されると考えられました。それが固体化したものが、現在もLLSVPとして観測されているとユアン氏は述べています。

地球で確かめるのは困難だが

今回の新説に関する最大の論点は、テイアの衝突は約45億年前なのに、その破片が地球のマントルと混ざって均質化することなく現在まで残り続けるのかという点です。

LLSVPは特異な構造ですが、地球の進化のみでも説明はできます。たとえば、原始地球ではマントルの上部は冷めやすいためにすぐ固まったが、下部はゆっくりと固まったために場所ごとで成分のバラツキができて密度の高い塊とそうでない領域に分化した、などです。

実際に論文発表後、一部の地球科学者たちは「テイアが地球マントル深部に蓄積したのは使用したモデルの問題で、自分たちのシミュレーションではテイアと地球マントルはよく混ざる」と批判しています。

ユアン氏は「海洋島玄武岩など地球深部の岩石が地表に出てきたものや、月内部の岩石を実際に調べれば、テイアの存在を立証できるかもしれない」と話しています。ただし、マントルで作られた海洋島玄武岩は地表に出ると風化や侵食を受け、実際に掘削してサンプルを取り出したくても人類がこれまでに掘った最も深い穴は12キロなので、地球で確かめるのは難しそうです。

もっとも、月のマントルであればテイアが状態良く残されている可能性が高いでしょう。月の地表には、マントル由来と考えられるカンラン石に富む岩体が点在しています。現在、日本初の月面着陸を目指してミッションが進行中の小型月着陸実証機(SLIM)は、世界初の月面ピンポイント着陸に挑みます。成功すれば、今後は月の起源の謎を解くためのサンプリングにも応用されるかもしれませんね。

ニューズウィーク日本版 ISSUES 2026
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2025年12月30日/2026年1月6号(12月23日発売)は「ISSUES 2026」特集。トランプの黄昏/中国AIに限界/米なきアジア安全保障/核使用の現実味/米ドルの賞味期限/WHO’S NEXT…2026年の世界を読む恒例の人気特集です

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト。青山学院大学客員准教授。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)、『AIとSF2』(2024年、早川書房)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

中国工業部門利益、1年ぶり大幅減 11月13.1%

ワールド

ミャンマーで総選挙投票開始、国軍系政党の勝利濃厚 

ワールド

米北東部に寒波、国内線9000便超欠航・遅延 クリ

ワールド

米、中国の米企業制裁「強く反対」、台湾への圧力停止
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 2
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指すのは、真田広之とは「別の道」【独占インタビュー】
  • 3
    【世界を変える「透視」技術】数学の天才が開発...癌や電池の検査、石油探索、セキュリティゲートなど応用範囲は広大
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」と…
  • 6
    中国、米艦攻撃ミサイル能力を強化 米本土と日本が…
  • 7
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 8
    なぜ筋肉を鍛えても速くならないのか?...スピードの…
  • 9
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 10
    【クイズ】世界で最も1人当たりの「ワイン消費量」が…
  • 1
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 2
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 5
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツ…
  • 6
    中国、インドをWTOに提訴...一体なぜ?
  • 7
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低…
  • 8
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 9
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 10
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 6
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 7
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「…
  • 8
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 9
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 10
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story