コラム

1万5千年前、西欧の葬儀では死者が「食べられていた」...その証拠とは?

2023年10月13日(金)22時15分

研究チームは、さらに人骨の遺伝情報の詳細が入手できる8つの遺跡について、住民の遺伝子の分析を行いました。すると、すべてマドレーヌ文化の遺跡と見られていましたが、マドレーヌ文化を持つマグダレニア人に関連する「GoyetQ2」遺伝子を継承している住民から構成される遺跡と、同時期に主に南東ヨーロッパで繁栄したエピグラヴェット文化を持つエピグラヴェット人に関連する「Villabruna」遺伝子を継承している住民の遺跡が混在していることが分かりました。

しかも、カニバリズムによる葬儀の文化を持つ遺跡は、マグダレニア人の遺伝情報を持つ住民の遺跡に限定されることが分かりました。カニバリズムの象徴となっていた、装飾が施されたり肉を削がれた形跡があったりする遺骨もマグダレニア人のものだけであり、エピグラヴェット人のものは含まれていませんでした。

つまり、マグダレニア人は敵である他民族を殺して食べたのではなく、仲間を弔う方法として人肉を食べたり骨を加工したりしていたことが示唆されました。

謎多き先史時代のカニバリズム

一方、エピグラヴェット人が住んでいた遺跡は、いずれも後世に伝わる「通常の埋葬」が行われていました。北西ヨーロッパの葬儀がカニバリズムから埋葬に移行したことは、マグダレニア人が埋葬の文化を受け入れたのではなく、エピグラヴェット人が北西に移動してマグダレニア人に取って代わったことが原因と考えられるといいます。

研究チームは葬儀におけるカニバリズムについて、「食べられたほうと食べたほうの間に血縁関係があったのか」「自分たちのグループ以外の人間を食べていたのか」など、今後さらに深く分析していく予定です。

先史時代のカニバリズムについては動機や意図が分からない場合が多く、いまだに謎に包まれています。たとえば09年にスペイン北部のアタプエルカ遺跡で発掘された「最初のヨーロッパ人(ホモ・アンテセソール、約80万年前の旧人類)」の遺骨から示唆されるカニバリズムは、子供や若者が好まれて食べられていることから、儀式としてではなく敵対者が食人を目的として行ったとする説が提唱されています。

今回の研究で示唆された「葬儀で行われるカニバリズム」は、時代が下り、現生人類が仲間の死を哀悼するために「何かをしたい」と考えるようになった結果の行為かもしれません。一見、グロテスクで禁忌とも思える人の共食いにも、人類の進化の歴史が隠されているのかもしれませんね。

ニューズウィーク日本版 独占取材カンボジア国際詐欺
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2025年4月29日号(4月22日発売)は「独占取材 カンボジア国際詐欺」特集。タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト。青山学院大学客員准教授。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)、『AIとSF2』(2024年、早川書房)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

豊田織機の非公開化報道、トヨタ「一部出資含め様々な

ビジネス

中国への融資終了に具体的措置を、米財務長官がアジア

ビジネス

ベッセント長官、日韓との生産的な貿易協議を歓迎 米

ワールド

アングル:バングラ繊維産業、国内リサイクル能力向上
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは? いずれ中国共産党を脅かす可能性も
  • 3
    トランプ政権の悪評が直撃、各国がアメリカへの渡航勧告を強化
  • 4
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 5
    アメリカ鉄鋼産業の復活へ...鍵はトランプ関税ではな…
  • 6
    関税ショックのベトナムすらアメリカ寄りに...南シナ…
  • 7
    ロケット弾直撃で次々に爆発、ロシア軍ヘリ4機が「破…
  • 8
    ロシア武器庫が爆発、巨大な火の玉が吹き上がる...ロ…
  • 9
    ビザ取消1300人超──アメリカで留学生の「粛清」進む
  • 10
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 3
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 4
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 8
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 9
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 10
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story