コラム

解剖実習遺体からプリオン検出の意味、プリオン病の歴史とこれから

2022年06月21日(火)11時25分

日本のBSEの発生状況は、2001年9月に千葉県で発見されて以来、09年1月までに36頭の感染牛が見つかっています。これまでのところ、03年以降に出生した牛からは、BSEは確認されていません。

現在までに変異型クロイツフェルト・ヤコブ病を発症した日本人は1人いますが、英国、フランス、スペインに短期の渡航歴(合計で約1カ月間)のある男性でした。日本では過熱報道による犠牲者のほうが多く、BSEが発生したと報じられた畜産農家の経営者や、後にBSEだと判定された牛の目視検査を担当した獣医師など5人が自殺しました。

世界中で特定危険部位の除去が徹底された結果、1992年のピークには世界で約3万7000頭だったBSEの発生は、7頭(13年)まで激減しました。

想像以上に罹患者は多い?

BSEに起因するヒトのプリオン病が制圧された現在、獲得性のプリオン病の憂慮はなくなったのでしょうか。

日本では「医原性」のプリオン病が問題になったことがあります。患者の治療のために行われた医療行為が、新たな疾患であるプリオン病を引き起こしてしまった例です。

脳外科手術で用いられるヒト乾燥硬膜は、死体から採取された大脳を覆う一番外側の膜です。患者が外傷や開頭手術などで硬膜を損傷した場合に使われます。

日本では73年以来、医療用具としてドイツから輸入していましたが、移植した患者にクロイツフェルト・ヤコブ病が多発したことで、97年3月に回収の緊急命令が出されました。

この事件は、ドイツのB・ブラウン社製品「ライオデュラ」が、杜撰な製造方法のためにクロイツフェルト・ヤコブ病の病原体に汚染されていたことに起因しています。日本では30万人以上の患者が移植を受け、孤発性の500倍(100万人に500人)の確率で同病を発症しました。

今回の長崎大の事例で解剖遺体からのプリオン検出に使われた技術は、学生実習の安全性確保だけでなく、将来的には医療現場でも手術前や臓器提供前に利用してプリオン病の感染拡大防止に役立てられる可能性を秘めています。

2年間で検査した約80体の遺体の中に未診断のプリオン病を発見したということは、世の中のプリオン病の罹患者は想像以上に多いのかもしれません。医療関係者だけでなく医療技術の受け手となる全ての人々を守る技術として期待は高まります。

ニューズウィーク日本版 世界最高の投手
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2025年11月18日号(11月11日発売)は「世界最高の投手」特集。[保存版]日本最高の投手がMLB最高の投手に―― 全米が驚愕した山本由伸の投球と大谷・佐々木の2025年

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト。青山学院大学客員准教授。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)、『AIとSF2』(2024年、早川書房)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

MAGA派グリーン議員、トランプ氏発言で危険にさら

ビジネス

テスラ、米生産で中国製部品の排除をサプライヤーに要

ビジネス

米政権文書、アリババが中国軍に技術協力と指摘=FT

ビジネス

エヌビディア決算にハイテク株の手掛かり求める展開に
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界最高の投手
特集:世界最高の投手
2025年11月18日号(11/11発売)

日本最高の投手がMLB最高の投手に──。全米が驚愕した山本由伸の投球と大谷・佐々木の活躍

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生まれた「全く異なる」2つの投資機会とは?
  • 3
    筋肉の正体は「ホルモン」だった...テストステロン濃度を増やす「6つのルール」とは?
  • 4
    「中国人が10軒前後の豪邸所有」...理想の高級住宅地…
  • 5
    【写真・動画】「全身が脳」の生物の神経系とその生態
  • 6
    レアアースを武器にした中国...実は米国への依存度が…
  • 7
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 8
    悪化する日中関係 悪いのは高市首相か、それとも中国…
  • 9
    南京事件を描いた映画「南京写真館」を皮肉るスラン…
  • 10
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 1
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披露目会で「情けない大失態」...「衝撃映像」がSNSで拡散
  • 4
    「死ぬかと思った...」寿司を喉につまらせた女性を前…
  • 5
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生ま…
  • 6
    【写真・動画】「全身が脳」の生物の神経系とその生態
  • 7
    筋肉の正体は「ホルモン」だった...テストステロン濃…
  • 8
    『プレデター: バッドランド』は良作?駄作?...批評…
  • 9
    「イケメンすぎる」...飲酒運転で捕まった男性の「逮…
  • 10
    ドジャースの「救世主」となったロハスの「渾身の一…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 7
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 8
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」…
  • 9
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 10
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story