コラム

解剖実習遺体からプリオン検出の意味、プリオン病の歴史とこれから

2022年06月21日(火)11時25分
神経組織のイメージ

正常なタンパク質に異常な形状を伝搬するプリオン。宿主の脳や神経組織の細胞を破壊し死に至らせる(写真はイメージです) Christoph Burgstedt-iStock

<未だに治療法が確立されておらず、「第3の感染症」とも呼ばれるプリオン病。長崎大・西田教行教授らの研究グループが検出に用いた技術は、実習の安全性を向上させるだけでなく、将来的にプリオン病の感染拡大防止に役立てられる可能性も秘めている>

長崎大の西田教行教授(ウイルス学)らの研究グループは、医学部や歯学部で行われる解剖実習のために提供された遺体を調べた結果、1体からプリオン病の原因となる異常なタンパク質(プリオン)が検出されたと発表しました。プリオン病と未診断の解剖実習遺体からプリオンが発見されて同病と確定診断されたのは、世界初といいます。

プリオン病は未だに治療法が確立されておらず、致死率100%の疾患です。感染から数カ月~数年を経てから突然、症状が現われることが特徴で、急速に認知症が進む「クロイツフェルト・ヤコブ病」などがあります。

「変異型クロイツフェルト・ヤコブ病」は、ウシのプリオン病である牛海綿状脳症(BSE)に感染したウシの肉や加工品を食べたヒトが発症すると考えられており、1990年代から2000年代にかけて大きな社会問題になりました。

プリオンはホルマリンに漬けても不活化されず、マウス実験では空気感染の可能性も示唆されています。もし、解剖実習用の遺体が感染していることを知らずに取り扱うと、学生や教員が感染する危険があります。

研究グループは2011年に開発した高感度のプリオン検出技術「RT-QuIC法」を使って、20年度から解剖遺体の脳内に含まれるプリオンの有無を調べていました。その結果、21年度に用いた39体中の1体から陽性反応が認められ、病理検査でプリオン病と判定されました。

ヒトに発生するプリオン病は3種類

プリオン病は「第3の感染症」とも呼ばれています。

それまでに知られていた感染症は、遺伝子を用いて自らをコピーして伝搬する細菌またはウイルスが原因でした。対してプリオンは、体内の自己タンパク質が誤って折りたたまれて異常な形状になったものです。正常なタンパク質に異常な形状を伝搬することで病気を引き起こします。

プリオンの分子は、脳細胞やその他の神経組織にみられる正常なタンパク質と似ています。しかし、異常な形状を正常なタンパク質に伝え、連鎖反応のようにプリオンが作り続けられることで、宿主の脳や神経組織の細胞を破壊し死に至らせます。

クロイツフェルト・ヤコブ病や、ヒツジやヤギの神経性疾患であるスクレイピーが、細菌やウイルスではない「未知の感染性因子」によって引き起こされるという仮説は、60年代には提唱されていました。遺伝情報を担うDNAやRNAは紫外線で損傷を受けますが、未知の感染性因子は紫外線耐性があったからです。

1982年にカリフォルニア大学サンフランシスコ校のスタンリー・ベン・プルシナー教授は、仮説上の存在だった未知の感染性因子の精製に成功し、「プリオン」と命名した因子が特定のタンパク質と判明したと発表しました。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト/博士(理学)・獣医師。東京生まれ。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第 24 回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

中国CPI、2月は0.7%下落 昨年1月以来のマイ

ワールド

米下院共和党がつなぎ予算案発表 11日採決へ

ビジネス

米FRBは金利政策に慎重であるべき=デイリーSF連

ワールド

米国との建設的な対話に全面的にコミット=ゼレンスキ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
2025年3月11日号(3/ 4発売)

ジャンルと時空を超えて世界を熱狂させる新時代ピアニストの「軌跡」を追う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやステータスではなく「負債」?
  • 2
    ラオスで熱気球が「着陸に失敗」して木に衝突...絶望的な瞬間、乗客が撮影していた映像が話題
  • 3
    うなり声をあげ、牙をむいて威嚇する犬...その「相手」を知ってネット爆笑
  • 4
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」…
  • 5
    「これがロシア人への復讐だ...」ウクライナ軍がHIMA…
  • 6
    メーガン妃が「菓子袋を詰め替える」衝撃映像が話題…
  • 7
    テスラ大炎上...戻らぬオーナー「悲劇の理由」
  • 8
    中国経済に大きな打撃...1-2月の輸出が大幅に減速 …
  • 9
    鳥類の肺に高濃度のマイクロプラスチック検出...ヒト…
  • 10
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアで…
  • 1
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 2
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやステータスではなく「負債」?
  • 3
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 4
    メーガン妃が「菓子袋を詰め替える」衝撃映像が話題…
  • 5
    アメリカで牛肉さらに値上がりか...原因はトランプ政…
  • 6
    イーロン・マスクの急所を突け!最大ダメージを与え…
  • 7
    「浅い」主張ばかり...伊藤詩織の映画『Black Box Di…
  • 8
    「コメが消えた」の大間違い...「買い占め」ではない…
  • 9
    「これがロシア人への復讐だ...」ウクライナ軍がHIMA…
  • 10
    著名投資家ウォーレン・バフェット、関税は「戦争行…
  • 1
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 4
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 7
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 8
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 9
    細胞を若返らせるカギが発見される...日本の研究チー…
  • 10
    イーロン・マスクへの反発から、DOGEで働く匿名の天…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story