コラム

なぜ世界最高峰の医学誌BMJはクリスマスにハジけるのか?

2021年12月14日(火)11時30分

5. 『外科医の誕生日に行われる手術の死亡率』(2020年、加藤弘陸氏ら)

手術日を選びにくい緊急手術を対象に、米国で2011~14年に4万7489人の外科医によって65歳以上の患者に行われた98万876件の緊急手術を分析した結果、外科医の誕生日に手術を受けた患者の死亡率は、誕生日以外の日に手術を受けた患者の死亡率よりも1.3%増加していました。この研究は、外科医のパフォーマンスが仕事とは直接関係のないライフイベントに影響される可能性を示唆しており、医療の質の改善に有益な情報を提供していると考えられます。

患者側は通常は外科医の誕生日は知りませんので、拒否したり担当変更を申し出たりすることはできません。この研究に普遍性が認められるのであれば、病院側が医師に対するメンタルコントロールの教育を強化したり、誕生日には休暇を与えるようにしたりする必要がありそうです。著者の一人である津川友介氏は、「『誕生日だから休みたい』と言いづらい日本でこそ今回の研究結果は意義がある」とウェブ雑誌のインタビューに答えています。チーム医療の充実など、医療分野の働き方改革にも一石を投じる論文です。

クリスマスに科学の楽しさをプレゼント

ところで、なぜBMJは「クリスマス」に面白論文の特集をするのでしょうか。ヒントは、英国王立研究所の「クリスマス・レクチャー」にありそうです。

このイベントは1825年に、電磁気学の分野で偉大な業績を残したマイケル・ファラデーが、「世界初の少年少女向け科学実験講座」として始めました。世界的に著名な科学者が講師を務め、実験やデモンストレーションをして、科学の面白さを子供たちに伝えます。1960年にファラデーが行った講義が、後に本にもなった『ロウソクの科学』です。日本でもノーベル賞受賞者の吉野彰さんや大隅良典さんが影響を受けた本として挙げており、これまでに複数の出版社から刊行された翻訳版は、あわせて100万部を超えるベストセラーになっています。

ファラデーは、1本のろうそくを実際に燃やしながら、ろうそくはなぜ燃えるのか、炎の輝きの秘密、燃焼でできる水、燃やすために必要な酸素などについて、順を追って説明します。そして、最後に「私たちは、身体の中で酸素を使って炭素を燃やして二酸化炭素を出しているから、ロウソクが燃えるのと同じだ」と伝えます。

イギリスの科学界にとって、クリスマスは一般の人に科学の楽しさをプレゼントする季節なのかもしれません。子供へのプレゼントがクリスマス・レクチャー、大人へのプレゼントがBMJクリスマス特集なのでしょう。

2021年のBMJクリスマス特集もそろそろ発表されます。日本語版はありませんが、翻訳ソフトを使っても、ハジけた発想や結論は充分に読み解けます。今年のクリスマスは、世界最高峰の医学誌が放つ渾身の面白論文を楽しんでみませんか。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト。青山学院大学客員准教授。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)、『AIとSF2』(2024年、早川書房)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

伝統的に好調な11月入り、130社が決算発表へ=今

ワールド

APEC首脳会議、共同宣言採択し閉幕 多国間主義や

ワールド

アングル:歴史的美術品の盗難防げ、「宝石の指紋」を

ワールド

高市首相「首脳外交の基礎固めになった」、外交日程終
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:高市早苗研究
特集:高市早苗研究
2025年11月 4日/2025年11月11日号(10/28発売)

課題だらけの日本の政治・経済・外交を初の女性首相はこう変える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読み方は?
  • 3
    9歳女児が行方不明...失踪直前、防犯カメラに映った「意外な姿」に大きな注目、なぜこんな格好を?
  • 4
    だまされやすい詐欺メールTOP3を専門家が解説
  • 5
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
  • 6
    「日本のあの観光地」が世界2位...エクスペディア「…
  • 7
    【クイズ】1位は「蚊」...世界で「2番目に」人間を殺…
  • 8
    筋肉はなぜ「伸ばしながら鍛える」のか?...「関節ト…
  • 9
    虹に「極限まで近づく」とどう見える?...小型機パイ…
  • 10
    【クイズ】12名が死亡...世界で「最も死者数が多い」…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読み方は?
  • 4
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
  • 5
    【話題の写真】自宅の天井に突如現れた「奇妙な塊」…
  • 6
    【ウクライナ】要衝ポクロウシクの攻防戦が最終局面…
  • 7
    女性の後を毎晩つけてくるストーカー...1週間後、雨…
  • 8
    【クイズ】1位は「蚊」...世界で「2番目に」人間を殺…
  • 9
    中国レアアース輸出規制強化...代替調達先に浮上した…
  • 10
    庭掃除の直後の「信じられない光景」に、家主は大シ…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になり…
  • 5
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 6
    増加する「子どもを外注」する親たち...ネオ・ネグレ…
  • 7
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
  • 8
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
  • 9
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
  • 10
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story