コラム

なぜ世界最高峰の医学誌BMJはクリスマスにハジけるのか?

2021年12月14日(火)11時30分
BMJのクリスマス特集号

普段の真面目な医学論文との差が魅力(写真はイメージです) Vasyl Dolmatov-iStock

<「血も凍るような」ホラー映画で本当に血は固まる? 外科医の誕生日に手術を受けると死亡率が上がる? 選りすぐりの面白論文5本を紹介し、クリスマスに特集号を出す意味を考察する>

BMJ(イギリス医師会雑誌:ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル)は、世界五大医学誌の一つにも数えられる権威のある学会誌です。1840年に出版されて以来180年の歴史があり、最近も新型コロナウイルス感染症の非重症患者にカシリビマブ/イムデビマブ(中和抗体薬)を投与すると、入院リスクを低下させるという論文が注目されました。

最新のインパクトファクター(ジャーナル影響度指数:高いほど、その分野で名声を得ており、掲載が難しい)も39.89と、研究者からの信頼が厚いBMJですが、毎年クリスマスの時期になると、イグノーベル賞*1受賞作を凌駕するような面白論文の特集号を出版します。しかも、普段の真面目な医学論文の全文は有料でしか読めないのですが、クリスマス特集号の論文は誰もが無料でウェブ上で読めるようになっています。

この10年間のBMJクリスマス特集の中で、選りすぐりの面白論文5本をご紹介します。

1. 『死神の歩く速さは?』(2011年、フィオナ・スタナウェイ氏ら)

オーストラリアの70歳以上の男性1705人を対象としたコホート研究(特定の要因を持つ集団と持たない集団を一定期間追跡して、疾病率や死亡率を比較したもの)で、対象者の平均歩行速度は秒速0.88メートル(時速3.17キロ)でした。

その後5年間、4カ月毎にチェックをしたところ、秒速0.82メートル(時速2.95キロ)よりも速く歩く高齢男性は、それ以下の歩行速度の人たちよりも1.23倍死亡率が低いという結果が得られました。とりわけ、歩行速度が秒速1.36メートル(時速4.9キロ)より速い場合、5年間での死亡者はいませんでした。そこで、スタナウェイ氏らは「死神の歩行速度は、普段は秒速0.82メートル、最大速度は秒速1.36メートルで、死にたくない人にはこれ以上の速度で歩くことを勧めるとよい」と結論付けました。

時速4.9キロで歩けるのは、かなりの健脚者です。近年は高齢者の筋力低下が問題になっています。歩くのが遅くなる、転倒や骨折をしやすくなる、寝たきりになるなど、生活水準が著しく低下する懸念があるからです。この論文は歩行速度による生存分析を「死神」を使って分かりやすく説明したところに意義があります。

2. 『"血も凍るような"ホラー映画で血は固まるのか』(2015年、バンネ・ネメス氏ら)

ライデン大学医療センターの30歳以下24名が、約90分間のホラー映画と教育的な映画を1週間以上の間隔を開けて視聴しました。14名はホラー映画を先に、残り10名は教育的な映画を先に鑑賞しました。

交絡因子(調べたいもの以外の、結果に影響する要因)を避けるため、映画の上映日には、参加者はアルコールとタバコは禁止。さらに、迷信の影響も避けるために、満月の間と13日の金曜日には映画の上映は行いませんでした。それぞれの映画の視聴前後で血液凝固因子を評価したところ、第Ⅷ因子はホラー映画を見た後の方が有意に増加しました。

────────────
*1  1991年に始まったノーベル賞のパロディ版。「裏ノーベル賞」として知られる。賞の創設者マーク・エイブラハムズ氏は、「最初は笑えるが、その後考えさせる科学研究に贈る賞」と説明

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト。青山学院大学客員准教授。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)、『AIとSF2』(2024年、早川書房)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

焦点:マスク氏の新党構想、二大政党制の打破には長く

ビジネス

6月工作機械受注は前年比0.5%減=工作機械工業会

ワールド

解任後に自殺のロシア前運輸相、横領疑惑で捜査対象に

ビジネス

日産、米国でのEV生産計画を延期 税額控除廃止で計
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:大森元貴「言葉の力」
特集:大森元貴「言葉の力」
2025年7月15日号(7/ 8発売)

時代を映すアーティスト・大森元貴の「言葉の力」の源泉にロングインタビューで迫る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 2
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...APB「乗っ取り」騒動、日本に欠けていたものは?
  • 3
    「ヒラリーに似すぎ」なトランプ像...ディズニー・ワールドの大統領人形が遂に「作り直し」に、比較写真にSNS爆笑
  • 4
    トランプ関税と財政の無茶ぶりに投資家もうんざり、…
  • 5
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に..…
  • 6
    犯罪者に狙われる家の「共通点」とは? 広域強盗事…
  • 7
    自由都市・香港から抗議の声が消えた...入港した中国…
  • 8
    人種から体型、言語まで...実は『ハリー・ポッター』…
  • 9
    名古屋が中国からのフェンタニル密輸の中継拠点に?…
  • 10
    「けしからん」の応酬が参政党躍進の主因に? 既成…
  • 1
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 2
    「やらかした顔」がすべてを物語る...反省中のワンコに1400万人が注目
  • 3
    後ろの川に...婚約成立シーンを記録したカップルの幸せ映像に「それどころじゃない光景」が映り込んでしまう
  • 4
    職場でのいじめ・パワハラで自死に追いやられた21歳…
  • 5
    【クイズ】「宗教を捨てる人」が最も多い宗教はどれ?
  • 6
    為末大×TAKUMI──2人のプロが語る「スポーツとお金」 …
  • 7
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に..…
  • 8
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、…
  • 9
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...AP…
  • 10
    「本物の強さは、股関節と脚に宿る」...伝説の「元囚…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 4
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事…
  • 5
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 6
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 7
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 8
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 9
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 10
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story