コラム

羽生結弦選手が卒論で語るフィギュア採点の未来

2021年11月09日(火)11時45分

研究内容で羽生選手の着眼点の素晴らしいところは、転倒、回転不足などが比較的わかりやすい着氷時ではなく、ジャンプの踏み切りや飛び上がる前の回転という審判員によって評価がばらつきやすい離氷時の評価にモーションキャプチャを使って、「ルール違反を可視化・数値化できないか」と考察しているところです。

この装置を付けてデータを解析すると、足底で体重のかかっている部分が判定できます。羽生選手はこれを採点に具体的に使う方法を論じています。「ジャンプを跳ぶ前に氷上で回転数を稼ごうとする『稚拙なジャンプ』は、足底がついている時間で判定できる」「ジャンプの種類によってルールで厳密に決められている体重をかけるべきエッジの内側・外側が、親指側と小指側のどちらに重心があるかで見分けられる」などです。

「羽生流ジャンプ術」が伝授される日

ところで、論文に現れる「稚拙なジャンプ」「稚拙な踏み切り」という表現を「羽生選手が卒論を通して他人のインチキなジャンプに対して怒っている」と解釈して、心配する声や揶揄する報道があります。

けれど、これらの言葉は国際スケート連盟のルールブックに掲載された「poor take-off」の日本語訳として、日本のルールブックなどで普通に使われている言葉です。羽生選手は「poor」の定義に当てはまるジャンプや踏み切りに対して、研究者として「正確なスケート用語」を使って論文を書いているだけなのです。

ジャンプのデータを取る前に、30メートル×60メートルのリンクで無線が途切れないかなど不安要素を複数挙げ、個々に不安を解消する実験を考案して一つずつクリアし、データの信頼性を科学的に証明した羽生選手。研究者としての適性も高いと言えます。

今回の論文ではあまり取り上げられなかった、羽生選手がジャンプをするときの腕や足の振り上げのタイミングなどのデータも取得しているので、将来、コーチになり「羽生流ジャンプ術」を伝授する時にも使えそうです。

科学研究としてこの先の議論を進めるには、羽生選手自身が論文内で指摘しているように多数の選手のデータが必要になります。大がかりなプロジェクトになりますが、フィギュアスケート競技とスポーツ科学の発展のために、競技生活が落ち着いた後に、ぜひ研究を主導してもらいたいです。すでにフィギュアスケート界のレジェンドとなっている羽生選手ならば、きっと実現が可能でしょう。

※編集部注:羽生選手の大学卒業時期の記載に誤りがありましたので、修正致しました。(2021年11月9日18時31分)

ニューズウィーク日本版 ISSUES 2026
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2025年12月30日/2026年1月6号(12月23日発売)は「ISSUES 2026」特集。トランプの黄昏/中国AIに限界/米なきアジア安全保障/核使用の現実味/米ドルの賞味期限/WHO’S NEXT…2026年の世界を読む恒例の人気特集です

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト。青山学院大学客員准教授。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)、『AIとSF2』(2024年、早川書房)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

コロンビア政府への軍事作戦は良い考え=トランプ氏

ワールド

スターマー英首相、短期政権交代は「国益に反する」と

ワールド

ミャンマー総選挙、第1回は国軍系USDPがリード 

ワールド

ウクライナ、年初から連日モスクワ攻撃とロ国防省 首
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    眠る筋力を覚醒させる技術「ブレーシング」とは?...強さを解放する鍵は「緊張」にあった
  • 2
    アメリカ、中国に台湾圧力停止を求める
  • 3
    中国軍の挑発に口を閉ざす韓国軍の危うい実態 「沈黙」は抑止かそれとも無能?
  • 4
    2026年の節目に問う 「めぐみの母がうらやましい」── …
  • 5
    ベネズエラ攻撃、独裁者拘束、同国を「運営」表明...…
  • 6
    野菜売り場は「必ず入り口付近」のスーパーマーケッ…
  • 7
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 8
    「対テロ」を掲げて「政権転覆」へ?――トランプ介入…
  • 9
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦…
  • 10
    「腸が弱ると全身が乱れる」...消化器専門医がすすめ…
  • 1
    「腸が弱ると全身が乱れる」...消化器専門医がすすめる「腸を守る」3つの習慣とは?
  • 2
    前進するロシア、忍び寄る限界...勝者に見えるプーチン、その先は袋小路か
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    中国軍の挑発に口を閉ざす韓国軍の危うい実態 「沈黙…
  • 5
    マイナ保険証があれば「おくすり手帳は要らない」と…
  • 6
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 7
    眠る筋力を覚醒させる技術「ブレーシング」とは?...…
  • 8
    なぜ筋肉を鍛えても速くならないのか?...スピードの…
  • 9
    「すでに気に入っている」...ジョージアの大臣が来日…
  • 10
    「サイエンス少年ではなかった」 テニス漬けの学生…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切…
  • 6
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 7
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 8
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 9
    「腸が弱ると全身が乱れる」...消化器専門医がすすめ…
  • 10
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story