World Voice

ミャンマーでエンタメとクリエイトする日々

新町智哉|ミャンマー

今、ミャンマーでは無く日本にいる身として想うこと

とある僧院で日本語を勉強している子たちと交流している様子

おはようございます。
ミャンマー生活10年。
今は帰国して日本におります、新町です。

今回は日本へ帰国してきて今思う事、これからの為に考えている事などを思いつく限り書き起こしてみようかと思います。
皆さんにとっては何のためにもならないような内容になるかもしれません。
出来るだけ公用性のある役に立つ内容に持っていきたいと考えていますが、ただの個人的な想いの吐露に終わるような気もします。
よろしければお付き合いください。

本題の前にお知らせです。
昨年に引き続きミャンマーの子供たちへ絵本「えんとつ町のプペル」ミャンマー語版を届ける為のクラウドファンディングを行っております。


単発な支援に終わる事なく今後持続的なエンタメ支援を形作る為のクラウドファンディングと位置付けています。
是非とも応援をよろしくお願い致します!

それでは本題です。
日本に戻って来てから10日が経ちました。
先日のミャンマー祭りで西野さんとの対談、今はクラウドファンディングをどうするかという事をずっと考えている状態。
それと並行して今後の日本での活動の為の基盤を作る為にあれやこれやを日々考えて暮らしています。
そしてその間もずっと二人の元気な子供たちを過ごしています。

コロナから4年間普通ではない家族間であった時間を取り戻すかのように子供たちの事を考え接する時間が沢山ある事に忙しくも幸せを感じています。
そんな毎日なのでこれまでのミャンマー生活10年間を振り返るという時間は思ったよりありません。
物理的に無いというのが一番の理由です。
それでも、ふとした時にミャンマーでの生活の事を想うと短い時間ですが、とても深く思考が潜るというような感覚に陥ります。
決して憂鬱であるとかそういう悪いメンタル状態になる訳ではないのですが、なんとも表現し難い感覚になります。

やはりそれだけ私にとってミャンマーでの生活は特別だったという事なのでしょう。
ミャンマーでの私の挑戦は金銭的な事などを含めて失敗の連続で胸を張ってお伝え出来るような大きな成果は何もありません。
実業家として、起業家としては恥ずべき事なのかもしれない状態です。
ですが、私はミャンマーで行ってきたこと、そしてその中で経験してきた沢山の事はキラキラとした宝物のように大事に思っています。

派手なニュースになり日本の皆さんにとどろくような話題は出せませんでしたが、多くのモノをミャンマーから頂いたと思っています。
これからも自分の為、家族の為に頑張るのは第一にしなければと思いますが、いただいた多くのモノに対する恩返しは一生かけてしていかないといけないなと自然と思えています。
こんなに義理堅い男だったのかと自分でも不思議になるのですが、それだけ恩を感じているところです。

不思議なのですが、当たり前の事だと思っています。
その上でこれからもミャンマーに関っていくことを精一杯楽しんでやろうと思っています。
そのような人生を生きていかなければ意味がないし、そうでなければミャンマーへの恩返しなど出来ないと考えています。

反省は沢山あります。
もっと力強いコンテンツを作るべきだったとかもっと強固なシステムを構築できていればあそこで成功したかもしれないとか、あの時のあの判断ではなくもう一方の判断を選んでいれば...など。
上げ出したらキリがないのですが、それだけ沢山の選択肢があったということは、それだけアンテナを張り、沢山の挑戦をした結果なのだなと思っています。

まだナニモノにもなっておらず、日本で誰にも知られていない私ではありますが、こんなに数奇な運命の下、ミャンマーに関った日本人も中々いないでしょう。
下手なミャンマー通より希少性は高い、はずです。
やれる事は無限にあるハズ。
それはきっとあのままミャンマーに強引に居座り続けるよりむしろ日本での方が活動の幅が広がるという事なのだと信じています。

今はこの判断についてあーだこーだと考えるより、この選択を正しいものだったとするためにひたすら頭を働かせ体を動かすのみだなと思っています。

日本に帰って来てわかった事は、こんな自分ではありますが、思っていた以上には様々な活動を知っていただいていること、表に裏に応援してくださっている人がいる事を実感できました。

そして、そういった方々の暖かいお言葉によって現在の自分の状況を過不足なく把握できつつあるような気がします。
現在地がフワフワしたままでは最初の一歩からとんでもない方向に行ってしまうことになるのでこのことがわかった事はこれから日本で動き出す私にとって非常に幸運なことでした。

当初の予定では闇雲でも良いのでとにかくベクトルを決めガムシャラに進んでいくことが慎重に留まって停滞するより吉であろうと考えていたからです。
「日本に帰ってきたのだから」と気負い過ぎて変な方向に進んでいってしまったかもしれません。
今は冷静になりつつも勢いはそのままに。
いや、冷静になったからこそ更に勢いをつけて動いていけそうな気がしています。

日本へ帰国する前からミャンマー現地にいる数少ない私の日本人の知り合いの方々からいただいた言葉は本当にありがたかったです。
決して落ち込んでいた訳ではなく前向きに帰国を捉えていたと思うのですが、それでも沢山の励ましの言葉は今になって少し肌寒い日本の地で暖かく感じられるまでになっています。

この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。

今は何もお返しできる事はありませんが、エンターテイナーとして、ミャンマーエンターテインメントプロデューサーとしてこれからもミャンマーを色んな角度から盛り上げていく様子を小さいながらも伝え続ける事を何かの足しにしていただけたらなと思っております。

なんだかよくわからない意思表明のような形になりましたが、今の私の素直な気持ちを吐き出させていただきました。
これからも頑張ります。
引き続き応援よろしくお願い致します。

それでは、また。



 

Profile

著者プロフィール
新町智哉

映像プロデューサー。2014年からミャンマー最大都市ヤンゴンに在住。MAKE SENSE ENTERTAINMENT Co.,Ltd. GM。日緬製作スタッフによる短編コメディ「一杯のモヒンガー」でミャンマーワッタン映画祭のノミネートを皮切りに世界各国の映画祭で受賞。起業家、歌手、俳優としてもミャンマーで活動する。

Twitter:@tomoyangon
Instagram:tomoyangon
note:https://note.com/tomoyaan

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