World Voice

ミャンマーでエンタメとクリエイトする日々

新町智哉|ミャンマー

ミャンマー10年での生活の中で思い出に残る素朴な人たちとの交流

10年通ったマッサージ店の店員たちと

おはようございます。
ミャンマーではかなりの確率でミャンマー語で話しかけられ、その次は中国語、韓国語、最後に英語などどうあっても私を日本人と認めない人が多かったのですが、帰国した後私を観た日本の人々は私を何人とみるのだろう?とどうでもいい事に思いを馳せる今日この頃です。

さて、今日は私が10年、ミャンマーで生活する中で印象深い交流があった人達の話しを2つしたいと思います。
もし最大都市ヤンゴンに行く際には寄ってみて欲しいなと思います。
私の写真などをみせればきっと喜んでくれると思います。
特にサービスなどはないと思いますが。

本題の前に一つお知らせです。
昨年に引き続きミャンマーの子供たちへ絵本「えんとつ町のプペル」ミャンマー語版を届ける為のクラウドファンディングを行っております。


先日行った、原作者であるキングコングの西野さんとの対談で決意を新たに頑張っていきたいと思っております。
是非とも応援をよろしくお願い致します!

それでは本題です。
因みに本題と言っても今回の話題は本当に大した話ではないので気楽に聞いていただければと思います。
ただただ、私のヤンゴンでの私生活が垣間見える話というだけです。

一つ目は10年の生活の中で数百回は行ったであろうマッサージ屋さんの話。
トップに載っている写真は帰国前日に行った日に記念に撮った写真です。
異論は沢山あるとは思いますが、間違いなくミャンマー1のマッサージ店です。
newsweekjp_20240529072753.jpg

写真をクリックするとグーグルマップが開くと思うので気になる方は行ってみてください。
値段は凄く安いという訳ではありませんが、コスパが凄く高い良店であることは自信を持ってお勧めします。

店長(恐らくオーナー)のおばちゃんが受付に居て気さくに声をかけてくれる感じのお店です。
因みにこの方は英語で対応してくれます。
因みにマッサージをする女の子たちはミャンマー語しか話せません。

1人1人に聞いた訳ではないでのすが、大体地方から出てきて働いているようです。
そんな素朴な雰囲気が漂いながらもマッサージはしっかりしてくれます。
何より、細かいオーダーにも答えてくれます。
私は首や肩は特にいらないのでその分背中を長くやってもらえるように頼んだりしていました。

ヤンゴンで結婚式をしたとき、両親や友達なんかが日本から来てくれたので一日市内観光をしたのですが、その時もみんなをこのお店に連れてきたりしました。
私の母はマッサージなど普段受けたがらないのですが、せっかくだからとここで施術を受け凄く良かったと言っていました。
施術の腕もそうですが、お店の雰囲気やホスピタリティなども含めて気に入ったのだと思います。

たかがマッサージ店での事と言っても何年も通うと気心はしれたもの。
他のマッサージ店に行く事もあるにはあるのですが、最後にはここに戻ってくるといった感じでした。
どこかホッとするような雰囲気のあるお店です。
お店のみんなで読んでねと絵本「えんとつ町のプペル」ミャンマー語版を一冊プレゼントしたりもしました。
最後の日に帰国するよとあいさつすると絵本を大事にするねと言ってくれました。

そしてもう一つ。
私はフラワー&バナナという活動をヤンゴンで独りやっていました。


ヤンゴンの街で花や水、ティッシュなどを道行く運転手などに売って生活している子供たちへ、少し色を付けた値段で物を購入し、更にバナナを上げるという地味な子供支援活動です。

この活動をしていた時に購入したバナナの多くがとあるお店のバナナでした。
バナナを買っていた露店の場所
お店というか露店みたいな作りなので店名なども(多分)無いのですが、不思議と美味しいバナナを売っている店でした。
そのお店の店主であるおじいさんがまた良い味のある人でした。
残念ながら写真が無いのですが(最後に撮っておけばと公開しています)もしどなたか行く機会があればヤツは日本で元気にやっているとお伝えください。

もともとこの近所に住んでいてその時はたまに果物を買う程度だったのですが、家に催涙弾を打ち込まれた時などは


近所で話題になっていたそうで、その後買いに行った時などは近所のおじちゃんたちに「こいつの家は催涙弾が撃ち込まれて大変だったんだよ」とショットガンを撃つしぐさをしながら笑い話にしていました。

恐らく1988年のクーデターの時も2007年の民主化運動弾圧の時も越えて来たであろうおじいさんは何とも豪快で楽しい人でした。
このおじいさんにも最後にバナナを買った時に「明日日本へ帰るんだ、もう戻っては来ない」とあいさつを出来ました。
「また来いよ」と片言の英語とミャンマー語で言ってくれたのはまだつい最近の事です。

何てことの無い日常でのミャンマーの人たちとの交流ですが、日本では体験してこなかったようなものばかりだと思います。
ふと思い出す何気ない事が今では凄く大事な宝物だなと4500キロ離れた第二の故郷に思いを馳せます。

皆祖国の為自分のため複雑な状況で精一杯、力強くしたたかに生きているのだと思います。
私も負けないように強くしなやかにやっていこうと思います。
何てことないような大切な思い出のお話でした。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

それでは、また。



 

Profile

著者プロフィール
新町智哉

映像プロデューサー。2014年からミャンマー最大都市ヤンゴンに在住。MAKE SENSE ENTERTAINMENT Co.,Ltd. GM。日緬製作スタッフによる短編コメディ「一杯のモヒンガー」でミャンマーワッタン映画祭のノミネートを皮切りに世界各国の映画祭で受賞。起業家、歌手、俳優としてもミャンマーで活動する。

Twitter:@tomoyangon
Instagram:tomoyangon
note:https://note.com/tomoyaan

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