悠久のメソポタミア、イラクでの日々から
ルポ:過激派組織ISIS(イスラム国)との激戦地の現在
最高気温も30℃を切ったイラク北部。
まだ本格的な雨が降っておらず空は相変わらず白いダストが漂っていますが、冬はすぐ目の前に来ているようです。
さて、先日仕事の都合でニナワ県のカイヤーラ地区という所を訪れる機会がありました。
イラクに詳しくない方からはすれば「どこそれ?」という感じだと思うのですが、ここは2015年から2017年にかけて行われた対過激派組織ISIS(イスラム国)との戦いで激戦地となった地域になります。
2014年の夏、西部モスルの近郊で蜂起したISISはモスルを急襲し瞬く間に陥落させ、その勢いを持って西部のシリア方面へ、東部のクルド自治区方面へ、南部の首都バグダード方面へと勢力を拡大させていきます。
ここカイヤーラ地区はモスルの南東部に位置しており、ISISが初期に陥落させその後にクルド自治区へと攻めるための足掛かりにした地域でした。
カイヤーラ地区が陥落しその先のクルド自治区のマフムール地区まで支配下にいれ、いよいよクルド自治区の首都エルビルへと攻め込む段階になったところで、米国などの多国籍軍の航空支援を受けたクルド自治政府軍(ペシュメルガ)が反攻を開始。
この辺りは一進一退が繰り返され多くの戦死者を出しました。
現在、マフムール地区は行政区上はエルビル県の所属でクルド自治区内にあるとされていますが、その後の中央政府とのいざこざで現在はイラク中央政府地域の管轄下に入っています。
ここからは写真も交えて激戦が繰り広げられたマフムール地区、そしてカイヤーラ地区の様子をご紹介します。
※ニナワ県カイヤーラ地区は現在も外務省の危険地情報で危険情報レベル4(
激戦地の今
エルビル市内から南西方面に走ること40分ほど、クルド側の治安機関と軍(ペシュメルガ)の検問所を通過すると、いよいよイラク中央政府側の最初の検問所が見えてきます。
上の写真の山を越えるとイラク中央政府地域に出ます。
ISISとの戦闘はこの戦略的に重要なマフムール地区の山々を巡って戦闘が行われていました。
イラク側の検問所のすぐ近くにはこのように巨大なクルドの旗も掲げられています。威圧感のある大きさです。
さすがに検問所の写真を撮ると捕まるのでそれはないのですが、最初のイラク側の検問所では越境のための書類やらパスポートを細かくチェックされます。一応同じ国ですが、ここら辺は領土の取り合いも行われた地域なので、少しピリピリしています。
ちなみにエルビル市内からカイヤーラ市内に入るまで、12個の検問所を通りました。
さて、無事に越境許可がおりるとイラク中央政府地域側に入ります。
クルド人が多く暮らすマフムール地区ですが、現在はイラク中央政府の管轄なのでこのようにイラク国旗がはためいています。
マフムール地区に入ってすぐに目にするのが、このマフムール市内にある大きな穀物倉庫(サイロ)です。
こちらは奪還作戦の際にISISの戦闘員が立て籠もり、クルド兵からも多くの戦死者を出した場所として有名です。
現在も引き続きサイロとして利用されていますが、何重にも壁や柵が築かれており一種の軍事基地のような様相を呈しています。
このサイロを右手にマフムール市内を抜けると、カイヤーラ-マフムール道路という荒野地帯を走る数十キロに渡る幹線道路に入ります。
このように何もない荒野をひたすら走ります。
車もたまにすれ違うくらいですが、たまにタイヤの残骸などが大きめのゴミが落ちているので運転には少し注意が必要です。
道中にはこのようにイラク軍の駐屯基地がいくつもあります。
兵士が中にいるものもあれば使われなくなったものなど、様々です。
現状、ISISのスリーパーセルによるテロ活動は中部のディヤラ県、キルクーク県、サラハディン県を中心に起きておりこの地域でISISによるテロなどは報告されていませんが、引き続き警戒は続けられているようです。
また道を走っているとこのような看板をよく目にします。
これはFSDというスイス発祥の地雷除去を専門とする団体の看板です。
この辺りは今も多くの地雷や不発弾が埋まっており、このようにNGOや国連による撤去作業が進められています。
よく見ると土が掘り返された箇所を道路脇ではで目にし、「ここはすでに作業が終わったところ」と分かるようになっています。
さて、マフムールから30分ほど幹線道路を走るとカイヤーラ地区に入ります。
道の横にはたくさんの弾痕の残る建物、半壊・全壊した建物があります。これらも戦闘の激しさを物語っています。
カイヤーラ市は大ザブ川というティグリス川の支流にあたる川が貫き、東西に分かれています。
この川は以前の記事で紹介したピクニックで出てきた川と同じ川で、カイヤーラはその下流になります。
ISISの支配下にあった2014年からの1年強にかけて、この河岸には処刑された人たちの遺体が投げ捨てられていたそうです。
また奪還作戦の際も多くの市民や兵士の遺体がこの川沿いには積みあがっていたと聞きました。
このカイヤーラ市の東西を結ぶ橋も、奪還作戦の途中でISISにより爆破され、今では新しい橋が通っています。
しかしこの地域は河川沿いということで水資源も豊かということもあり、農業も盛んな地域です。
私たちが通った時はこのようにトウモロコシが大きく育っていました。
カイヤーラ市内に入ると目に付くのがこちらの線路です。
こちらは旧フセイン政権時代に敷設されたバグダードとモスルを結ぶ線路で、カイヤーラはその中継地点になっていました。
民主化後の内戦で鉄道は使われなくなり、今はその跡だけを見ることができます。
カイヤーラでの仕事を終え帰る前に、マーケットに寄りました。
美味しそうラム肉が売られていたので、同僚が数キロ分まとめて買っていました。
生産者が近いため、エルビル市内で買うよりも3割くらい安く買えるそうです。
出張は半日だけでしたが、ISISにより大きく影響を受けた人たちの生活を知るいい機会になりました。
今後もイラクの別の街や都市などに行った際はそこでの様子もご紹介できればと思います。
著者プロフィール
- 牧野アンドレ
イラク・アルビル在住のNGO職員。静岡県浜松市出身。日独ハーフ。2015年にドイツで「難民危機」を目撃し、人道支援を志す。これまでにギリシャ、ヨルダン、日本などで人道支援・難民支援の現場を経験。サセックス大学移民学修士。
個人ブログ:Co-魂ブログ
Twitter:@andre_makino