悠久のメソポタミア、イラクでの日々から
市民の間に漂う不安:イラクは再び内戦の時代に戻ってしまうのか?
8月も終わりに差し掛かり、あと一ヵ月ほどで雨季に入るイラク。
まだまだ暑い日も続きますが、ここ北部地域では「もう夏も終わりか~」という気分になっています。
さて、そんな残暑厳しいイラクですが、今年の夏は(今年の夏も?)中央政治がバチバチに火花を散らしています。シーア派でイランの影響力を排除しようとするサドル派というグループと、親イラン・シーア派の政治グループである法治国家連合(CF)が政治の主導権を巡って対立。
あまりにも散らし過ぎていて、市民の間では「また内戦が起きるのか?」という不穏な空気が流れています。
今日は今イラク政治で何が起きているのかを解説したいと思います。
イラク政治の混乱とその経緯
ここまで、イラクの政府は事実上の「挙国一致内閣」という形でイラクの多数派であるシーア派の政党が実権を握り、スンナ派とクルド勢力に役職を分担する形(ムハササ制度)になっていました。
その中で実施された2021年の9月の議会選挙。
結果は「サドル潮流」というシーア派でイラク・ナショナリズムを強調する勢力が329議席中74議席を獲得し第一党に。このグループはスンナ派やクルド人の勢力を組み込み、「国民多数派政権」の樹立を目指しました。
その中でサドル派が試みたことが、イランの影響力を持つファタハ連合やダワ党といった、以前政権の中枢を担っていた法治国家連合(CF)の勢力を排除することでした。
現サドル派のトップであるムクタダ・サドル師は、イラクのシーア派の宗教指導者として尊敬される一家の出身で、父であるムハンマド・サーディク・サドルもイラク・シーア派の宗教指導者でしたが1999年に当時のフセイン政権により処刑されています。
彼はマフディ軍と言われるシーア派の民兵組織を率いて米軍を「占領軍」として抵抗運動を展開。同時に慈善活動にも力を入れるなどして、イラクの貧困層には固い支持基盤が存在しています。
サドル師自身、反イランという訳ではありませんが、イラクにイランの影響力が浸透することを快くは思っていません。また長く続いたシーア派政権で汚職が酷くなり、イラク国民のこのCFに対する不信感もピークに達していました。それが今回の議会選挙でサドル派が議席を伸ばした一方で、イランの影響を受けるファタハ連合などCFに参加する勢力が議席を大幅に減らした原因でもあります。
現CF側のトップであるヌーリ・マリキ氏はイラク民主化直後から実権を握り、2006年から2014年までの8年間、首相を務めていた人物です。彼が返り咲くことは汚職対策がなされないことを意味すると市民からも見られています。
さて、議会第一党を勝ち得たサドル派でしたが、その後の政権発足で大きく躓きます。
議長の選出までは議会過半数の支持で可能なのですが、政権発足のために必要な大統領の選出が議会の2/3の支持が必要となるためです。その圧倒的多数の議席はサドル派とその連立勢力は持っておらず、長く交渉が続けられましたが、サドル派とCFの交渉は決裂しました。
次にサドル師が何をしたかというと、「サドル潮流」の全議員に辞職するよう6月に命じました。
さあ、ここでCF側は大きなアドバンテージを得ることになります。イラクの選挙法では、選出議員が辞職した後はその選挙区の第二位の候補が繰り上げ当選されます。サドル派の議員の多くはシーア派が多数派の地域の選出なので、その後に位置する候補はほぼ全員がCFに支持された候補たちでした。これでCFは議会多数派を占めることになりました。
しかしサドル派も黙っては見ていません。CFが政権発足に動き出すと今度はサドル派が支持者に対して議会を包囲してデモを行うよう命令。50℃近くなる真夏のバグダードで、数週間に渡る反CFデモを現在も展開しています。サドル派は議会解散と再選挙を求めています。
一時は議会も占拠され、最高裁判所前でもデモを実施し裁判所業務がイラクの多くの地域で停止する事態にもなりましたが、現在は議会前の座り込みとイラク南部各都市でのデモが継続されています。
少し脇道にそれますが、デモや座り込みの様子を見ていると議会前に商店やお菓子売りの子ども、魚を焼いているおじさんの姿も出てきており、議会前がいつか商店街になってしまうのではと冗談を言う友人もいました。このイラク人の商売魂は見習いたいところです。
CF側もカウンターデモを実施していますが、サドル派を刺激しすぎない程度に抑えていることが見て取れます。しかしデモが終わるまではサドル派との交渉にも応じないとしており、事態の膠着は長く続くでしょう。
ここまで事態が悪化した理由には、CF側のトップで前首相でもあるマリキ氏とサドル師の個人的な対立もあると見られています。
2008年、サドル派とマリキ政権軍の間で2ヵ月という短期間ながら戦闘が勃発しています。当時は米軍が政権側の支持として介入したこともあり、サドル派側が停戦に応じました。しかしこれ以降、サドル師とマリキ氏の対立は決定的となり、今もその怨恨は尾を引いています。
そして去る7月、マリキ氏の録音が暴露されたことが二人の対立の火にさらに油を注ぐ結果となりました。
イラク人ジャーナリストがマリキ氏との会話を秘密裏に録音し、それをTwitter上で公開したのですが、そこでマリキ氏はサドル師のことを「殺人鬼」や「臆病者」と罵りました。
マリキ氏はこの録音を自分のものではないと否定。サドル師も支持者に対して平静を保つよう呼びかけていますが、この直後にデモが激化していることを考えると、サドル師はかなり癇に障ったのではと思われます。
デモが始まり2ヵ月弱、今は大規模なデモと座り込みが交互に起き、膠着していますが、いつ支持者同士の小競り合い起きてもおかしくはない状態が続いています。
内戦の記憶と危惧
現在、サドル派のデモもCF側のカウンターデモも比較的静かで、デモ隊同士の衝突には至っていません。一時は議会のある政府中枢地域で治安部隊を隔てて一触即発の状態にもなったそうですが、なんとか抑え込みが行われたそうです。
このようにシーア派内部でヒートアップしている状況を受けて、イラク市民の間には「また内戦が起きるのか」という不穏な空気が流れています。SNS上でもその話題でもちきりです。2008年のシーア派内部の内戦は短期間で終わりましたが、今度はどうなるか分かりません。
イラク中央の問題で関係がないというクルド人の間でさえも、1990年代の自民族同士の内戦が今も記憶に新しいことから、いつどんな小さな出来事がきっかけで血みどろの内戦に進んでしまうのかと危惧する声が聞こえてきています。
もしシーア派内部での内戦となれば、スンナ派勢力やクルド人勢力が今度は力を付けるきっかけともなるでしょう。シーア派グループでもそれは分かっているため、何とか武力衝突には発展しない程度に自分の要求を受け入れさせることを目指していることでしょう。
しかし前述したように、武力衝突というのはどんな小さなきっかけで起こるか分かりません。
2003年のイラク戦争以降、スンナ派とシーア派政権の内戦、シーア派内部の内戦、過激派組織ISISとの戦闘と、ずっと何かしらの戦闘が行われてきたイラク。ここ数年、やっと落ち着きが戻り、経済も上向き始めている現在、市民の誰も再び内戦の時代に戻ることは望んでいません。
中央政治の対立が、早く解決されるといいのですが。
著者プロフィール
- 牧野アンドレ
イラク・アルビル在住のNGO職員。静岡県浜松市出身。日独ハーフ。2015年にドイツで「難民危機」を目撃し、人道支援を志す。これまでにギリシャ、ヨルダン、日本などで人道支援・難民支援の現場を経験。サセックス大学移民学修士。
個人ブログ:Co-魂ブログ
Twitter:@andre_makino