悠久のメソポタミア、イラクでの日々から
イラク(クルド自治区)での生活は「危険」なのか?
8月も半ばにかかるイラク北部のクルド自治区。
夜間の気温が下がってきたことから少し過ごしやすくなっていますが、まだ45℃にもなる日中の気温で身体への疲れも日々蓄積されている気がします。
昨年ほどの水・電気不足ではありませんが、やはり市民生活は影響を受けています。特に中部のディヤラ県や南部の県では毎日のようにインフラ改善を求めるデモが発生しています。
さて、ここイラクで暮らしていると日本や欧米の友人や知り合いに話すと、まず言われることが「危なくないの??」という質問です。
日本で見るイラクのニュースと聞くと、テロ、ミサイル、デモ、政情不安といったことでしょうか。
今回はそんな疑問にお答えするため、イラクのクルド自治区に3年暮らしている私の肌感覚を実際のニュースなどを交えてご紹介します。
イラクの中央政府地域はまた別の様相かと思いますが、今回は観光客も多く訪れる北部のクルド自治区限定の話となりますことをご承知ください。
※本記事はイラクへの渡航を勧めるものではありません。渡航の際はくれぐれも自己責任でお願いします。
ロケット弾、ドローン、ミサイル攻撃
恐らくここ最近のイラクのニュースでまず思い出すのが、米軍や多国籍軍をターゲットにしたロケット弾や爆弾を積んだドローン、弾道ミサイルを使った攻撃でしょうか。
2020年1月、当時のトランプ前政権がイラン革命防衛隊コッズ部隊のソレイマニ司令官とイラク国内の親イランシーア派民兵組織PMFのアル=ムハンディス司令官をバグダード国際空港にて殺害。その後、親イラン民兵組織からの報復攻撃がバグダードやエルビルなどの多国籍軍基地に対して行われるようになりました。
当初はロケット弾攻撃のみでしたが、その後はドローン攻撃に切り替わり、ここ最近ではイラン領内からと思われる弾道ミサイル攻撃も行われ、市民に怪我人が出ました。また2021年2月に起きたロケット弾攻撃はエルビル市街地も直撃。シリア人1人が亡くなっています。
このようにここ2年間、散発的に起きるロケット弾攻撃ですが、米軍を中心にした多国籍軍の多くが2021年末で撤退したこと、またターゲットは米国(最近はイスラエルも)権益に限定されていることから、市民生活に対して直接的な影響は起きていません。
攻撃が行われた次の朝は少し張り詰めた空気もありますが、午後にはケロッといつも通りの生活が営まれています。
ただ攻撃は夜間に予告なしに行われることからも、夜の時間帯はエルビル国際空港や米国領事館がある地域には近づかない方がよいかもしれません。
外国軍による空爆
前述の民兵組織などによる攻撃以上に、エルビルに暮らしていて頻繁に触れる情報がトルコ軍を中心とした外国軍による空爆です。
トルコ軍は国内のクルド系共産主義ゲリラであるPKK(クルディスタン労働者党)と長年紛争が続いており、PKKの戦闘員がイラク国内にも潜伏していることから越境空爆を毎週のように行っています。
トルコ軍の空爆はPKKをターゲットにしたものとはいえ、一般市民への被害も度々起きています。ここ最近では7月、北部のリゾート地であるザホにトルコ軍が空爆を実施。避暑に来ていたイラク人観光客8名が亡くなり20人以上の重軽傷者を出しました。
イラン軍もクルド系の分離主義政党を敵視しており、たまにイラク北東部地域に対して空爆を行っています。
また北部の国境地域はイラン-イラク戦争時の地雷や不発弾が多数埋まっており、現在進行中のトルコ軍とPKKの戦闘でも多くの爆弾が新しく埋められています。これらによりトレッキングやサイクリングをしていた観光客が被害にあう事件も起きています。実際今年に入っても、北部のトルコとの国境地域でデンマーク人のサイクリストが道路上に置かれていた即席爆弾により亡くなる事件が起きています。
クルド自治区の北部は手付かずの自然が残され、欧米の観光客にも人気のスポットではありますが、最北部のトルコやイランとの国境地域には近づかないことをオススメします。
クルド自治区の一般犯罪について
次は窃盗や傷害・殺人とクルド社会内での犯罪についてです。
スリや窃盗といった軽犯罪について、個人的には欧米の都市部よりも安全であろうという気がしています。よく地元のクルド人に聞いても「中心部のバザール以外は全く心配いらない」と言われるほどです。もちろん、個人的にスリにあったこともなく、欧米の都市部ではありえない「カフェで財布や携帯をテーブルの上に置いておく」ということも普通にできます。
エルビル市内で個人的に驚いたことの一つに、両替商がお金を道端の机に山積みしているという光景があります。
この光景がエルビル市内の治安のよさを物語っているようにも感じました。
ここ最近はコロナ禍を経た経済の悪化や物価高を影響に少し窃盗事件も増えている気もしています。数週間前には近所で閉店後の両替所が襲撃を受けたというニュースも耳にしました。
ただ一般的に外国人が暮らすセキュリティ付のアパートメントでは、そのような事件にあうことはほぼないでしょう。
殺人や傷害といった重犯罪については、観光客や外国人をターゲットにしたものではなく、ほとんど家族間や個人間の問題が発展したものが多いように感じます。以前の記事でも紹介したように、クルド自治区は銃の保有率が高く、こういった事件ではしばし銃器が使用されています。
安全情報などを見ても「外国人や観光客がターゲットになった」ということは見たことがなく、心配をしたこともありません。ただし市内を出て郊外に行くと強盗事件があるということも聞くので、その点は注意が必要です。
最後に性犯罪についてですが、私自身が男なので日常的に女性に対してどれくらいのマイクロアグレッションがあるかなどは正直言って分かりません。
周りの邦人や外国人の友人に聞いても嫌な目に遭ったということは聞いていません。しかし安全情報などを追ってると、数ヵ月に一回ほど同業者で痴漢や付きまといに遭ったという情報もあり、皆無ということはなさそうです。ただ地元の友人(女性)でも遅くに一人でタクシーに乗ることはあるので、際立って多いということでもなさそうです。
テロ事件
最後のカテゴリーとして、過激派によるテロと社会不安についてです。
イラクの首都バグダードや、いまだ過激派組織ISIS(イスラム国)の影響が強い中部のディヤラ県、サラハディン県、キルクーク県では散発的に市民や治安部隊をターゲットにしたテロ事件が残念ながら今日も起きています。
エルビル市内では度々ラマダン期間中にテロを画策したなどしてISISの構成員が逮捕されていますが、2013年に過激派組織アルカイダによって行われたテロ事件を最後に、クルド自治区内で過激派による大規模なテロは発生していません。
過激派組織の構成員がクルド自治区内に紛れ込んでいることは間違いなく、「いつテロが起きてもおかしくはない」とも言われていますが、個人的には欧米の都市部で起きる無差別テロの方が怖く感じています。ラマダン期間などセンシティブな時期を除いては、日常的にテロを意識して人混みを避けるということも私は行っていません。
個人的に感じる一番の危険
ここまでいくつかのカテゴリーに分けて紹介して、クルド自治区での生活は都市部で暮らしている限りそこまで危ないものでもないことが分かっていただけたかと思います。
しかし私が暮らしていて日常的に命の危険を感じる瞬間があります。それは交通事故です。
イラクの皆さんは日本と比べて運転が荒く、さらに3車線の道路で6列になって走るなど交通ルールもあってないようなものです。車に乗っている時も、道を渡るときも少し緊張します。
週に一件は交通事故の現場を見るので、交通事故も多いことでしょう。僕自身、タクシーに乗っている時に2度ほど軽い接触事故に遭遇しています。
道を渡るのも至難の業です。エルビル市内は同心円状に街が拡がっており、広い幹線道路がいくつもあります。信号機や陸橋がある時はそこを使うのですが(罰則が厳しいらしくさすがに信号機では止まります)、ない時は信号のない3車線の道路を渡る必要があります。
こちらの人たちは車間距離も短くしているため急に止まることもできず、渡る時は上手くアイコンタクトして渡るのか渡らないのかの意思疎通をする必要があります。ドライバーの目を見ずに道路を渡ることは死を意味しますので、必ず行う必要があります。
重軽犯罪やテロの心配はしていない代わりに、いつも交通事故を心配して暮らしている毎日です。
まとめ
今回はイラクの外国人が多く暮らすクルド自治区の治安についてご紹介しました。
日本のメディアでイラクのことが報道されると、どうしてもテロやデモといった重大事件が中心となるので、日本で暮らす皆さんが「イラク=危険な場所」と即座に等式を組み立ててしまうのも仕方ないかと思います。
ただ3年間、アジア系の外国人男性として暮らして危険を感じたことは車に乗っている時くらいです。
この記事で、少しでもイラクのクルド自治区の別の側面を知っていただければと嬉しいです。
著者プロフィール
- 牧野アンドレ
イラク・アルビル在住のNGO職員。静岡県浜松市出身。日独ハーフ。2015年にドイツで「難民危機」を目撃し、人道支援を志す。これまでにギリシャ、ヨルダン、日本などで人道支援・難民支援の現場を経験。サセックス大学移民学修士。
個人ブログ:Co-魂ブログ
Twitter:@andre_makino