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悠久のメソポタミア、イラクでの日々から

牧野アンドレ|イラク

イラクとヒゲを巡る過去と今

©Olga Naumova - iStock

イラク北部のエルビルはここ最近、最高気温が45℃を超え最低気温も30℃を下回らないまさに灼熱の日々が続いています。

私自身は今、涼しいヨーロッパでの休暇を過ごしているのですが、戻った後にしっかり再適応できるか少し心配になっています。

イラクでは今年も水不足が起きていますが、昨年起きたような深刻な状態にはまだなっていない模様です。

エルビル市内でも水の出が悪くなるなど、毎夏恒例のことが起きていますが、数時間に渡り断水するといったことにはなっていません。

さて、今回はイラクとヒゲに関わる話題です。

ヒゲはこちらイスラム教社会に暮らす男性にとってはとても重要な意味を持ちます。元々は預言者ムハンマドが生やしていたと言い伝えられることが根底にはありますが、こちらで暮らしていてヒゲを生やしていないと「男」として見られないことなど、男性にとっては大切なステータスの一つと言えます。

日本でヒゲと言えば、「ヒゲの隊長」としての有名な佐藤正久元防衛副大臣がいますね。彼は先遣隊隊長としてイラクにも派遣されていました。日本とイラクとヒゲを繋ぐには相応しい人物かもしれません。

   

イスラム教徒男性とヒゲ

なぜイスラム教徒の男性がヒゲを生やすのか。最近では「すでに社会的に浸透していること(みんながやっていること)」なので深く考えている人は多くないとも思うのですが、言い伝えによれば「預言者ムハンマドがヒゲを生やしていたから」という理由が元々は強いようです。

イスラム教の聖典コーランでは体毛に関する記述はあるものの、ヒゲに関する直接的な記述はありません。なので宗教的な言い伝えをもとに社会的な常識になったというのが正確な所でしょうか。

私自身、体毛が伸びやすくヒゲも10代後半には生えていたので、中東に暮らす前からヒゲは生やしていました。

しかし日本に戻れば毎日剃る生活に戻っているので、「剃るのが面倒くさい問題」もありますが、イスラム教社会に溶け込むことを意識して自然と伸ばしているようにも感じます。

私は比較的ヒゲが伸びやすいので、今度は整えることも大変です。こちらの男性はヒゲの整備にも余念がないので、現地の友だちといると「ちょっと口ひげが伸びすぎでないか」とチクリと言われたこともあります。

実際、周りの日本人男性でヒゲが生えにくい体質の人に「ヒゲが生えて羨ましい」と言われたことも一度や二度あります。ヒゲの生えにくい人は往々にして禿げにくいので、こちらとしては総合的にみてそちらの方が羨ましいのですが....

話しが少し脇に逸れましたが、イスラム教男性とヒゲの関りはイスラム教の影響を排除しようとする国々の政策にも見て取れます。

タジキスタンでは2016年、警察が「脱過激化」を目的にムスリム男性約1万3,000人のヒゲを強制的に剃る措置が行われました。

似たようなことは中国の新疆ウイグル自治区でも行われており、当局は長いヒゲを禁じる法律を2017年に制定。悪名高い「再教育施設」という名のウィグル人の収容所でもヒゲを剃ることを強制させていることは周知の事実となっています。

このように、ヒゲはイスラム教男性と深く結びつけられています。

   

イラクとヒゲを巡る過去と今

さて、話をイラクに移しましょう。

イスラム教徒が人口の大多数を占めるイラクでは、例に漏れず男性たちの中でヒゲは大切なステータスの一つとなっています。

しかしイラクで少し特殊なことは、ヒゲの中でも鼻の下に伸びる口ひげがさらに重要視されているように感じる点でしょうか。

イラクではヒゲ、特に口ひげは権力を象徴しており、独裁者サダム・フセインも好んで口ひげを整えていました。

イラクでも同様、「ヒゲを剃るぞ」という言葉は男性に対する脅迫を意味しており、刑務所で刑務官が囚人を辱めるためにヒゲを強制的に剃るということは現在も行われています。

2003年以降、内戦や過激派の台頭などで混乱期の続いたイラク。その中で口ひげの存在も翻弄されていました。

口ひげの中でも短めのスッとした口ひげはよく軍人や治安機関の職員に好まれており、それが理由で過激派のターゲットにされる危険も存在していたようです。

iStock-458099769.jpg

口ひげを生やしたイラク警察 ©sadikgulec - iStock

またイラクの少数宗教の中では特徴的な口ひげを生やす人々もおり、往々にして過激派のターゲットにされてきた歴史もあります。

カカーイ、またはヤルサンと呼ばれるクルド人の中の少数宗教を信仰する人々はイラクに20万人ほどいると見られています

元々はイラン西部を発祥とした宗教で、ゾロアスター教とイスラム教シーア派の影響を強く受けています。

教義は門外不出とされているため、信者以外になかなか伝わらず謎の多い宗教ともされています。実際に私もヤルサンを信仰する友人がいますが、彼女自身も教義については知らないことが多いとも言っていました。

彼らの特徴は、口の端まで伸ばしきった長くモサモサとした口ひげでしょう。

英国に拠点を置くMinority Rights Groupの報告によれば、この口ひげを目印に過激派組織イスラム国(ISIS)がヤルサンの人々をターゲットにしたとされています。ISISはヤルサンの人々を「悪魔信仰者」と呼び、改宗しなければ殺害するとの脅迫も行いました。

ISISは支配下の男性たちに対してもヒゲを生やすことを強制していました。生やさない、生やせない人に対して罰則も課していました。

過激派による影響も減った現在、イラクではまたヒゲを生やす自由が戻ってきました。

私の周りのイラクの若者たちを見るところ、ヒゲを伸ばすトレンドは相変わらず続いているように見えます。周りの男性ではイスラム教徒なくても生やしていない人を見つけるのも難しいです。

日本ではヒゲ脱毛が叫ばれる今日ですが、イラクや中東ではヒゲ植毛を行うビューティーサロンがあるから驚きです。やはりヒゲの持つステータス力の大きさは侮れません。

ちなみにイラクの男性はトルコにヒゲ植毛に行くことが多いとのことです。

ヒゲが男性性を強調するもの、マッチョイムズを強めるものであることは確かで、好きで生やしている身としても少し気持ち悪さは否めません。

部外者として勝手ながら、個人的にはヒゲを生やしたくない人は生やさず、社会的な承認をなしに生やしたい人も好きなスタイルで生やせる社会にいつかなればいいなと思います。

 

Profile

著者プロフィール
牧野アンドレ

イラク・アルビル在住のNGO職員。静岡県浜松市出身。日独ハーフ。2015年にドイツで「難民危機」を目撃し、人道支援を志す。これまでにギリシャ、ヨルダン、日本などで人道支援・難民支援の現場を経験。サセックス大学移民学修士。

個人ブログ:Co-魂ブログ

Twitter:@andre_makino

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