悠久のメソポタミア、イラクでの日々から
イラクにおけるウクライナ侵攻と物価高の影響
4月、5月と頻発していた砂嵐もここ数日は小康状態にあり、市民も最後の春の数日を楽しんでいます。
来週にはここイラク北部でも40℃を超えるという予報が出ており、長い夏がすぐ目の前に迫っているようです。
ロシアがウクライナに侵攻し3ヵ月が経ちました。ここイラクでも当初は人々の大きな関心の的になっていましたが、最近では地元の友人たちの間でも話題になることはほぼなくなっています。
ただ同時に、世界的に問題となっている物価高騰はイラクでも肌で感じるほどになっています。
今回はウクライナ紛争がイラクでどのように受け取られているのか、また物価高の実態についてご紹介します。
ウクライナ侵攻に対するイラク政府・市民の関心
2月24日のロシアのウクライナ侵攻はここイラクでも大きく報道されていました。長年戦禍を経験してきた国として、他人事に感じないと話した知り合いもいました。「世界は腐ってる、何も学ばない」と少し笑いながら諦め口調で話した人もいました。
侵攻を受けたイラク政府のここまでの対応としては、上手く欧米とロシアの間でバランスをとろうとしているようにも見えます。
侵攻直後の2月28日、アラブ連盟が採択した「ウクライナ情勢と侵攻による軍事・人道的な結果に憂慮を示す」という声明に対してイラクは賛成をしています。
しかし3月2日に採択されたロシアによる侵攻を名指しで非難する国連決議でイラクは棄権を選択しました。ロシアを名指しで批判すること、また欧米に寄りすぎることを避けたと考えられます。この姿勢の理由には、いくつかのイラクが抱える事情が関連しています。
一つは国軍の一部にも組み込まれている、親イラン系の民兵組織であるPMFの一部派閥がロシアに近い立場であり、米国に対して敵対していることが考えられます。
また次期イラク政権の中枢を担うと見られるムクタダ・サドル師の立場も影響していると考えられます。サドル師は両陣営に対して停戦を求めるも、反米の先鋒でもある彼はロシアの侵攻の理由に「米国の政策が関連している」としているためです。
微妙な立場に立たされているのが、親米であるクルド自治区です。自治政府は停戦への期待を掲げるも、米国を刺激しない程度の中立を保っています。
メディアの報道は、日本ほど時間を割いている印象はありません。しかし報道姿勢としては欧米に近い立場で、戦況を報じつつも欧米の動向を中心に報じている感じがします。
これらを受けての市民の反応ですが、少なくとも私の周りでは関心はかなり薄れているように見えます。私の暮らすアルビル市は美容関係の仕事でウクライナ人の女性たちも一定数暮らしており、侵攻当初は彼女たちを中心に抗議デモも起きていました。
しかし現在はウクライナ情勢そのものへの関心は薄く、それよりも侵攻を原因とした物価高騰への不満の方を遥かに多く耳にしています。
ウクライナ侵攻後の物価高
イラクで記録されているここ数週間の物価高は、貧困層を中心に生活に大きな打撃を与えています。
悪影響の話の前に、侵攻を受けイラクにとってもメリットのあったことをご紹介します。それは原油価格の高騰です。
一日に約4.28百万バレルの原油を生産するイラクは世界第5位の原油輸出国であり、ここ数週間の原油高は大きな歳入増へと繋がっています。
イラク石油省の発表によると、2022年3月にイラクは約110億ドルを原油輸出による収益として得ており、これは1972年以来の歳入増となりました。
政府が大きな収益を得た反面、市民生活にとっては原油高がガソリン価格の高騰にも繋がっているという逆説的な現象も起きています。
「なぜ石油資源を持つイラクがガソリン価格の高騰に繋がるのか」という疑問が湧くかもしれませんが、これはイラクの石油精製技術の低さに原因があります。イラクは自国で満足のいく量と質のガソリンを精製することができないのです。
実際、「石油省が提供する安い自前のガソリンは質が悪い」と私の周りでも有名です。
イラクは一日あたり1,600万リットル(約400万ドル分)のガソリンを輸入に頼っており、原油価格の高騰はイラクのガソリン価格の上昇にも直接的な影響を与えています。主に原油高の恩恵を受けるのは石油を生産する会社と、そこと繋がる政治家や有力者がほとんどです。
ロシアとの関りでもまた、石油資源を巡ってイラクは今後難しい舵取りを迫られると見られています。
現在、イラクではロシアから約100億ドルが主に石油産業に投資されており、今後欧米に倣いロシアとの経済的な繋がりをイラクが断った際にはその代わりとなる投資元が必要となるかもしれません。
またイラクの大きな懸念は、主な原油輸出先となっている中国やインドが安いロシア産原油に乗り換えを始めることです。この流れに対抗するため、イラクなど中東の産油国もロシア産資源の抜けた欧州市場に対して輸出を増やす必要が出てきます。欧州もOPEC諸国に対して石油増産を求めており、この中国・インドから欧州へのシフトは避けられないものになるかもしれません。
ただし今後、拡大する欧州からの資源需要を満たすためには、現在イラクのOPEC+で定めらえている一日の原油輸出量である4.28百万バレルを遥かに上回る量を生産することが求められています。そのための設備投資も急務となるでしょう。
ガソリン価格の高騰とともに、食用油、小麦、肉、米といった生活に直結する価格の高騰も見られています。
WFP(国連世界食糧計画)のIraq Market Monitor Reportでは、侵攻開始後の3月に大きく価格が上昇したことが分かります。
レポートの中で紹介されているFAO(国連食糧農業機関)のFood Price Indexによれば、2022年2月にイラクの食品に関わる物価は史上最高値となる140.7ポイントを記録。一年前の物価水準より20.7%上がったことになりました。その中でも特に顕著な上昇が見られたのが食用油でした。
イラクは食用油の32%をウクライナからの輸入に頼っており、これの価格は3月の最初の2週間で26%上昇しました。
小麦については、イラクはウクライナやロシア両国から多くを輸入していません。しかし侵攻を原因とした国際的な小麦価格高騰の影響、また昨年比38%も減った見られるイラク国内の不作を受け、3月の最初の2週間で9%小麦価格の上昇が記録されています。
貧困層の生活には多大な影響も
これらの食卓に直結する物価の高騰はイラク市民の購買力の低下にも繋がっています。
WFPによると、非専門職の人の平均月給を基準に換算したイラク市民の購買力は現在、コロナ禍前のそれの約半分となっています。
イラクはコロナ禍初期の2020年4月にロックダウンを実施し非専門職の人々を中心に多くの人々が職を失いましたが、今日の物価高の影響でその時期と同等の購買力にまで低下しています。
総人口の約1/3が貧困層に属するイラク。物価高騰の影響は彼らの生活に深刻な打撃を与えていることは間違いありません。これは私自身の肌感覚ですが、以前はアルビル市内でほとんど見ることのなかった物乞いをする人が今年に入り増え、街中を歩いていると頻繁に声を掛けられるようになった気がします。
一方、アルビル市内では相変わらず高級車がひっきりなしに走り、壁に囲まれた○○シティーと呼ばれる高級住宅街にはさらに多くのビルが建てられています。
この物価高が貧富の格差に拍車をかけ、イラクの新たな社会不安に繋がらないかを危惧しています。
著者プロフィール
- 牧野アンドレ
イラク・アルビル在住のNGO職員。静岡県浜松市出身。日独ハーフ。2015年にドイツで「難民危機」を目撃し、人道支援を志す。これまでにギリシャ、ヨルダン、日本などで人道支援・難民支援の現場を経験。サセックス大学移民学修士。
個人ブログ:Co-魂ブログ
Twitter:@andre_makino