「吠えなかった犬」を探しに
どこからか聞こえてくる歌声で目を覚ます。闇を手探りして見つけた時計は、午前2時を指している。歌声はそれほど遠くない。数十人の声に聞こえる。あるいはそれ以上か。
もちろんまだ眠い。しかし眠れない。歌声が少しずつ大きくなってくるだけでなく、ニワトリが朝の訪れを知らせはじめている。時計の針が4時半を指す。5時には起きるつもりだったので、着替えることにする。
5時すぎ、スティーブンが僕の部屋をノックする。予定どおりの時間。彼はまだ若いのだが、ここジョセファ村の「ビッグマン」だ。
ビッグマンというのはチーフ(村長)の下にあるポストだそうだから、助役というところだろう。しかしスティーブンの話を聞いていると、村人たちのよろず相談所のような役割のようだ。土地をめぐる紛争があれば西へ走り、職探しの書類が必要な人がいれば東へ走り、ドメスティックバイオレンスがあれば北へ走る。
身長が195センチほどあって、いかついスティーブンを前にすると、助役というよりは「若頭」と呼びたくなる。ともかく若頭は、朝の5時すぎに僕を起こしに来てくれる。
「ヘイ、マン(Hey, man)」と、スティーブンは口を開く。「よく眠れたか」。実は2時に起きた、歌声が聞こえたものだから、と僕は答える。「そうか」と、スティーブンは言う。「それは教会のミーティングだ。今も続いていて、俺はちょっと抜けてきた。オールナイトで歌ったり語り合ったりするミーティングをたまに開く。日曜の午後まで続く」
「ヘイ、マン」と、またスティーブンは言う。「いま必要なものを言え。俺がすべて準備する」。僕は熱いお湯と熱いお茶をお願いする。「それで全部か」と彼は念を押す。全部ですと僕は言う。
ジョセファ村は南アフリカの北東部に位置するリンポポ州にある。ここにやって来たのは、クルーガー国立公園が近いためだ。動物ウォッチングのサファリツアーで知られる場所だが、公園内にあるプライベートロッジはべらぼうに豪勢で、べらぼうに高い。そんなところに宿泊してまで動物を見たいわけではないので、クルーガーの西側にあるゲートまで車で10分ほどのジョセファ村にお世話になった。
ジョセファ村には、ヨハネスブルクやケープタウンやダーバンとは似ても似つかない風景がある。僕が2晩泊めてもらったのは、2枚目の写真にある円形の草葺き屋根の家だ。


スティーブンがお湯の入ったバケツを持ってきて、部屋にあるたらいに注ぐ。僕はそれを使って顔を洗う。この村は電気だけは通っているが、湯沸かし器のような設備がないことは明らかだ。おそらく浴槽のない家がほとんどだろう。
「教会では、きみの旅の安全も祈った」と、スティーブンは言う。「大丈夫だ。すべてはジーザスがちゃんとやってくれる」。ありがとうと僕は言う。もう少しゆっくりしたかったですね、とも言う。本当は早くヨハネスブルクに戻って、シャワーを浴びたい気持ちもあったのだが。
「ヘイ、マン。こういうことじゃないのか」と、スティーブンは言う。「きみはいつでもここに戻ってこられる。またこの家に泊まればいい。ノープロブレムだ。いつでも来い」。ありがとうと、僕はまた言う。スティーブンは言う。
「で、いつだ。いつ戻ってくる?」
ワールドカップ決勝の朝はそんなふうに始まった。
6時になり、ダニエルが車でやって来る。地元の高校の副校長をしている彼が、40キロほど離れたマルムーレの町まで送ってくれる。マルムーレからバスに乗り、ヨハネスブルクまで行く。
切符を買って、あらかた席が埋まっているバスに乗り込む。バスの乗客は黒人ばかりだから、東洋人は目立つ。乗車口から通路を進む間に人々の視線を浴びつづけるのにも、かなり慣れた。ここが空いているから座ったらいいと、誰かが声をかけてくれる。
バスが出る。隣に女の子の2人組がいて、「どこから来たの」と声をかけてくる。日本と僕は答える。2人はヨハネスブルクにあるヴィッツ大学の学生だという。英語が上手だ。英語は南アフリカの公用語だが、その運用能力は人によって大きく違う。環境と教育程度によるようだ。ジョセファのような村には、英語を話せる人は少ない。
「いつから南アフリカにいるの?」と、女の子の1人が言う。1カ月と僕は言う。「1人で?」。1人で。「家族は?」。日本に。「1カ月も家(ホーム)を離れているの?」。そう、1カ月も。「この人はいったい何を考えているのかしら」という目で、彼女は僕を見る。
こちらの人には、けっこうこういう反応をされてきた。1カ月も「ホーム」を離れるというのは、南アフリカの人たちにとっては非常識なことであるらしい。でも仕方ないじゃないか、この1カ月はワールドカップだったのだから。
バスはようやくヨハネスブルクに着く。午前7時にマルムーレを出て、今は午後3時半。8時間半かかった。
到着したパーク駅にはブブゼラが鳴り響いている。スペインの国旗を身にまとったファンと、オランダのオレンジ色の山高帽をかぶったファンが、決勝の行われるサッカーシティーへ向かう電車に乗り込む。僕は疲れているが、彼らは元気だ。自分の国がワールドカップの決勝を戦うというのは、どんな気持ちなのだろう。
決勝はソウェトのファン・フェスト(パブリックビューイング)で見た。会場はエルカ・スタジアムというところ。スタジアムといってもスタンドがあるわけではなく、公園の大きな広場という感じだ。
南アフリカに来た最初の日にもファン・フェストに行った。ヨハネスブルクのサントンにある会場で、南アフリカ-メキシコの開幕戦だった。南アフリカ代表の黄色いシャツを着た数万の人が集まっていた。
今夜もあのときの盛り上がりを期待していたのだが、そうはならなかった。夜ということもあって、それほどの人出はない。何しろ寒い。日中は暖かいヨハネスブルクだが、日が落ちると急速に冷える。それでも5000人ほどは集まっていただろう。


ソウェトの人たちは明らかにスペインを応援していた。日本がオランダと対戦したとき、地元ファンの大半は旧宗主国のオランダに肩入れしていたのに、いったいどうしたというのだろう。スペインサッカーの魅力が、古くからあるオランダへの親近感にもまさったということか。
延長後半にアンドレス・イニエスタのゴールが決まり、スペインがリードすると、会場の前のほうにいる誰かが花火を上げはじめた。スクリーンの高さまで上がるのが精一杯のかぼそい花火。この寒さの中では寂しいだけだが、それは試合終了まで続けられた。スペインが優勝を決めると、人々は歓声をあげ、ブブゼラを鳴らした。
最終回だから、連載の最初に書いたことに立ち戻る必要があるだろう。このブログの初回に、大会前の日本を覆っていた2つの空気について書いた。1つは「南アフリカは危ない」、もう1つは「日本代表はだめだ」。ふたを開けてみたら、どちらもはずれた。
まず「南アフリカは危ない」。大会期間中の深刻な犯罪は、報道されているかぎりでは、ほんの数えるほどにとどまった。このブログを読んでくれている方はおわかりのように、僕自身、危ない目にはただの一度も遭遇していない。それどころか、あまりにフレンドリーに接してもらって驚くことのほうが多かった。大会前に主にメディアによって描かれていた「強盗だらけの国」というイメージは、現実とは遠かった。
「日本代表はだめだ」も似たようなものだ。もうすっかり忘れられているかもしれないが、大会直前には、日本代表が0勝3敗で帰ってきても誰も驚かないような雰囲気があった。しかし日本代表は2勝1敗でベスト16に進出し、未明の試合中継は40%を超える視聴率を記録した。
6月初めまでの日本では、「吠えた犬」のニュースばかりが伝えられていたのだ。メディアは「犬は吠える、困ったものだ」という問題設定をする。そうなったが最後、犬が吠えたことしか伝えられなくなる。「ほら、南アフリカはこんなに危ない」「ほら、日本代表はこんなに弱い」と。実は「吠えなかった犬」はたくさんいるのだが、そちらは見向きもされない。
もっとも「日本代表はだめだ」のほうは、大会直前に布陣を変えたことが結果的には当たったともいえるから、メディアが誤ったネガティブな情報を伝えていたとばかりは言いきれない。いま気になっているのは、代表がラウンド16で敗れてからのメディアでの扱われ方だ。南アフリカからウェブ上の新聞記事を読むかぎりでは、ベスト16にまで進めた原動力は「チームワーク」であり、しかもそれは大会が進むにつれて醸成されていったという評価が主流になっている。
どうして「チームワーク」なのだろうと思う。3-1と快勝したデンマーク戦の得点を思い起こせば、本田圭佑と遠藤保仁のフリーキックであり、本田の切り返しからの岡崎慎司のゴールだ。どれも個人技と言っていい。それなのに今回の日本代表についてチームワークのよさが強調されるのは、「日本代表」という名のサッカーチームを「チームワークのよかった集団」として理解したいという欲求がメディアと受け手の両方にあるためとしか思えない。
その欲求の根っこにあるものは何だろう。
決勝から一夜明けた月曜日のヨハネスブルクは、とても寒かった。いくら冬だといっても、これまでは東京で言えば11月くらいの陽気の日が多かったが、この日は東京の1月の感じだった。今週はこんな天気が続くらしい。今までどこか遠慮していた寒波が、大会閉幕とともに一気に押し寄せてきたかのようだ。
寒さと曇り空のせいか、街もきのうまでとは違って見える。いたるところにあった各国の国旗も少なくなり、何より人が少ない。
僕のゲストハウスがあるメルヴィル地区の7th Streetは、ヨハネスブルクでも指折りのおしゃれな通りだが、ここもやけに暗く見える。大会期間中はあんなににぎやかだったのに、閉幕とともに火が消えたかのようだ......と思ったら、本当に明かりが消えている。どの店もろうそくを灯している。
聞いてみると停電だという。南アフリカの電力不足については以前の記事にも書いたが、ワールドカップ期間中は大きな事故もなく持ちこたえてきた。だが決勝が終わったとたん、明かりは消えた。
どうやら天気も電気も、いっぱいいっぱいだったようだ。僕もそろそろ「ホーム」に戻ったほうがいいのだろう。
とりあえず、帰ります。最後までブブゼラは吹けませんでした。
*まだまだ南アフリカからtwitterでつぶやいています。
*南アフリカから帰国後の7月19日(月・祝)に、「ワールドカップ『退屈』日記・総集編」と題したトークイベントを開催します。詳細はこちら。
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南アで記憶に残った言葉たち
この国にいた1カ月の間、いろんな言葉を耳にした。今も忘れられないものの一部をノートから書き出してみる。
Soccer train, this way! Straight to Brazil!
(サッカートレインはこちら! ブラジル直通です!)
ヨハネスブルクのパーク駅の駅員。ブラジル-チリ戦が行われるエリスパークへの電車を案内して。
We buy Japanese cars too much. Why not buy something?
(私らは日本の車をさんざん買ってるんだから、何か買っていきなさいよ)
ヨハネスブルクのパブリックビューイング会場で土産物を売っていたおばさん。そう言われても欲しいものがなかったから、「日本に帰ったら南アフリカのワインを買いますから」と答えた。
Look out nicely, baby!
(しっかり探すのよ、ベイビー!)
ダーバンのホテルをチェックアウトする寸前に、僕が財布を見つからないと言っておろおろしていたら、ホテルのパワフルなおばさんが言った言葉。僕は盗まれたのではないかと一瞬疑ったのだが、トイレに置き忘れていただけだった。「ベイビー!」のひと言にノックアウトされた。
Guten morgen! Buenos dias!
(グーテン・モルゲン! ブエノス・ディアス!)
ケープタウンの土産物店の店員。ドイツ-アルゼンチン戦が行われる日の朝、店に入ってきた客にとりあえずドイツ語とスペイン語の両方で挨拶して。
That's a taxi driver's ultimate dream!
(そいつは、タクシー運転手の究極の夢だね!)
ダーバンのタクシー運転手、マイケル。「ワールドカップももうすぐ終わっちゃうな」と彼が言うので、僕が「最初は永遠に続くんじゃないかと思いましたけどね」と返したら、爆笑してこう言った。
We were a vegetable eating, healthy nation. But whites brought many bad things - meats, cigarettes, and drugs.
(ここはもともと、野菜が大好きでヘルシーな国だった。でも、白人が悪いものをたくさん持ち込んだ。肉にタバコ、それからドラッグ)
ソウェトに住むモテオ・ムプテ(僕のホストファミリー)。彼は漢方薬を売る仕事をしている。
Now South Africa is pretending to be one nation. The media has made them do so since three or four months ago. The question is what happens after the festival.
(いま南アフリカは、ひとつのまとまった国を演じている。3~4カ月前から、メディアがそう仕向けてきた。問題は祭りが終わった後だ)
ヨハネスブルク在住のジャーナリスト、ルンギレ・マディワベ。ショッピングモールのレストランでペンネ・アラビアータを突っつきながら。
Nothing, because I am a porter.
(別に。僕はポーターだもの)
ヨハネスブルクの5つ星ホテルのポーター。「ワールドカップはあなたに何をもたらしたか」という質問に。
*原稿にする前のつぶやきも、現地からtwitterで配信しています。
*南アフリカから帰国後の7月19日(月・祝)に、「ワールドカップ『退屈』日記・総集編」と題したトークイベントを開催します。詳細はこちら。
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ソウェトで食べたい牛すじ煮込み
「南アフリカのソウェトって知ってるでしょ?」と聞かれて、「うん、知ってる」とすっと答えられる日本人は、たぶんそんなに多くないだろう。「ソウェト」という言葉は聞いたことがある、でも人の名前だろうか、地名だろうか、それとも料理の名前だったか......。そんなところじゃないかと思う。
僕もそうだった。まあ地名であることは知っていたし、それがアパルトヘイト(人種隔離政策)に関係することもなんとなく知っていた。でも、ソウェトとはどういうところかと聞かれて、すっきり説明できる基礎知識は持っていなかった。でも、そんなもんですよね。
学習の成果を披露するなら、ソウェトとはヨハネスブルクの南西部に広がる地域で、アパルトヘイト時代のタウンシップ(黒人居住区)である。人種隔離政策の下で黒人が強制的に住まわされていたエリアである。ソウェト(Soweto)の名は、South Western Townshipsの頭の2文字ずつをとった略称だという。
もう少し何とかならなかったのだろうか。いくら略称だといっても、この呼び方には夢も希望もない。アパルトヘイト下の黒人居住区だから当たり前だが、同情のかけらもない。「とりあえず事務仕事がはかどればいいんだから、適当に短くしておこう」というノリが見え見えである。
ともかく、そのソウェトに行ってみた。ただ行くだけでなく、現地の家庭にひと晩お世話になるというツアーである。名所を回るのも車やバスで乗りつけるのではなく、地元の人と一緒にミニバス(乗り合いタクシー)に乗り、あとは歩く。
最初だけは迎えの車に乗って、ホストファミリーの家まで送ってもらった。それまで泊まっていたヨハネスブルク郊外のホテルを出発し、ほんの20分ほど走ると、「Welcome to Soweto」という標識が見えてくる。それを過ぎると風景が一変する。家が違うし、並び方が違う。
いちばん異なるのは、風景のなかに土とほこりが多いことだ。ソウェトの人たちには失礼な言い方だが、地球から火星に行くと、こんなふうに感じるのかもしれない。


ホストファミリーは、お母さんのデイジーと、32歳のモテオを頭に息子が3人。お父さんがいない理由は聞かなかった。モテオと次男のネオは一緒にビジネスをしていて、"distributor" だと名乗った。何をディストリビュートしているのかと尋ねると、"herbal medicine(漢方薬)" だという。どのくらいの規模のビジネスかは聞かなかった。
家はリビングとキッチン、それにベッドルームが1つ。別棟にさらにベッドルームが2つあって、僕はその1つを使わせてもらった。いつもは3人兄弟の1人が使っている部屋なのだろう。
お土産に持ってきていた日本手ぬぐいをデイジーにあげると、"Lovely. Beautiful" と喜んで、頭に巻いてしまった。ちょっとピンぼけですが、そのときの写真。左からネオ、デイジー、モテオ。

現地で僕のガイドをしてくれたユーニス(地元に住む女性である)によれば、ソウェトの人口は約430万人だという。公式の統計でははるかに少ないことになっている。これは、ジンバブエやスワジランドといった近隣諸国から出稼ぎに来てソウェトに住む人たちが、統計からこぼれ落ちているためでもあるらしい。
彼女によれば、ソウェトの失業率は53%。職をもつ人が、2人に1人いないということである。もうこうなると、失業率という統計の意味はなくなっているようにさえ思える。
再びユーニスによれば、ソウェトを訪れる観光ツアーの多くは、ずっとバスに乗っている。名所に着いたらバスから降り、写真を撮る。まあそのくらいなら、どんな観光ツアーにもありがちだが、ソウェトの場合は写真もガラス越しに撮るようにしているツアーがあるという。サファリツアーでもこんなことはないだろう。それもこれも、ソウェトが危険だという思い込みからだ。
ソウェトには、おそらくどんなツアーも必ず寄る名所が3つある。1つは1955年に「自由憲章(The Freedom Charter)」という文書が採択されたキップタウンという街だ。「自由憲章」はネルソン・マンデラが大統領になって制定された南アフリカ憲法の根幹になった文書で、10カ条からなる。
第1条は「The People shall govern!」。びっくりマークがついているのがいい。そのまま日本語にすると「民衆が統治する」という面白くもない文になるけれど、この憲章を採択した人びとの気持ちとしては、「この国を動かすのは、私たちだ!」くらいのニュアンスだったろう。
2つめは1976年に起きた「ソウェト蜂起」に関連するメモリアルである。この蜂起の中心は、中学生、高校生だった。彼らは学校の授業や施設に不満をため込んでいた。そこへ政府が、授業で使う言葉を「白人支配層の言語」であるアフリカーンスに限定するという方針を示したから、もう我慢できなくなった。
抗議デモには1万人以上が参加した。若いデモ隊に向けて、警官隊は催涙弾を発射した。若者たちは武器を持っていなかったから、石を投げた。
すると警官隊は実弾を発射した。ヘクター・ピーターソンという13歳の少年が死亡した。
「自由憲章」を記念するメモリアルと博物館も、ピーターソンの博物館も、アートなセンスが生かされた素敵な展示が多かった。重い歴史を語っているのに、しかめ面をしていないから、見ていて楽しい。楽しいだけに、軽やかな説得力がある。
3つめはビラカジ通り。このストリートは、2人のノーベル平和賞受賞者を生んだことで知られる。マンデラとデズモンド・ツツ大主教だ。ここにはマンデラ・ハウスという立派なミュージアムがあって、いつもツアーバスがとまっている、入場料が60ランド(約720円)もするので、僕はパスしてしまった。
ソウェトを歩いていると、1ブロックに1カ所くらい、シャック(shack)と呼ばれる掘っ立て小屋の集まった場所がある。1つの区画(ユーニスは英語で "yard" と言っていた)に10〜15軒のシャックが立っている。ユーニスの友だちが住むシャックに案内してもらった。

中にも入れてもらった。日本式に言えば6畳くらいのワンルームで、ベッドがあり、テレビがあり、電気コンロを置くスペースがある。広角レンズがないのでうまく撮れなかったが、こんな感じの部屋である。3人家族で暮らしていて、家賃は月額250ランド(約3000円)だという。

シャックのヤードには子どももたくさんいる。ある家にけっこう大きなスピーカーがあって、それが外に向けられている。洗濯物を干すスペースが子どもたちのダンスフロアになった。
観光名所以外の場所を歩いていると、東洋人などめったに来ないから、それはもう好奇の目で見られる。「こいつは何者だ」という目で、じーっと見つめられることもあるし、「アチャー!」とカンフーのまねをされることもある。だからそれは、日本のものじゃないんだってば。
大人がカンフーなら、子どもたちは写真だ。「撮っていい?」と聞くと、みんなウワーッと寄ってきて、さっと並ぶ。まるでこういうときの並び方が決まっているかのようだ。


ソウェトのランドマークの1つが、クリス・ハニ・バラグワナス病院。ベッド数が3000という巨大な病院で、年におよそ1万6000人の赤ちゃんが生まれるという。平均すると1日44人の計算だから、これは相当に忙しそうだ。
バラグワナス病院の近くにはマーケットがあり、野菜、果物、古着、菓子などが並んでいる。リンゴを1つ買ったら、2ランド(約25円)だった。こうした屋外のマーケットだけでなく、普通のスーパーでも肉や野菜はとても安い。今の為替レートだと、だいたい日本の半分から3分の1の値段だ。「南アフリカのフードは質がよくて安いんだ」と、地元の人は誇らしげによく言う。

すごかったのが「CDショップ」だ。CD−Rに曲をコピーして売っている。もちろん違法なのだろうが、数百枚の白いCDが並ぶと、それはそれで妙に美しくもある。

マジックインキで「ゴスペル」と書かれたCDを買った。15ランド(約180円)。ラップトップに入れてみたら、アルバム10枚分が入っていた。まあ、お得といえばお得である。
ツアーの仕上げはランチ。ユーニスが連れていってくれた "Roots" というレストランは、あたりの風景とはまったく違うおしゃれな店だった。メニューのなかに、どんな料理なのかわからないものがあった。Mogodu(モホドゥ)という料理。ユーニスに聞くと、 "Inside a cow, not meat(牛のものだけど、お肉じゃないのよね)" と言う。彼女も英単語が出てこないらしい。
運ばれてきたそれは、少し緑色がかっている。口に入れると牛すじである。カレー味で煮込んである。おいしい。

南アフリカの家庭料理だそうだ。こういうものを食べられる店がヨハネスブルクにないだろうかと、僕はユーニスに尋ねる。彼女は悲しそうに首を振る。「ソウェトだから食べられるのよ」
わずか26時間しかいなかったけれど、ソウェトはとても楽しめた。車に乗って、また火星から地球へ戻る。
ツアーを企画している団体のウェブサイトには「南アフリカを訪れる人は、まずソウェトへ行くべきだ」と力を込めて書かれている。でも「行くべきだ」と気合いを入れて行くのも、なんだか重ったるい。
ワールドカップの試合会場の1つで、決勝も行われるサッカーシティーは、ソウェトのすぐ近くにある。観戦のついでにソウェトを初めて訪れる地元の白人が増えていると、こちらの新聞は報じていた。そんなきっかけでもいいのだろうと思う。
ツアーに参加してもいいけれど、バスを降りて歩いてみたら、もっと楽しいことがある。さらにいくばくかの幸運があれば、おいしい牛すじ煮込みにもありつける。ソウェトはそんな場所である。
*原稿にする前のつぶやきも、現地からtwitterで配信しています。
*南アフリカから帰国後の7月19日(月・祝)に、「ワールドカップ『退屈』日記・総集編」と題したトークイベントを開催します。詳細はこちら。
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これが南アフリカの7不思議
南アフリカに来て、そろそろ4週間。最初はわからなかったり、とまどったりしたことも、けっこう自分の中で常識になってきた。
たとえばこの国のスーパーマーケットではビールが売られていないことを、もう僕は知っている。最初は店を何周もして探したが、ビールはリカーショップでないと置いていないことがわかった。ライセンスの関係なのだろう。
ワインなら、スーパーマーケットにたくさん置いてある。最初は安さに驚いて、買うのが逆に怖かった。でも日本円にして500円くらいのもので、ふつうにおいしいことがわかった。
タクシーもそう。ほとんどの車にはメーターがついていないので、ドライバーの言い値で払うか、交渉をすることになる。最初は言われたとおりに払っていたのだが、似たようなルートを別のタクシーで乗ったりすると、彼らの言い値は「ワールドカップ価格」の場合があることがわかってきた。
このごろは「高いな」と思ったら、「ねえ、冗談でしょ?」と言えるようになった。すると運転手は、すぐに値段を下げる。きのうなんか300ランドと言っていたのに、いきなり200ランドになった。そんなとき彼らは「ちょっと言ってみただけじゃないか、マイフレンド」みたいな口調になる。マイフレンドなら適正価格で乗せてほしい。
もちろん、いくら4週間いても、どうにもわからないことはたくさんある。いまだに解明できない「南アフリカの7不思議」をあげてみる。
1 冬のスタジアムでアイスクリームが売られている
いま南アフリカは冬である。温暖なケープタウンやダーバンは別として、ヨハネスブルクあたりの人は、けっこう「寒い、寒い」という。「寒くてごめんね、今は冬なんだよね、仕方ないんだよね」と、申し訳なさそうに言うこともある。
冬のはずなのだけれど、ワールドカップのスタジアムでは決まってアイスクリームが売られている。ビールが売られているのと同じようなものだから、騒ぐようなことではないのかもしれない。でもビールはスタンド内までは売りに来ないが、アイスクリームは売り子が座席までやって来る。また、これをみんなよく買うのだ。

そもそも南アフリカの人たちは甘いものが好きみたいだ。レストランなどで会計を頼むと、伝票と一緒に必ずキャンディーなどを持ってくる。ブルームフォンテーンのホテルでは、朝食のビュッフェにアイスクリームのコーナーがあって驚いた。太めの人が目につくのは、国を挙げて甘党のせいかもしれない。
南アフリカ大会は、ワールドカップ史上初めてスタジアムでアイスクリームが売られた大会として記憶されることだろう(されないか)。
2 歩行者用信号の「青」の時間が短すぎ
歩行者用信号の青の時間が非常に短い。歩行者が横断できる時間は日本と変わらないのだが、それを青ではなく、赤を点滅させて示すのだ。
たとえば、歩行者が30秒間渡れる横断歩道なら、青はほんの1秒ほどで、残りの29秒は赤が点滅する。1秒しか表示されない青を見逃したら、あとは赤の点滅。これを「渡るな」という意味に解釈したら、横断歩道は永遠に渡れない。
こちらに来たばかりのころは、点滅する赤の意味がわからなかったので、信号が何度変わっても、じっとそこにたたずんでいた。赤が点滅しているときに地元の人たちが渡っていることに気づき、ようやく学習したというわけである。
でも赤が点滅しているのは、せかされている気がして落ち着かない。せめて15秒くらい青にしてもいいんじゃないかと思うのだが、何か理由があるのだろう。
3 ワールドカップ中継の音が途切れる
テレビでワールドカップ中継を見ていると、現場の音がふっと途切れることがある。ごくごくたまに1〜2秒途切れるだけだから、テレビ中継ではありがちなことかもしれないが、これがほぼすべての試合で起こるとなるとそうとも言えないだろう。たまたま事故が起きたのではなく、何か根本的な問題があることになる。
まだ原因を突き止めていないのだが、電力不足と関係がないだろうか。一説によれば、南アフリカの電力供給能力は需要の半分程度しかないのだそうだ。テレビを見ていると、たまにニュース速報みたいに "Energy Alert"という文字が出て、「電気の使いすぎに注意してください」と呼びかけるテロップが表れる。
ホームステイをしたポートエリザベスでは、行政によって月々の電気使用量の抑制目標が決められていた。たとえばある家庭の目標値が300kwhだったら、それをクリアすると無料の電力使用枠がごほうびとして与えられるのだという。
逆に目標値を超えて電気を使いたいときは、電気を「買いに」行かないといけない。近所の雑貨店などに行き、「30キロワットください」などと言って、お金を払う。するとパスワードとなる20ほどの数字が並んだレシートをくれる。この数字を各家庭のキッチンに据えつけられている機器に入力すると、30kwhが使えるようになるという仕組みだ。ホームステイ先にあった機器はこれ。

こんなシステムを運営する費用があれば、発電所の1つや2つ建てられそうな気もするが、そういうものでもないのだろう。「電気を使うということに、とても意識的になる」と、ホストファミリーのお父さんは言っていた。エコなご時世には見習うべき部分があるのかもしれない。
4 ミニバスの料金をなぜかみんな知っている
ミニバス(乗り合いタクシー)のちょっと面白いシステムについては以前の記事でも紹介したが、いまだにわからないことがある。ルートによって料金はまちまちだし、どこかに料金が表示されているわけでもないのに、乗客が正確に知っているのだ。
あまりに不思議なので、地元の人とミニバスに乗るたびに「どうしてみんなわかるんですか」と聞いている。すると「こいつは何を不思議がっているのだ」という顔をされ、「誰かが知っているからわかる」「運転手に聞けばわかる」といった答えが返ってくる。でも実際、周りの乗客や運転手に尋ねている人を見たことがない。
5 巨大ショッピングモールに案内板が見つからない
南アフリカでお買い物といえば、ショッピングモール。これがけっこうな規模で、場所によっては店舗が数百店入っているところもある。
これまで南アフリカで行った最大のショッピングモールは、ケープタウンのウォーターフロントにあるものだ。海辺の広大な敷地に建てられたモールは、店舗数450。僕が行ったときは日曜日だったうえに、前日に対戦があったドイツとアルゼンチンのファンが押し寄せていて、ちょっと人に酔ってしまった。
そんな巨大モールで不思議なのが、店の位置を示す案内板がなかなか見つからないことだ。日本だったら、入り口に近いところに案内板が目立つように設置されているだろうし、客が自由に持って行けるマップが置かれているだろうけど、そんなことはまったくない。450店あるケープタウンのモールで、確認できた案内板は1カ所だけだった。
どう考えても、目的の店に簡単に行けるとは思えない。実際、僕はとても苦労した。地元の人たちにとっては、目的の店に行くことがショッピングモールに出かける目的ではないのかもしれない。
6 レストランやカフェのスタッフがやたらと多い
30席くらいの外食店に、ウェイター、ウェイトレスが10人くらいいたりする。だから客が少ないときは、みんなずらっと並んで、暇そうにおしゃべりしている。それはそれで悪くない時間の過ごし方にみえるけれど、人をよけいに雇えば人件費がかさむわけだから、どうなのだろうと思う。
地元の人に聞いたら「賃金が安いからかもしれないね」。でも、賃金が安いから人をたくさん雇えるのか。それとも人をたくさん雇っているから、賃金が安く抑えられているのか。
7 みんな、どうしてこんなに人がいいの?
南アフリカの人たちはとてもフレンドリーだ(もちろん、たいていの人はということだが)。
タクシーに乗ると、運転手が「やあ、僕はマイケルだ」と自己紹介して握手を求めてくる。東洋人がレストランでひとり寂しくビールを飲んでいると、3人ぐらいのグループが「こっちに来ないか」と誘ってくれる。ポートエリザベスのホストファミリーのお父さんは、スタジアム周辺のとんでもない人混みの中で、ずっと僕の手を握って誘導してくれた。
少なくとも、100メートル歩けば身ぐるみをはがれるような「強盗だらけの国」ではない。
*原稿にする前のつぶやきも、現地からtwitterで配信しています。
*南アフリカから帰国後の7月19日(月・祝)に、「ワールドカップ『退屈』日記・総集編」と題したトークイベントを開催します。詳細はこちら。
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今さらですが、反ブブゼラ宣言!
ケープタウンに来ている。もっと早く来ればよかったと思う。ほんとにいい街である。
ここはほとんどヨーロッパだ。古い建物が多く、こじんまりして居心地がいい。街歩きが好きな僕みたいな者にとっては、どこへでも歩いて行けるのがこたえられない。ヨハネスブルクではできなかったことだ。
スタジアムへも街の中心部から歩いて行ける。6万5000人収容の最新鋭のスタジアムが、ウォーターフロントと呼ばれるエリアにある。ちょうど横浜の日産スタジアムが新横浜ではなく、「みなとみらい21」にあるような感じだ。
そのすてきなスタジアムで、アルゼンチンがドイツに0-4と惨敗した試合を見たのだが、相変わらずブブゼラがうるさかった。もっとブブゼラがすさまじかったのは、その前日にヨハネスブルクで見たガーナ-ウルグアイ戦だった。
この試合のスタジアムに向かうシャトルバスで、僕はアルジェリアから来た男性と話をした。「今日はウルグアイのサポーターが200人くらいだな」と、彼は言う。「残りの8万4800人はガーナの応援だ」。唯一残っているアフリカのチームがガーナなので、地元・南アフリカをはじめ、アフリカ諸国から来たファンはみんなガーナをサポートするというのだ。もちろん彼の手には、ブブゼラがしっかり握られている。
試合が始まると、彼の言ったとおりになった。ガーナがチャンスをつかむと、ブブゼラが鳴り響く。すさまじい。僕は耐えきれず、初めて耳栓をつける。スタジアムに向かう道では、耳栓がけっこう売られている。ブブゼラと耳栓を一緒に売るのはやめてほしい気もする。
ともかく、このブブゼラの大演奏を聞きながら、思ったことがある。ガーナの選手はブブゼラに元気づけられているのだろうか? 僕には騒音にしか聞こえない音でも、アフリカの人には何か意味のあるものに聞こえているのだろうか? たぶんそうではない。ガーナの敗因のひとつは、ブブゼラの大演奏だったかもしれないのだ。
試合は1-1のまま延長に入る。延長終了間際にガーナがPKを得る。盛り上がるスタジアム。もう勝利は「我ら」のものだ。ブブゼラが大音量で鳴り響く。PKを取ったときの動画ではないが、こんな感じである。
だがブブゼラの応援にもかかわらず、PKは失敗する。延長が終わり、勝敗はPK戦にゆだねられる。
PK戦開始。ガーナが蹴るときはブブゼラが鳴り響く。ウルグアイが蹴るときはブーイングが飛ぶ。僕の耳には、ブブゼラとブーイングの区別がつかない。あるいは、ガーナの選手にとっても同じだったのではないか。
ワールドカップに出るくらいの選手なら、ふつうPKは利き足と逆の足で蹴っても必ず決まる。そんな彼らに失敗させるものがあるとすれば、ひとつは120分走った後の疲労であり、もうひとつはそのときの空気である。ブブゼラによる大声援は、PKを蹴ろうとするガーナ選手にとって邪魔になったのではないか。もしスタジアムが静寂を保っていたら、彼らはもっと集中できたのではないか。
PK戦の間に僕の席の近くで、「ガーナ! ガーナ! ガーナ!」と立ち上がって叫ぶ一団があった。もし8万4800人がブブゼラを鳴らさずに「ガーナ!」の大合唱をしていたら、声は確実にガーナの選手に届いただろう。何よりウルグアイにとっては、大変な脅威になったはずである。
サッカーの試合で最も美しいもののひとつは、観衆の「声」じゃないかと思う。ブブゼラはそれを消し去り、雑音をつくり出す。
駒野友一がパラグアイ戦でPKを失敗したときも、ブブゼラが大音量で鳴っていた。地元ファンの多くが日本を応援してくれていたためだ。けれど、もしスタジアムが静かだったら? ひょっとしてひょっとしたら、ひょっとしてひょっとしてひょっとしたら、駒野のキックはバーに当たらなかったかもしれないのだ。
パラグアイ戦でブブゼラが大音量で鳴り響いたのは、日本のファンが少なかったためだ。サポーターが母国からたくさん来ている国の試合は、ブブゼラを持ち込む地元ファンが少なくなるから、声がしっかり聞こえる。その筆頭がイングランドのファンだ。彼らはこんなふうにコールする。ブブゼラは鳴っているが、声が勝っている。
今大会の開幕直後にブブゼラが問題になったとき、FIFA(国際サッカー連盟)は「開催国の文化には介入しない」と言って、ブブゼラによる応援を容認した。政治的には正しい判断だが、「サッカー的」にはまちがっていた。開催国の文化が何でも許されるとしたら、次に日本でワールドカップを開催できたときには、尺八や津軽三味線をスタジアムで鳴らしていいことになる。それはそれでユニークなワールドカップになりそうだけれど、やっぱりサッカーのスタジアムにはそぐわない。
ブブゼラは由緒ある民族楽器かもしれない。でも、いま南アフリカのスタジアムで鳴っているのは、それとは別物だ。ただただ不快な音を出し、サッカーの美しさを損ねるプラスチック製のラッパでしかない。
*原稿にする前のつぶやきも、現地からtwitterで配信しています。
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