イラクの政情が不安定化し、シーア派内戦の危険性が高まっているのはなぜか
Giving Iraq to Iran
こうしたことから、サドル派とクルド人連合はすぐに組閣には移れなかったが、ゆっくりと前進はしていた。
ところがそこで、親イラン政党の会派「調整枠組み」が、イランの影響下にあるイラクの司法を利用する手段に出た。
大統領が組閣を指示する会派は、議会の単純過半数ではなく、議席の3分の2の絶対安定多数を確保していなければならないという判断を、イラク最高裁に下させたのだ。
サドルの政党はこの基準を満たせなかったため、6月に73人の議員全員が辞職して、選挙のやり直しを求める戦術に出た。サドル派の議席はイラン勢に分配された。
この司法クーデターの首謀者は、ヌーリ・マリキ元首相だ。2006~2014年の首相時代に、桁外れの汚職と悪質な宗派政治を進めたマリキが親イラン勢力と手を組み、再びキングメーカーとして裏で糸を引いているのだ。
サドルとマリキは2008年の「バスラの戦い」でマリキの政府軍がサドルのマハディ軍を討伐して以来、シーア派指導者の座をめぐりライバル関係にある。
だから7月25日に「調整枠組み」がマリキの仲間のモハメド・スダニを首相に指名すると、サドルは支持者に議会を占拠して首相選出の投票を阻止するよう促した。
米関与の欠如は意図的
8月末の時点でサドル派は議会占拠をやめたようだが、政府機関や大使館が集まる旧米軍管理地域(グリーンゾーン)にとどまり、スダニの首相選出を妨害し続けている。
さらにサドルは、議会の解散と選挙のやり直しを求めており、「調整枠組み」はこれに反対している。
膠着状態の長期化は、シーア派の内部対立が暴力的なものに発展する危険性を高めている。また、昨年の選挙で示された民意に反して、イラクの政治におけるイランの影響は大きくなる可能性が高い。
アメリカがこうした展開を阻止できたかどうかは分からない。それでも、バイデン政権がそのための努力をした気配は、あまりにも乏しい。
議会選からサドル派議員の一斉辞任までの約9カ月間に、米国務省と国家安全保障会議(NSC)の高官がイラクを訪問したのはわずか2回。アントニー・ブリンケン米国務長官も、イラクの意思決定者らに何度か電話をかけただけだった。
アリーナ・ロマノウスキ駐イラク米大使が一定の圧力をかけたかもしれないが、ワシントンの十分なサポートがあったようにはみえない。
つまりアメリカの関与の欠如は、過失ではなく、意図的な判断なのだ。実際、あるバイデン政権高官は昨年12月、「イラク人に自分たちで解決させる」と語っていた。