バルセロナ自動車テロを回避する方法はあった
ランブラス通りの事件現場で犠牲者を追悼する人々 Albert Gea-REUTERS
<社会的に孤立した若者が、過激な宗教指導者に感化され、ジハーディストになる3つの理由と3つの防止策>
スペイン北東部バルセロナなどで8月17~18日に起きたイスラム過激派のジハーディスト(聖戦士)によるテロ事件は、死者15人、負傷者130人の大惨事となった。その直後にテロ組織ISIS(自称イスラム国)が犯行声明を出したが、この事件はテロ対策の専門家が警告してきた「感化型ジハーディスト」によるテロ攻撃の典型だ。
テロ組織とのつながりが薄い人間が犯行に走る「テロの脅威の拡散」は、皮肉にも過去15~20年間の組織テロ対策の成果の表れとも言え、感化型テロという新たな問題がかえって深刻化している。スペインのテロ対策部門は優秀との評判だが、今回の事件を事前には察知できなかった。
このような感化型ジハーディストはなぜ次々に生まれるのか。理由は大きく分けて3つある。
第1に、感化型ジハーディストの集団には明確な組織構造がない。例えば、今回の事件では4人の容疑者が逮捕されたが、「テロ・ネットワーク」には何の影響もない。それ自体が、容疑者たちの間で共有されている概念にすぎないからだ。
現在のジハーディストによるテロの主体は、分散した人的ネットワークだ。ほとんどの場合、彼らは感受性の強い、社会的に孤立した若者たち。サッカーチームや家族、あるいはモスク(イスラム礼拝所)の集まりのような社会集団に属しているが、ある時点で狡猾なカリスマ的人物に感化され、過激化する。
バルセロナの事件でカリスマ役を果たしたのは、アブデルバキ・エス・サティという40代の過激派イスラム教指導者だったようだ。この人物はバルセロナの事件の直前、爆弾製造中の爆発事故で死亡した。
第2に、ジハーディストは痛みを伴う社会変化の副産物だ。グローバル化の波には誰も逆らえない。急激な変化にさらされた社会のごく一部は、暴力による浄化に訴えて、古いもの、つまり彼らにとっての「本物」の世界を守ろうとする。
【参考記事】アルカイダとISISの近くて遠すぎる関係
信仰のために他者を殺す
第3に、人類同士の争いと殺戮の根底には、絶対主義的な宗教上の信念があることが多い。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、いずれも中東に生まれた一神教であり、「他者」の殺害を正当化したり、時には強要する傾向があった。
ユダヤ教とキリスト教は、今では殺人につながる絶対主義を否定している。だがイスラム教だけは今も神の教えと、植民地主義やグローバル化がもたらす文化の破壊、現代世界の相対主義と意見の多様性、科学技術の融合に苦しんでいる。バルセロナの事件の若者たちは、信仰を守るためには他者を殺さなくてはならないと考えた。