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観光虐殺や苦痛の現場を訪ねる「ダークツーリズム」とは何か
2016年2月に北朝鮮の平壌で行った記者会見で、泣きながら赦しを求めた米大学生ワームビア KCNA-REUTERS
<北朝鮮で逮捕され、帰国後死に至ったアメリカ人大学生ワームビアは、「母親が行かないでほしいと思う場所を訪ねる」が売りのツアーに参加していた。ダークツーリズムだ。では、学生を連れてホロコーストの現場を訪ね歩く筆者の旅はどこが違うのか>
2016年夏のよく晴れた日、私は教え子の大学生たちと一緒に、松かさが転がるよく踏み慣らされた遊歩道を歩いていた。誰もが憂鬱そうだった。鳥のさえずりや、緑の丘で草の上の雫が太陽の光の中に消える美しい光景を見ても、気分は晴れない。
ほんの一昔前、ここで何が起きたかを知っているからだ。
そこはリトアニアの首都ビリニュス郊外にあるポナルの森。第2次大戦中、ビリニュスと近郊の村に住む老若男女のユダヤ人7万2000人が、ナチス・ドイツとその手先によって虐殺された場所だ。
筆者の専門はホロコースト(ユダヤ人大虐殺)で、研修のため中欧のあちこちにあるホロコーストの現場に学生を連れて行く。虐殺の現場を実際に訪れて、学んでほしいからだ。
講義の一環なのだが、場所が場所なので、人類の苦しみや死への好奇心を利用した「ダークツーリズム」の一種ではないか、と非難される可能性は十分にある。
ダークツーリズムとは何か、何が問題なのか。虐殺の地を訪問することに意義が見出せるとすればそれは何か。
危険なのぞき見趣味
2016年1月、アメリカの大学生オットー・ワームビアが北朝鮮の首都平壌で政治プロパガンダのポスターを持ち去ろうとして逮捕された。彼は1時間の裁判の末、15年の労働強化刑を言い渡された。17カ月後、昏睡状態で解放され、アメリカの両親のもとに帰ったが、数日後に死亡した。
【参考記事】米学生は拷問されたのか? 脱北女性「拷問刑務所」の証言
ワームビアは中国の旅行会社「ヤング・パイオニア・ツアーズ」が企画した訪朝ツアーに参加していた。同社の宣伝文句は「母親が行かないでほしいと思う場所への旅を格安で提供する」。
これはまさに「ダークツーリズム」の代表例だろう。人の死や自然災害、暴力、あるいは人類そのものを標的にした悲劇や犯罪の現場を興味本位で訪れる。そうしたツアーのなかには、ワームビアの場合のように政治的な危険と隣り合わせのものもある。
ダークツーリズムの参加者数を示すデータはないが、人気の高まりを示す兆候はある。過去20年間で、ダークツーリズムについての論文が大幅に増えている。1996~2010年は年間3~7本だったが、2011~2016年には年間14~25本。グーグルで「ダークツーリズム」を検索すると、400万件近くヒットする。
ダークツーリズムの根底には、禁断のものを見たい「のぞき見趣味」があると指摘する研究者もいる。一般的には、ダークツーリズムに参加する動機は過去の出来事について学ぶことであり、現場への好奇心が参加を後押しするのだろう。
もちろん、本当の動機が何かをズバリ言い当てるのは難しい。研究結果はツアー参加者の自己申告に頼るしかない上、回答者はとかくポジティブな側面をアピールしたがる。ツアーの問題点を聞いた場合は尚更だ。
悲劇の現場を訪ねる倫理観
ダークツーリズムには、倫理的に重要な側面がある。訪朝ツアーの例を見てみよう。ツアーを擁護する人は、アメリカ人観光客が北朝鮮の人々と触れ合うことで、北朝鮮の人々の反米感情を和らげる効果がある、と主張する。旅行者の目を通して外国と自国を比較することで、先進国の人々が享受する自由の価値に気付き、自分たちの生活スタイルに疑問を持ち始めることもあるかもしれない、というのだ。
事実、過去10年間で北朝鮮はツーリズムに目覚め、世界のほとんどの国から観光客を受け入れている。だが実情を知る専門家は、北朝鮮の一般市民は観光客と交流していないと指摘する。ガイド付きのツアーでは、観光客は北朝鮮の政府関係者とは接触できても市民とは接触できないよう、巧みに旅程が組まれている。しかもツーリズムは北朝鮮の貴重な収入源となり、現政権の存続を助ける。北朝鮮がツーリズムで得る収入は、年間4500万ドルに上ると推計されている。
そこで新たな疑問が浮かぶ。人権侵害で繰り返し批判を受ける抑圧的な政権を観光で潤すのは、倫理的に正しいことだろうか。この疑問は、中国からハンガリーに至るまで、人権侵害を行った疑いのある国すべてに言えることだ。
【参考記事】北朝鮮の人権侵害はもう限界 今こそ対北政策の転換を
いかに遠い過去の出来事だとしても、他人の苦しみを利用して金儲けをすることは倫理に反する、という点ではほとんどの人の意見が一致する。
ダークツーリズムと教育の境界
ではホロコーストに限った場合、どうすればダークツーリズムの罠に陥るのを避けられるだろうか。
筆者はヨーロッパのユダヤ人が持つ社会的、文化的、芸術的な歴史に敬意を感じるような体験を教え子たちにしてもらいたいと思っている。例えばポーランドでは、首都ワルシャワにあるポーランド系ユダヤ人の歴史を収めたポーリン博物館を見学する。同時に、ポーランドにあるアウシュビッツ、マイダネク、トレブリンカといったユダヤ人の強制収容所跡も訪れる。これも、人類が苦しみ死んでいった場所に敬意を払う行為に他ならない。
ホロコーストの講義で特に重視するのは、見学先に敬意を払うことだ。展示品や遺品は目で見て鑑賞するもので、手で触れたり持ち帰ったりしてはいけないと学生に徹底する。
ときに若者は、ある行為がなぜ犯罪になるのかを理解できずに問題を起こす。2015年には、2人の未成年者がアウシュビッツの遺品を持ち去った容疑で逮捕された。最近も別の学生が、芸術大学院の卒業制作を完成させる目的でアウシュビッツから数点の遺品を盗んだ。
心構えが大事な理由
虐殺や拷問が起きた現場を訪れる人々が、命の尊厳を尊び敬意を払う心構えを持っていれば、遺品の盗難など起きるはずはない。問題が起こるのは、怖いもの見たさで刺激を求めにきた場合だ。ダークツーリズムは、訪問者の心の中にある。
ホロコーストの歴史を伝えるアウシュビッツ博物館のカフェで、訪問者がのんびりアイスクリームを食べている光景を見ると、ここはディズニーランドかと錯覚しそうになることもある。それでも、ダークツーリズムに当たるかどうか決めるのは見かけではなく内面だ。
アウシュビッツを訪問する行為自体は、ダークツーリズムではない。だがこうした場所に来てまでスマートフォンで自撮りをする行為には、疑問を持たざるを得ない。
(翻訳:河原里香)
Even in Auschwitz, then, a visit per se is not a sufficient criterion for dark tourism. Snapping a smiling selfie at such a site, however, should be of some concern.
Daniel B. Bitran, Professor of Psychology, College of the Holy Cross
This article was originally published on The Conversation. Read the original article.