黒人少年の内面の旅にそっと寄り添う『ムーンライト』
マッチョな麻薬の売人になったシャロンの心の中には気弱な少年がいる (c)2016 A24 Distribution, LLC
<オスカー3部門をさらった『ムーンライト』は、詩的な映像で観客を魅惑する静かで繊細な作品>
アメリカ映画に若い黒人男性が登場したら、この男がやることは大体想像がつく。麻薬を売るか麻薬中毒になるか。そしてけんかをして警官に追われ、逮捕されて刑務所に入る。まともな女性と恋に落ちることもあるが、まともな女性を虐待することのほうが多い。
作品賞など3部門のオスカーに輝いたバリー・ジェンキンス監督の『ムーンライト』の主人公(子供時代、高校時代、大人になってからを3人の俳優が演じる)も、いま述べた行動のいくつかをやるが、従来の映画では黒人男性が決してやらなかったこともする。
例えば彼は、したたかでマッチョなステレオタイプの黒人男性像に自分が合わないことに苦しむ。映画のタイトルでもある月明かりの夜には、浜辺で男友達とキスをする。
それ以上に驚くのは、彼が泣くことだ。1度だけではない。何度も泣く。時には孤独と怒りから、時には安堵と感謝の気持ちから。
この映画は観客に多くの贈り物を与えてくれる。キャスト全員の素晴らしい演技、詩的なカメラワーク、美しい音楽などだ。しかし観客が受け取る最大の贈り物は心を洗う涙の洪水だろう。この無駄を削ぎ落した感動的な映画が終わるまでに、観客は大量の涙を流すことになる。
【参考記事】ホモフォビア(同性愛嫌悪)とアメリカ:映画『ムーンライト』
ジェンキンス監督は劇作家のタレル・アルビン・マクレイニーの戯曲を基にこの映画を作った。2人はたまたまマイアミの同じ黒人地区の出身で、年が違うため子供時代は出会わなかったが、大人になってから一緒に仕事をすることになった。2人とも映画の主人公と同様、母子家庭育ち。母親が麻薬依存症という境遇も同じだ。
アレックス・ヒバート演じる子供時代の主人公は「リトル」と呼ばれる痩せっぽちで内気な少年。マイアミの低所得者向け公共住宅で麻薬依存症の母親(ナオミ・ハリス)と暮らす。ある日いじめに遭ってあばら屋に逃げ込んだリトルは、麻薬密売人のフアン(マハーシャラ・アリ)に見つかる。
フアンは怯え切った少年を哀れに思い、家に一晩泊めてやる。フアンの同棲相手テレサ(ジャネル・モネイ)が温かい食事を出してくれ、リトルは生まれて初めて家庭のぬくもりらしきものを知る。それからはフアンとテレサが親代わりになり、母親が夜遊びに行った晩は家に泊めてくれたり、海で水泳を教えてくれたりする。