熊本地震「自主避難所は不要? 危ない?」現地ボランティアに聞いた
撮影:高口健也
<熊本地震の発生から2カ月。この地震では車中泊や自主避難所の問題が多く議論されてきたが、なぜ自主避難所はなくならないのか。現地で運営に関わった人にその実態を聞いた> (写真は古城堀端公園、5月3日撮影)
5月31日、登山家の野口健さんらが設置していた熊本県益城(ましき)町総合運動公園のテント村が閉鎖された。大雨による水害や猛暑による熱中症を警戒しての判断で、行政は指定避難所への移動を呼びかけている。しかし、プライバシーの問題や個々の事情から指定避難所を忌避し、車中泊や自主避難所(指定外避難所)を選択する被災者は今も絶えない。
熊本地震の発生から2カ月が経った。朝日新聞などによれば、1万以上の人が現在も避難生活を続けている(6月13日現在)。テント村の閉鎖にあたって、野口さんは「プライバシーの確保やストレスの軽減に大きな成果があった」と述べていたが、指定避難所の問題点や自主避難所の必要性については、これまでに多くの議論が交わされてきた。
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なぜ自主避難所はなくならないのか。指定避難所と自主避難所、どちらが被災者のニーズにより適っているのか。判断の材料として現地の経験は不可欠だ。そこで熊本城の一角、古城堀端公園にある自主避難所で運営ボランティアとして関わったカメラマンの高口健也さんに話を聞いた。
――古城堀端公園で自主避難所を運営されていたそうですね。
自主避難所にもさまざまな形態があります。古城堀端公園は、多くの車が止まり、その中に寝泊まりしている人がいるという、駐車場というかカーキャンプ場のようになっていました。普段は車止めがあるのですが、地震後に町内会長さんの一存で開放されました。いちばん人が多かったのは地震直後で、少なく見積もっても100人以上が車中泊、野宿で夜を明かしたそうです。私が行った4月20日の時点でも50人は寝泊まりしていました。
大きかったのは自衛隊の配給です。指定避難所ではないにもかかわらず、被災者が集まっていることを把握してくれて物資を届けてくれました。ここで寝泊まりしている人だけでなく、近隣の被災者の方々の中にも公園で支援物資を受け取っていた方がいました。
自衛隊の臨機応変な対応には驚きました。聞くところによると、古城堀端公園を担当していたのは伊丹駐屯地の部隊で、阪神大震災の経験から困っている人は自力で見つけ出せと指示されていたんだそうです。