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中国政治「ミニ毛沢東」薄熙来の失脚は必然だった
妻の殺人容疑も加わった疑惑の真偽はどうあれ、出世目前の薄が政界から消されなければならなかった理由
堕ちた新星 市民に人気の強烈なパーソナリティが仇となった簿 Jason Lee-Reuters
永久保存処理を施され、中国・北京中心部の霊廟に安置されている毛沢東の遺体は、今も多くの人々が拝観に訪れる。最高指導者として毛の跡を継いだ鄧小平は、遺灰を海に撒かせた。その後の中国指導者たちはさらに控え目だった。
だが、毛沢東に対するのと同様の個人崇拝を現代中国に蘇らせることが可能だと考えた政治家がいた。「太子党」(党高級幹部の子息)の一人で重慶市の党委員会書記を務めていた薄熙来(ボー・シーライ)だ。結局、彼の考えは間違いだったようだ。
薄は数カ月前まで、今秋の党大会で最高指導部・政治局常務委員会に入ると目されていた人物。中国政界の新星だった。彼の攻撃的な政治手法は、重慶市民には人気だった。開発を促進し、貧困層に優しい政策を推進したからだ。同時に、毛沢東を想起させる革命歌や銅像やスローガンを使ったりしていた。
すると2月に、薄の部下である王立軍(ワン・リーチュン)副市長・前公安局長が米総領事館に駆け込む騒ぎが発生。事件の影響を受け、薄は3月に重慶市トップの共産党委員会書記の職を解かれた。
復帰の可能性も排除できないが
そして4月10日、薄は党政治局員と中央委員の職務を停止された。一方妻の谷開来(クー・カイライ)は、昨年11月に重慶のホテルで死亡した英国人ビジネスマン、ニール・ヘイウッドの殺害容疑で身柄を拘束された。
地元警察はヘイウッドの死因を「アルコールの過剰摂取」と断定し、検死もせずに遺体を火葬した。しかしイギリス外務省が中国政府に詳しい調査を要請していた。ヘイウッドは簿の妻子と知り合いで、谷とは仕事上対立していたという話もある。
数々の疑惑の立証は困難だが、政治的には失脚は当然のなりゆきだろう。薄はあまりにも物議を醸し過ぎた。彼の処分が軽過ぎれば、共産党指導部が一枚岩でないことの証左と映っただろう。党の分裂状態が明らかになって、国民の間に経済的・社会的な不和が広まることを恐れる指導部は、団結を示す必要に迫られていた。
薄の失脚が最終的に、中国の改革政策にとってどんな意味を持つかはまだわからない。おそらくはっきりと知ることはできないだろう。薄の運命すらどうなるか分からない。彼の政治生命は終わったとの見方が大半だが、復帰の可能性もあるという見方もある。
どちらにしても、中国の野心的な政治家たちは薄の経験から学ぶだろう。目立つことを避け、家族や仲間の行動にもっと注意を払い、どんな悪事も完璧に隠蔽して否定できるようにしておくべきだ、と。
共産党が求めているのは、言わば「非個人崇拝」とも言うべきもの。細心の注意で成長の舵を取っていく上で必要なのは、顔のない官僚組織。決して簿のような「ミニ毛沢東」ではない。党幹部やその家族が、権力や人脈を濫用するのはある程度仕方がない。ただし、バレることは許されない。
©2012 Slate