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リビア看護師が独白「私が世話したカダフィ」
リビアを脱出した取り巻きのウクライナ人の女性看護師が語る、独裁者の知られざる素顔と「ハーレム」の実情
パピクへの思い 「彼は私の裏切りを許してくれないと思う」と話すバリンスカヤ Joseph Sywenkyj for Newsweek
リビアのムアマル・カダフィ大佐の看護師になったのは21歳のとき。彼が雇った女性看護師は全員ウクライナ人だった。私もウクライナ育ち。アラビア語は話せず、リビアとレバノンの違いさえ分かっていなかったけど、パピク(ロシア語で「小さなパパ」、私たちは彼をこう呼んだ)はとても優しかった。
欲しい物は何でも手に入った。家具付きの寝室2部屋のアパート、電話をすればすぐに来てくれる運転手。でもアパートには盗聴器が仕掛けられ、私生活は常に監視されていた。
最初の3カ月は宮殿に入れなかった。パピクは奥さんのソフィアの目を気にしていたみたいだった。看護師の仕事は雇い主の体を守ること。彼は素晴らしく健康だった。脈拍も血圧も、実年齢よりはるかに若い。
チャドやマリ訪問時は、感染症の予防に手袋をはめてもらった。宮殿でも庭で日課のウオーキングをしてもらい、予防接種も欠かさず、血圧も決まった時間に測った。
ウクライナのメディアは私たちを「カダフィのハーレム」と呼んだが、根も葉もないデマだ。彼の愛人になった看護師なんかいない。私たちがパピクに触れるのは血圧を測るときだけ。
カセットで音楽を聴き、1日に何度も着替える
パピクの友人のシルビオ・ベルルスコーニ伊首相は女好きだけど、パピクは彼よりずっとまとも。確かに看護師を容姿で選んでいたけれど、パピクはただ美しい人や物に囲まれているのが好きなだけ。
彼は私と握手し、目をのぞき込んで、居並ぶ候補者の中から私を選んだ。後になって、彼は最初の握手で相手の人柄を見抜くのだと分かった。人間の心理を知り抜いている人だと思う。
パピクには変わった習慣があった。古いカセットプレーヤーでアラブ音楽を聴くのが好き。1日に何回も着替える。着ているものが気に入らないと、お客を待たせてでも着替える。白いスーツがお気に入りだった。
アフリカの貧しい国々を訪れたときは、装甲を施したリムジンの窓から子供たちにお金やキャンディーを投げた。感染症が怖いから子供たちには近寄らなかった。でも外遊先でテントで寝るというのは嘘! テントは公式会談に使っただけだ。
私たちは夢のような豪遊をした。パピクに付き添ってアメリカ、イタリア、ポルトガル、ベネズエラを旅した。彼は機嫌がいいと、何か欲しい物はないかねと聞いてくれる。毎年、自分の肖像入りの金時計を取り巻き全員に贈る習慣もあった。リビアではこの時計を見せると、どこでもノーパスで入れ、どんな無理難題も通る。
間一髪でリビアを脱出できたが
リビア国民の少なくとも半分はパピクを嫌っているようだった。リビア人の医療関係者は、私たちに嫉妬していた。彼らの3倍の給料、1カ月に3000 ドル以上をもらっていたから。
リビアではパピクの一存ですべてが決まる。まるでスターリン。権力も富も独り占めだ。
エジプト革命のニュースをテレビで見たとき、リビアでは誰も私たちのパピクに反旗を翻したりしないだろうと思っていた。でも違った。パピクがまだ間に合ううちに息子のセイフに権力を譲っていたら、状況は変わっていたと思う。
私は2月初めに首都トリポリを離れ、間一髪で難を逃れた。残った看護師2人は身動きが取れない。私が出国したのは個人的な理由だ。妊娠4カ月で、おなかが目立ち始めていた。パピクがセルビア人の彼との関係を認めてくれないと思ったから。
パピクは私の裏切りを許してくれないだろう。でもおなかの子供のためにもリビアから逃げてよかった。今ではパピクの一番身近な人たちも、彼を見捨てて逃げている。彼は子供たちと2人の看護師を強引に引き止め、道連れにする気だ。
[2011年4月20日号掲載]