猛暑と火災があぶり出したロシアの奇怪
災害マップもネット上のコミュニティもなく、どこで何が起きているのか政府さえ把握していない恐怖
このところ、モスクワ市民の口数が減っている。なぜか。1つには、みんな考えていることは同じ(「この暑さはいつまで続くのか」)だけれど、その話は口にしたくないから。どうしても話さなければならないときは、「天気の話で恐縮ですが......」と前置きするのがマナーになっている。
第2の理由は、猛暑の話はもううんざりだから。新聞やラジオも、今は最高気温の記録更新を伝えない。30度を超える日さえ珍しかったモスクワで、今は40度近い気温が当たり前になっている。
第3は、そもそもしゃべるのがつらいから。森林火災と泥炭火災の多発で、市の上空はスモッグに閉ざされ、誰もが喉を痛めている。
当面、状況が改善される見込みはない。大半のモスクワのアパートにはエアコンがない。7月半ばで扇風機も売り切れ、店頭から姿を消した。煙の微粒子はマスクもエアコンのフィルターも通過するそうだが、たとえ気休めでもマスクは手放せない。
天気予報はここ数週間、猛暑は10日ほどで和らぐと言い続けてきた。だが、待てど暮らせど気圧配置は変わらない。日によって何分間か激しい雨が降るが、からからに乾いた地面を湿らすには足りない。スモッグに加え、もうもうと上がる砂ぼこりが視界を閉ざす。
8月に入ったある日、強風でスモッグが吹き飛ばされ、モスクワの空に何日かぶりで太陽が顔を出した。でも煙が「突然消えたので、かえって怖かった」と、私の同僚は言った。「ヒッチコックの『鳥』と同じ。あの真っ黒い恐怖は必ず、不意を突いて戻ってくる」
そういう恐怖は肌で感じられる。この世の終わりが来たと、人々は陰気な冗談を飛ばす。ロシア西部の至る所で森林火災が起き、多くの死者が出ている。
核施設にも迫る火の手
8月初めには、核施設が集中するサロフ近郊で火災が発生。中央政府は、原子炉が炎上する恐れはなく、爆発する可能性がある物質はすべて移送したと発表した。だが、誰が安心するだろう。核物質を運び出した? どこに? 誰も答えられない。そうしたなか、原子力相がサロフに飛んだ。
政治的なパフォーマンスではない。原子力相はサロフで記者会見も開かず、消火活動の先頭に立ったりもしなかった。恐らく現地の状況を把握するために行かざるを得なかったのだろう。すさまじい熱波は、ロシア社会の異常さをあぶり出した。この国では情報の流れが断ち切られているのだ。
ロシア全土に取材網を広げている新聞は1紙もない。テレビは中央政府による中央政府のための報道機関と化し、信頼性の高い情報の収集と伝達という役目を果たせなくなっている。
インターネット上の草の根メディアも育っていない。専門家によると、ネット上には小さなコミュニティーがいくつかできているが、いずれも閉鎖的で、コミュニティー同士のつながりがないという。ロシアのブロガーは、職業や地域の違いを超えて、ブロガー仲間と情報や意見を交換しようとは思わないらしい。
政治制度についても同じことが言える。政府が直接選挙を形骸化させ、代議制民主主義を骨抜きにしたため、政治家は広大な国で何が起きているかを知る必要もないし、知る手だてもない。州知事も、住民に選ばれるのではなく政府に任命されて決まるから、管轄地域の人々の暮らしや災害に心を煩わそうとしない。
そのため、自分の身近に炎が迫るまで、火災がどこで起きているかまったく分からない。災害マップは作成されておらず、家族が無事か、旅行をしても安全か確認するすべもない。