『英国王のスピーチ』史実に異議あり!【後編】
The King's Speech Revisited
アカデミー賞受賞の呼び声が高い歴史大作は、英王室とチャーチルを無批判に美化する作り物だ
<前半はこちら>
『英国王のスピーチ』の脚本を手掛けたデービッド・サイドラーは、私がこの映画を「中傷」したと言う。だが、私が先の記事で指摘したのは以下の点だ。
1) 当時のイギリスでは、ヒトラー宥和策に対する反対運動が大きなうねりをみせていた。労働党や自由党、さらには保守党の幹部議員まで巻き込んで、再軍備と反ヒトラー勢力の団結を掲げる超党派グループが生まれていた。しかしチャーチルは、親ナチスのデービッド王子に対する命懸けとも言える忠誠を貫くためにこれを離脱。グループの指導者たちはひどく落胆した。
2) 1938年、戦争回避を望むチェンバレンがナチス・ドイツと結んだミュンヘン協定により、チェコスロバキアの一部がナチスに割譲された。ここでヒトラーに売り渡されたのはチェコの国民だけではない。スコダ社の軍需工場を中心とするヨーロッパ屈指の武器製造基地も、ヒトラーの手に渡ることになった。
サイドラーはミュンヘン協定について、「チェンバレンには軍備を整える時間が必要」だったと語っている。だが、この常軌を逸した取り決めのおかげで軍備増強が見込めたのはドイツだけ。当時、多くの人がそのことに気付いていた。「時間稼ぎ」が出来たのはヒトラーの方だったのだ。
3) 英国王と女王は世論に同調したり、従ったりはしなかった。それどころか、世論がチェンバレンの味方につくよう決定的な役割を果たした。ミュンヘンから帰国したチェンバレンは王室の使者に出迎えられ、バッキンガム宮殿に直行。チェンバレンは宮殿のバルコニーに国王夫妻と並んで立ち、民衆の歓声を受けた。協定書がまだ議会に提出されていないにも関わらずだ。このパフォーマンスは、メディアや国民に多大な影響を与えた。
英王室、史上最悪の越権行為
憲法問題に関するサイドラーの無知ぶりは、ほとんど完璧と言っていい(本当に知らないのであれば、の話だが)。王室は現在進行形の問題については中立を保たなければならない。特に議会の承認前となれば、これは甚だしい越権行為だ。君主制支持者で保守派の歴史家アンドルー・ロバーツは著書『チャーチル偉人伝』の中で、バルコニーの問題について徹底的な議論を展開し「イギリス元首による史上最悪の違憲行為」という指摘に賛成している。これは実に正しい。
4) 92年に亡くなったエリザベス皇太后でさえ、彼女の伝記を書いたウィリアム・ショークロスに対し、自分と「バーティー」(夫のジョージ6世のこと)がしたことは間違っていたと語っている。ただし彼女は、誰も戦争など望んでいなかったと自己弁護もしている(ミュンヘン協定がナチスに有利に働き、第二次大戦への道を現実的なものにしたことは間違いないのだが)。
では彼女とジョージ6世が、開戦後もなおチェンバレンを首相の座に留めておこうと個人的に働きかけたのはなぜか。ドイツ軍がすぐそばまで迫る中、なぜチャーチルではなくナチス宥和派のハリファックス外相をチェンバレンの後任に推したのか。この辺りはわかっていない。
ハフィントン・ポストの取材に応じたサイドラーは事実誤認どころか、ミュンヘン協定を擁護する役に成り下がっている。先の記事で私が書いたように、『英国王のスピーチ』は最高の役者陣が揃った(ひどい演技を見せたチャーチル役のティモシー・スポールを除いて)、素晴らしい映画だ。あれほど観客を楽しませてくれた役者たちならオスカーを手にして当然だろう。
だが史実を突き付けられて、「中傷された」と被害妄想に陥るサイドラーのような男が脚本賞を手にしたら? アカデミー賞は、極めて欠陥だらけの物事や人物に賛辞を贈ることになる。
─自分も吃音で73歳のサイドラーが『英国王のスピーチ』を完成させるまでの執念の物語、
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