コラム

2020年東京五輪、ソフト面での3つの課題とは?

2013年09月10日(火)15時15分

 決定の瞬間、私はある種の安堵感で腰が抜けそうになりました。これで、2020年までの7年間は、日本の大きな破綻は回避できると思ったからです。

 例えば、国債並びに日本円が大きく売り込まれる可能性、近隣諸国とのナショナリズムの突き合わせが悪化して経済や政治に決定的な悪影響が出る可能性、将来への悲観から大規模な人口流出が起きたり出生率が更に一段階下がったりする可能性、そうした懸念について、とりあえず7年間については大破綻を回避しようという強い動機が生まれました。これは素直に喜ぶべきことだと思います。

 次に思ったのは、1964年の東京五輪とは質的に要求されるものが全く違うだろうという点です。64年の場合は、五輪そのものの持つカルチャー的な意味合いも低かったですし、国際間の情報流通も限定的でした。ですが、半世紀を経た現在、五輪の「ソフト面」に関する意味合いは拡大し、大きく変化しています。そうした変化への対応は意外と難しいのではないかと思ったのです。今回は、2020年までにクリアしなくてはならない「ソフト面の課題」について考えてみたいと思います。

 1つ目はスポーツにおける「感動」の再定義が必要だということです。ここ10年ぐらいでしょうか、日本のメディアでは「自国ニッポンの代表選手」が五輪や海外のスポーツ大会で「勝利する」ことを「感動」だと言って絶叫するという表現が流行してきました。しかし、これは本来の言葉の意味からはズレています。

 感動というのは、困難を乗り越えて勝利した過程への共感や、長年のライバル争いを通じて形成されたお互いへの尊敬の念といった「心のあり方」とか「スポーツを通じた人間性の発露」というようなケースに適用する表現であって、特に「国境を越えた人間ドラマ」において最高潮となるべきものです。

 この間「自国の選手が勝てば感動」という「誤用」が流行したのは、他にいいことがないとか、世界の中で日本がどんどん地盤沈下しているという感覚に「打ち勝っての勝利」ということに、特別の意味を感じていたという事情はあるわけで、それをカルチャーの劣化であると決めつけるのはやや辛口に過ぎると思います。

 ですが、ホスト国になった以上は、この点は「正常化すべき」です。自国・他国に関わらず、世界中の選手による「人間ドラマの盛り上がり」という「場」を提供する、それが2020年東京五輪成功の鍵だからです。

 2つ目は「おもてなし」という思想の再定義です。社会的にニーズのあるサービスについて、過度に個人の自発的で無償な行動で埋めるというのは、サービスという経済的価値を低めると同時に、サービス労働の価値も低めることになります。実は、今回の「20年のデフレ」が続いた1つの要因はここにあるのですが、今回2020年の五輪開催に当たって、再び「おもてなし」ということが強調されるというのは、少し修正した方がいいと思います。

 勿論、五輪というのは基本は非営利活動ですから、サービスに全て対価が払われるということはないと思います。ですが、無償のサービスが強制される、そして「他国では有償な内容が日本では無償である」ということが「おもてなし」という「いいこと」だとして強調されるのでは、再びデフレスパイラル的な経済に陥ってしまう危険性があるわけです。

 では、どうしたらいいのかというと、「おもてなし」という思想は企業や政府が主体となって、そのサービス労働の価値を低めるということではなく、個人による自主的なモチベーションによる個人の行動であり、個人の表現なのだというように定義を変更すべきだと思うのです。

 その結果として出てくる「パーソナルタッチ」こそ、成熟社会における「おもてなし」として最高のものとなることを考えると、この点の「考え方の修正」というのは非常に重要であると思われます。例えば、五輪を契機に来日する観光客のニーズ、あるいは五輪参加者の「オフ」におけるニーズというのは、「自発的」かつ「臨機応変」で「パーソナルタッチ」なサービスだと思われるからです。

 3点目は、東京という都市における「コミュニケーション能力」の向上です。ここには色々な問題が含まれますが、まずは都市の様々な部分で「マニュアル通りの」あるいは「冷たい機械音声の」アナウンスといった「パーソナルタッチの欠落した」言語を追放していくことが必要でしょう。

 更に言えば、年齢確認は口頭だと高齢者のプライドを傷つけるからボタンで行うとか、スーパーのレジ袋は不要だという意志を伝達する際のトークは面倒だからカードで意志表示などという「コミュニケーション不全」が現在の日本語にはあるわけです。また初対面同士がいきなり話しかけるのは「コミュニケーションのエラーを起こす可能性」を軽視した危険行為だという認識も広がっています。

 ですが、日本人同士で日本語で「初対面同士の会話」のできない都市が、外国から多数の客人を受け入れることができるはずもありません。2020年までには、こうした「コミュニケーション不全」を克服することが必要です。方法は至ってシンプルで、老若男女あらゆる人間が対等で礼儀正しいコミュニケーションを行うようにするのです。高齢者や消費者といった「格上」の人間こそが、若年の人間やサービス提供者に対して丁寧表現で臨む、そのようなコミュニケーションの成熟なくして、多様な人々への「おもてなし」などできるはずがありません。

 また英語という点では、できるだけ「ネイティブチェック」ということを心がけて、文法的に誤った、あるいは大真面目に書いたつもりが英語圏の人々からは笑いものにされるようなエラーを減らしていくことが必要だと思います。駅や道路に英語表示を増やすのはいいのですが、その際に従来よりは意識的に「通じる表現に」していくことが必要だと思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

豊田織機の非公開化報道、トヨタ「一部出資含め様々な

ビジネス

中国への融資終了に具体的措置を、米財務長官がアジア

ビジネス

ベッセント長官、日韓との生産的な貿易協議を歓迎 米

ワールド

アングル:バングラ繊維産業、国内リサイクル能力向上
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは? いずれ中国共産党を脅かす可能性も
  • 3
    トランプ政権の悪評が直撃、各国がアメリカへの渡航勧告を強化
  • 4
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 5
    アメリカ鉄鋼産業の復活へ...鍵はトランプ関税ではな…
  • 6
    関税ショックのベトナムすらアメリカ寄りに...南シナ…
  • 7
    ロケット弾直撃で次々に爆発、ロシア軍ヘリ4機が「破…
  • 8
    ロシア武器庫が爆発、巨大な火の玉が吹き上がる...ロ…
  • 9
    ビザ取消1300人超──アメリカで留学生の「粛清」進む
  • 10
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 3
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 4
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 8
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 9
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 10
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story