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冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代
コロラド乱射事件と、アメリカの「いじめ」問題
先週末のエントリで、日本の「いじめ」問題を「空気と目線」という観点から論じたところ、多くの方々から「アメリカのいじめ事情はどうなのか?」という問題提起をいただいています。
この点に関しては、確かにアメリカでは体育会系が線の細い子供を「いじめる」というクラシックな「いじめ」のパターンがあり、それに加えて、ここ5年ぐら「ネットいじめ」の問題、あるいは中学校を中心とした「仲間外れ」などの問題行動が増えています。「いじめ(ブリング)」という言葉が、小学校から中学校の教育問題として大きなテーマになりつつあるのは事実だと思います。
ですが、体育会系の横暴というカルチャーは、要するに行動としては幼稚なものだということで理解がされています。新作映画『アメイジング・スパイダーマン』で「いじめっ子」がそれほど悪人に描かれていない一方で、別にそれが非難されるわけでもないという辺りに、一種の社会的な合意、つまり「程度問題」だという感覚があるように思うのです。
一方で、最近の現象である「ブリング」については、相当に陰湿なものもあり、最近では自殺者が残したビデオメッセージが全米に衝撃を与えるというような事件もありました。ですが、こうした動きに対しては、各学区それぞれに、自治的な教育委員会がプロのカウンセラーを導入したり、最新の児童心理学を駆使したりして十分に「闘う態勢」に入っているということは指摘できるように思います。
例えば人気テレビドラマの『glee』に見られるように、番組を制作する大人が子供たちに向けて発するメッセージも「いじめ」を乗り越えるためのモチベーションを与えるよう工夫されています。こうした点を総合すると、アメリカの「いじめ」問題は若い人々にカルチャーとして決定的なダメージを与えるには至っていないと考えられます。
では、アメリカには「いじめ」はあっても許容範囲であり、対策も取られているということで安心していい、そう結論づけて良いのでしょうか?
違うと思います。日本とは全く別の問題があるからです。それは、社会全体の競争システムが「良く出来過ぎて」いるために、究極の敗者を生んでしまう、その結果として究極の敗者を社会全体が「いじめる」形になってしまうという問題です。
例えば大学入試がそうです。日本の現状のように、上位の大学は高校の内申書を信じず、また課外活動その他の活動履歴も見ず、主観的との非難を恐れて面接もせず、自分たちが用意したペーパーテストの「一発勝負」で入学を決定するというのとは、アメリカのシステムは全く違います。
高校でのGPA(成績評価の平均点)がまず高くなくてはならず、また統一テスト(SATなど)では高得点が要求される一方で、スポーツでの成果、リーダーシップを示した実績、社会貢献や芸術活動の成果など、大学入試においては「全人格的な」ものがチェックされるのです。また、推薦状やエッセイ、更には卒業生組織を駆使しての面接など、多角的な評価をすることで「入学が自己目的化しており、入学後の伸びしろのない」学生は排除するなど選抜の「ノウハウ」は徹底しているのです。
その結果として、確かに基礎能力に加えて、体力や判断力、コミュニケーション技術までを身につけた優れたエリートを養成することができるわけです。分厚い中間層はなくても、トップ層から平均的な層にかけて「面積の大きな人材の三角形」を生み出すことはできるわけです。
素晴らしいシステムです。ですが、そこには根本的な欠陥があります。一つは「何も取り柄のない」若者の居場所がなくなってしまうという問題です。今回の映画館での乱射事件が起きたコロラド州のオーロラからほど近いコロンバインという町の高校で、犠牲者12名と実行犯2名の自殺という惨事となった乱射事件が1999年に起きていますが、事件を起こしたハリスとクリボルトという2人の若者は、そのような場所に追い詰められていたのではないかと思われます。
ハリスとクリボルトに関しては、学校の「主流派」による「いじめ」の被害者と言われていますが、いわゆる幼稚な体育会系の「いじめっ子」の被害にあっていたというよりも、「文武両道のどちらにも居場所のない」ところに追い詰められていたようです。
もう1つは、競争と選抜のシステムが余りに合理的にできているために、脱落者の救済ができないことです。
7月20日(金)の午前0時すぎに映画『ダークナイト・ライジング』の深夜先行上映中の映画館を襲い、12名を殺害し50名を負傷させるとともに、自宅に爆発物を仕掛けていたジェームズ・ホルムズ容疑者に関しては、本稿の時点では黙秘に近い姿勢に転じているようで、動機の解明は進んでいません。
ただ最低限の情報として、高校から大学にかけては非の打ち所のない優等生であり、暴力事件等の履歴は皆無であること、特に大学(カリフォルニア州立大学リバーサイド校)では「トップ中のトップ」であったこと、にもかかわらず在籍中であったコロラド州立大学の医学コース大学院での神経科学の博士課程では、進学丸1年の段階で成績的に脱落し、退学準備の途中だったという情報が公開されています。
全く仮の話ですが、ホルムズが博士課程に入って「突然難しくなった研究内容」で人生初の挫折を味わい、「世界が崩壊したように」思って逆に「世界を破滅させようと」したのであれば、勿論それは本人の身勝手な妄想(高校生の時に自己暗示に関心を持っていたという報道もあります)なのだと思いますが、余りにも良くできた選抜と競争の制度が脱落者の救済システムを持っていなかったためという解説も可能でしょう。
アメリカの大学院は、このホルムズのように、内部進学だけでなく他校からの進学者も歓迎します。正に公平に機会をオープンにするためですが、同時に彼のように期待されて奨学金付きで迎えた学生でも、GPA(平均成績)が3を切った(B以下)途端に、手のひらを返すように奨学金をストップして、他の学生に回したりするのです。合理的で公平ではありますが、たいへんに過酷なのです。
いずれにしても、今回のコロラドの事件に関しては捜査は全く端緒に着いたばかりであり、憶測だけで軽々に解説を加えるのは控えたいと思います。院進後の成績急降下の更に要因となった「別の何か」が起きていた可能性も否定できないからです。また、何よりも銃社会という問題が決定的な要素として絡んでいます。ただ、私としては、当面はこのような仮説を持って事件を見てゆきたいと考えています。
アメリカの競争の制度は非常に良く出来ています。必要な資質をもった若者に、真っ当なモチベーションを与えつつ、公正な評価を加え、しかも機会を公平に開放しているのは事実です。ですが、それゆえに「何も取り柄のない若者」あるいは「相当にコースを上り詰めた先に突然可能性を断たれた若者」に対しては、実に冷酷な面を見せるのです。ある種の若者を自分が社会全体から「否定された」ようなところへ追い詰めるのであれば、これもまた一種の「いじめ」と言えるでしょう。
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