コラム

アメリカは「第三世界に堕ちる」のか?

2011年11月04日(金)12時47分

 先週は米国東北部を季節外れの雪が襲い「ウォール街占拠デモ」も一旦は撤収したのですが、今週は再開の動きがあります。例えば、私の近所のフィラデルフィアで続いている「フィリー(街の愛称)占拠デモ」では、2日の水曜日に市庁舎前の広場で警官隊と衝突したり、メディアの巨大企業であるコムキャスト社の社屋に「突入」しようとして逮捕されたりといった動きとなっています。

 今回の「占拠デモ」に関しては、金融機関の横暴や特権に反対する一方で教職員組合や公務員組合とは連動した動きを見せているということから、左右のどちらかと言えば「左」に属するのは間違いないようです。また富裕層への課税や、雇用対策を要求している点からは、オバマ政権の政策との連動も強く感じられます。

 ですが、その思想的背景というのは今ひとつ明確ではありません。基本的には「左」に属するような行動パターンを繰り返しながら、デモ隊の若者の間で支持が高いのは共和党のリバタリアン(政府極小主義者)であるロン・ポール議員(現在は大統領候補として運動中)だったりするのです。リバタリアニズムとオバマの「雇用対策+富裕層課税」というのは水と油であり、それが共存しているということは、要するに思想的な背景が明確ではないということです。

 ではデモ隊の中はバラバラなのかというと、そうでもないようで、少なくとも内部抗争のようなものは聞こえてきません。具体的な政策面での主張が一致していないにも関わらず、そもそも具体的な提案そのものが曖昧な中で、それでもデモ隊に一種の統一感があるとすれば、それは「現状への怒り」です。この「怒り」がデモの原動力なのです。

 では、その「怒り」とは何かというと、その典型は今やメジャーな政治ポータルサイトとなった「ハフィントン・ポスト」に掲載されている、主宰者のアリアナ・ハフィントンのブログかもしれません。ハフィントンはギリシャ系の移民一世で、2003年にシュワルツネッガーが当選したカリフォルニアの知事選挙に出馬し、チャキチャキした話し方と巧妙な中道左派レトリックで一躍有名になった女性です。

 そのハフィントンのブログをまとめた "Third World America" という本は「アメリカが第三世界に転落する」というイメージでリーマン・ショック以降の状況下、アメリカの中間層が苦しんできた「恨み節」が延々と綴られており、ベストセラーになっています。この本は、ブログのエントリをアンソロジー的に並べたもので、正にそれゆえに「怒り」を構成する様々な思いを集成した格好になっているわけです。

 今回、その日本語版『誰が中流を殺すのか~アメリカが第三世界に堕ちる日』(アリアナ・ハフィントン著、森田浩之訳、阪急コミュニケーション刊)が刊行になっていますが、一番肝心のハフィントンの「怒りのレトリック」のニュアンスが正確に、また読みやすく翻訳されており、今回の「格差是正デモ」の本質を知るためには絶好の資料だと言えると思います。

 勿論、この本の中身は「恨み節」であって、具体的な政策提言としては対症療法的なものに留まっています。例えば福祉その他の公共サービスにおける中間層への配分を増やせとか、富裕層に課税せよとか、金融機関の強欲な行動パターンに対して規制で網をかけよというような感じで、その主張のほとんどは中道左派から左派に見られるロジックの範囲内です。

 アメリカの経済の最大の問題は、競争力のある部分が最先端の高度知的産業と、農業を中心とした超大量生産の規模の経済という分野しかないことです。つまり、その両者ともに中間層の雇用を直接創出する構造にはなっていないのです。ですから、中間層が豊かになるには最先端の「IT・バイオ・宇宙航空・金融・エネルギー」といった産業が好況になり、そこから来たカネの循環が幅広く内需を喚起してゆくしかないのです。思い切り保護主義に振って中国やインドなどに流出した製造業の雇用を取り返すなどということは事実上不可能だからです。

 現在のアメリカは、ITバブルも不動産バブルも崩壊し、軍事費もカットする中で好況は簡単には戻ってこない状況です。だからと言って、現在のグローバリズム経済の中では中付加価値の製造業を復活させて雇用を取り返すのは不可能です。ですから、景気が自然反転するのを期待しながら、何らかの公共の再分配なり、財政出動なりで何とかするしかないわけです。

 ハフィントンにしても支持者にしてもそんなことは分かっており、それでも「怒り」をぶつける意味がどこにあるのかというと、それは「政策の公正さ」は自分たちが声を上げてゆかねば実現しないという思いでしょう。その思いが、「恨み節」に迫力と説得力を与えているのだと思います。

 では、アメリカはこのまま好況が戻らないようだと、ズルズルと「第三世界」に落ちてしまうのでしょうか? 私はそこまで悲観する必要はないと思います。アメリカが他の先進国と決定的に違うのは、一歳ごとに300万人という膨大な若年人口を持っていることと、世界で最も巨大な高等教育システムを擁している点です。

 ということは、「分厚い中間層」という点ではアジアに負けるかもしれないが「分厚い中の上予備軍」という意味では質量共に世界最大の人材の塊を持っているわけです。先端産業を中心とした景気の戻りが臨界点を越え、それがこの年齢層の内需に点火をすればサービス産業を中心に中間層の雇用が回復する、そうしたシナリオは不可能ではないと思います。ただし、回復は非常にスローであり、好況感が戻るには時間がかかるでしょう。

 問題はそこまで相当にガマンをしなくてはならないということであり、その間、こうしたデモのような形で「公正さ」を求める「異議申立て」が続くことは一種の必然だと思うのです。その意味で、ハフィントンの著書やデモ隊のカルチャーにある「怒り」というのは、決して破壊的なものではなく、忍耐の一つのスタイルなのかもしれません。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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