コラム

現代社会では直接民主制は機能しないという3つの理由とは?

2011年11月02日(水)12時19分

 それにしても、ギリシャのパパンドレウ首相の声明には驚きました。一旦合意したはずの国家債務処理スキームに関して改めて国民投票にかけるというのです。欧米の株価はこれを受けて急落しました。「国民投票で救済パッケージが否決される可能性」「ギリシャ国債の更なる暴落」「ギリシャはユーロからの追放」「ユーロ圏維持の救済スキーム破綻は、イタリアやスペインへも波及」というように、恐怖の心理が一気に広がったのです。

 折角ソフトランディングへ向けて欧州首脳が頑張ったのに、スロバキアなどの渋る参加国も何とか説得したのに、ということですが、一方で1日(火)の米国東部時間午後にはギリシャの野党筋から「所詮はパパンドレウの延命策、国民投票など不可能」というコメントが出ると、少し市場には安堵の色が出たりしています。いずれにしてもギリシャに振り回された一日となりました。

 では、どうして欧米市場は「レファレンダム(国民投票)」という言葉に動揺したのでしょうか? それは今回のギリシャのケースを見て「直接民主政は機能しない」ということを直感したからのように思います。

 どうして現代社会では直接民主制は機能しないのでしょう? この問題に関しては、これまでは「衆愚政治の中での直接民主制は最終的には独裁を呼び込む」とか「政治的判断に一貫性が出ない」というような議論がありました。そうした理由には一理も二理もあると思います。ですが、現代社会ではもっと具体的に以下のように理由を指摘できるように思うのです。

 まず「自分が不利益になる変更ができるのか?」という問題です。ギリシャだけではありません。アメリカにしても、日本にしても経済成長が鈍化する中で、国民の生活水準確保の機能をいつまでも財政には依存できません。過去には可能であった行政サービスや福祉の給付水準を切り下げなくてはやっていけないという問題は、今でも様々な形で起きていますし、今後はもっと拡大するでしょう。こうした「自分に不利益な変更」を受益者本人が決定するというのは大変に難しいわけです。

 この問題と裏表なのは「実現不可能な決定がされる可能性」という問題です。今回のパパンドレウ発言で欧米が慌てたのは「国民投票で救済スキームが代案のないまま否決される」という恐怖でした。代案のないままスキームが蹴られるということは、ハードランディングの国債ディフォルトに直結しかねないわけで、実質的には不可能な選択なはずなのですが、国民投票にかかると「ハンターイ」という圧倒的な声で葬り去ることが可能は可能なわけです。

 では、どうして間接民主制ではこうした問題に対処できるのでしょうか? それは代議員もしくは行政の長という職業政治家が「バッファ」になるからです。「国民の皆さんには不利益になるが、これしかチョイスはありません」と頭を下げ、世論の怒りを浴びつつそれを受け止め、自分が悪者になることで反対論を消化するという機能、そうやって「絶対反対」という世論と「反対は不可能」という現実の間を埋める機能、それは職業政治家の人格(キャラ)が持つ重要な「バッファ」機能なのです。

 逆を言えば、直接民主制にはこうしたバッファがないわけで、不利益変更は全てイヤだという観点から、実現不可能な決定が続く可能性があるわけです。主権者=決定者の強大な権力の前には、実現不可能という事実も政治的には吹き飛んでしまうからです。

 そう考えると、職業政治家が時には公約に反して政策変更をしたり、世論から悪者になっても何らかの決定を貫いたり、場合によっては自分の「クビと引き換えに」して世論に不人気な政策を通したりというのは、間接民主制の機能の一つだということが言えます。「間接」というのは、間に代議制が挟まれているというだけでなく、個別の利害や時には感情に引きずられる世論と「できること」の間で職業政治家がバッファの役割をするという意味での「間接」でもあるわけです。

 勿論、だからと言って政治家が公約をどんどん曲げたり、独断専行してもいけないわけで、それでは世論の委任に背くことになります。それこそ、パパンドレウ首相ではありませんが、政権が立ち往生してしまう危険と隣り合わせになるからです。その意味では時々刻々と変化する世界情勢の中で、世論もまた状況に適応しながら変化をし、社会全体の合意形成に務めるべきでしょう。世論もまた、職業政治家だけに「バッファ」を任せて、自分は硬直しただけではダメだと思うのです。

 そこで大事になってくるのが世論調査です。例えば現在日本で議論が進んでいるTPPの問題にしても、「賛成か反対か」などという「絶望的な選択肢」を提示して調査しても仕方がないと思うのです。それでは「実現可能な合意」は見えてきません。

 例えば「賛成」にしても「賛成だが農業への打撃は最低限にするために対策を考えるべき」という意見なのか「賛成でありこの際、農業を含めて競争力のないコスト高の産業は淘汰されても仕方がない」というのでは天と地の差があります。反対の場合も「反対だが、輸出産業へのダメージは最低限としたい」というのと「反対であり、そのためには経済成長を犠牲にしても構わない」などというのは、それぞれに立場としては相当に違います。そのあたりをクリアにして議論しないと、合意形成というのは見えてこないと思うのです。

 そうした「一歩突っ込んだ」世論の声を引き出すのに重要なのがジャーナリズムの役割です。現代という複雑な社会では、人格(キャラ)を生かしてバッファ機能を持ちコミュニケーションの結節点を担う職業政治家、実現可能な選択肢を提示しつつその相違点を伝えるジャーナリズム、そして変化する状況の中で実現可能性を意識しつつ柔軟性を持った世論という三者が「間接民主制」を生かしてゆく努力をすることでしか、意味のある合意形成はできないのではないかと思うのです。

 ネットを使ったリアルタイムの直接民主政を実施すれば、世論が100%政治に反映されて万事うまく行くなどというのはファンタジーに過ぎない、現代とはそのような時代だと思うのです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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