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冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代
スティーブ・ジョブズの軌跡とは何だったのか?
スティーブ・ジョブズがアップルのCEOを辞任したニュースは、世界的に多くの反響を呼びました。闘病が発表されてから7年、いつか「この日」が来ることを多くのアップルのユーザーは恐れてきました。ですが、当初多くの人が考えたよりもずっと穏やかな形で、従って、ジョブズの軌跡はしっかりと最後に輝く形で「この日」を迎えることができたように思います。
ジョブズの軌跡とは何だったのでしょうか? 眩しいほどの光を放ちながら、それを立体的に彩る陰翳と流れの中に明らかに刻まれた濃淡を思えば、それだけで同時代を駆け抜けた人間の中で、突出した存在でした。では、具体的には何だったのでしょうか?
有名な2005年のスタンフォード大学でのスピーチや、毎回の新製品発表のプレゼンなどのコミュニケーションの素晴らしさを挙げる人も多いでしょう。何よりも、創業者の一人であるにも関わらず、一度はアップル社から追放されながらも、ユニックス系のOS技術を引っさげて経営陣に返り咲く中で、同社をITのトップ企業に導いたドラマチックな人生が強い印象を残すということもあるでしょう。
ですが、ジョブズの軌跡を一言で言うならば、20世紀までの人類が積み重ねてきた文化と21世紀のデジタル文化の「架け橋」をしっかりとかけたということです。
スタンフォードでのスピーチで言っていた有名なエピソードに、ジョブズが大学中退後にその大学で聴講を続けていた際に、授業でカリグラフィ(スタイルの確立したペン習字、あるいはローマ字のハンドレタリング)を熱心に学んだという話があります。自分の将来設計を見失い、ある種の自分探しをしていた時期に、一見すると全くムダな「カリグラフィ」に凝ったことが、やがてパーソナルコンピュータ「マッキントッシュ」における、フォントへのこだわりになっていったというのです。
ジョブズは、「僕が大学を中退していなかったら、現在のあらゆるパソコンには豊かなフォントの機能は装備されていなかっただろう」と胸を張っています。人生における回り道が意味を持ってくるということ、狂ったような情熱で何かを吸収することの大切さを示す話ですが、それ以前の話として、コンピュータ技術の生かし方に関する大事なエピソードだと思うのです。
80年代のパソコン揺籃期には、本当にドット数の少ない、それこそ8*8といったようなものが文字表示の出発点になっていました。ですが、そこに滑らかで美的なフォントを使いたい、しかもデザインやレイアウトに合うようにフォントも変化をつけたい、更にはコンピュータ専用の美しいフォントが欲しいといったニーズがあることをジョブズが見抜き、そのことに徹底したこだわりを持っていたというのは偶然だけではないと思います。それは紛れも無いジョブズの才能を示すものでした。
文字というものが、コンピュータによって電子記号となり、極端に抽象化されていって構わないという考え方ではなく、コンピュータの性能向上が、20世紀以前から綿々と人類が引き継いできた活字やハンドライティングにおける「美学」や「読みやすさ」というものに貢献すべきだというのは、保守性でも何でもないのです。
それは文字というのものが、人間と情報のインターフェースの道具であり、デザインや読みやすさという付加価値を含めて機能していることを見ぬいた上で、それに対してデジタル技術によって圧倒的な利便性を与える、そのことの意味と有効性を認識していたということです。
その一方で、人間とコンピュータのインターフェースにおいて、文字では直感的に遅れそうな部分には画面上では「アイコン」という処理を行い、そのアイコンを操作するデバイスとしてマウスを実用化したのでした。マウスにしても、アイコンにしても基本的なコンセプトはダグラス・エンゲルバートなど60年代の先進的な発明家のアイディアですが、ジョブズが「マッキントッシュ」で取り上げることで現在のような普及を遂げたのは間違いないと思います。
勿論、マウスの実用化だけでもITに対する物凄い貢献であるわけですが、アイコンがあって初めてマウスが生きるのであり、またアイコンの操作でインターフェースが簡略化されることで、キーボードはマシンへの命令ツールであることから解放され、人間の培ってきたテキストという文化の産物を「創造する」ツールに特化していったわけです。そのテキスト創造という人間的な作業を、豊かな表現力をもったフォントが支えていたというわけです。
マッキントッシュの、そして後年の小文字の「i」を冠した様々な製品が持っている、美しさと使いやすさというのも、それ以前に彼が手がけたソフトが目指していたものも、全てがそうでした。アップル製品は、ブランドイメージが確立しているために「コモディティ化」とは無縁だとか、マーケティングのお手本だとよく言われますが、それはあくまで結果であり、そのレベルでは真似をしようとしても、不可能だと思います。
ユーザーが道具としてのコンピュータ、電子機器に何を求めているかを本質的な部分で見抜き続けたジョブズの軌跡は、人類の文明にとって眩しく、そして重要でした。もしかしたら、ジョブズは、20世紀と21世紀という異なる世界に架け橋をかけた、あるいは連続性を確保した存在なのかもしれません。
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