コラム

危うし、アメリカ「生卵」事情

2010年08月25日(水)11時01分

 アメリカ人は卵料理が大好きです。料理だけでなく、卵のたっぷり入ったお菓子やアイスクリームなど、とにかく卵なくして、アメリカの食生活は考えられないと言って良いでしょう。ですが、卵との付き合い方で、日本とは決定的に異なる点が1つあります。それは「生卵」に対する警戒心です。社会常識として「生卵は危険」というのが一般的になっており、事実、そのものズバリの生卵を使った料理はあまりありません。また、州によって多少規制が異なりますが、基本的にレストランでの生卵の提供は禁止されている地区が多くあります。私の住んでいるニュージャージー州でも、レストランでの「生卵」は禁止です。

 さて、今月のアメリカではアイオワ州の2つの業者が出荷した卵がサルモネラ菌汚染を起こしているということで、5億個の卵を回収するということになり、大騒ぎになっています。健康被害も出ており、例えばウィスコンシン州のレストランでは、20数名の食中毒患者が出ているそうですし、家庭での食中毒も報告されています。

 では、日本と比較すると「生卵」を食べる習慣が少なく、警戒心のあるはずのアメリカで、どうして卵サルモネラ中毒がこれだけ広がっているのでしょうか? どうやら、調べてみるとアメリカの食生活にも「生卵」が知らず知らずのうちに入り込んでいるようなのです。まず、一番多いのが「目玉焼き」です。日本では目玉焼きというと、黄身が上でキレイに丸く形を留めている片面焼き(サニー・サイド・アップ)のことを思い浮かべますが、アメリカでは一度裏返した両面焼き(オーバー・イージー)というのも多いのです。

 片面焼きで半熟というのが危ないのは分かりますが、FDA(食品薬品局)がPRしているのは、両面焼きなら安全とも言えないというのです。というのは、この「オーバー・イージー」を好きな人は両面をサッと焼いて、一応黄身も暖かくなっているがドロリとしている状態が大好きで、特にそのドロリとした黄身をトーストに付けて毎朝食べているのです。FDAは今回の食中毒事件では、この「オーバー・イージー」の「黄身ドロリ」も危険だと警告しています。後は、ヨーグルトドリンクに生卵を混ぜて飲むクセのある人が危ないそうです。

 レストランで指摘を受けているのは、意外だったのですが、手作りの「シーザー・ドレッシング」が危ないのだそうです。シーザー・ドレッシングというのは、オリーブオイルにニンニクの風味とパルメザンチーズを混ぜたもので、アメリカのサラダには欠かせないものですが、スーパーで売っている瓶詰めのものには余り良いものはなく、レストランごとに味が違うのです。それぞれのレシピで手作りをしているからだそうで、アンチョビのエキスを入れるとか、スパイスに良いものを使うという以外に、最高級店では「生卵」をコッソリ混ぜているのだそうです。中には「生」はまずいからと、少しだけ熱湯につけた超半熟状態のものを混ぜる店もあるそうです。

 今回の騒動では、そんなわけでオーバー・イージーも、シーザー「生ドレ」もダメということで、アメリカの食生活が更に貧困になりそうなイヤなムードがあるのですが、ちなみに被害の出ている州は中西部から太平洋岸に集中していて、東部では問題が出ていないのです。これはどうしてかというと、日本の一流卵メーカーがアメリカ東部には本格進出していて、自社農場だけでなく、アメリカのブランド農場の買収も行って、日本流の品質管理を施した卵の流通で成功しているからです。例えば、ニューヨーク州では卵のマーケット全体の50%以上が日系になっているそうです。

 そうは言っても、現在では、西から徐々に「卵アレルギー」的な雰囲気が広がっており、せっかく日系の農場が安全性の向上を実践しているにも関わらず、今のところは「卵は良く火を通して」という「空気」をガマンするしかなさそうです。100%安全なはずのここニュージャージー州でも、スーパーの卵売り場には「当店の扱っている卵は全て安全です」という張り紙がしてありましたが、心なしか卵はいつもより売れ残っているように見えました。

 本当は日本食ブームに乗っかって「卵かけご飯」であるとか「温泉卵」や「半熟の味玉」、あるいは「すき焼きに生卵」(いずれも現在はレストランでの提供は禁止)などが普及すると面白いのですが、当面は難しいでしょう。今回の事件を教訓に、しっかりした検査体制が出来て、それこそ日本の農場が実践している安全管理が普及して、全米で「完全に火を通さない卵料理のバリエーション」が楽しめるようになる日が来れば良いと思うのです。

 ところが、11月の中間選挙を前に、何でも政治問題化するピリピリしたムードのアメリカでは、この「卵の安全」についても、イデオロギー論争のネタになってしまっています。NBCの番組で、クリントン政権の労働長官を務めたロバート・ライシュ博士が出てきて「今回の汚染卵の発生源は、実は同じ人物が経営している2つの農場」だとした上で、このジャック・カスターという農場経営者が、排水の汚染や検査への非協力、あるいは労働法違反やセクハラなど様々な「法令違反」の過去があると暴露、その上で「こうした自営業者の利害に乗って安全管理に関する規制を妨害した勢力」を非難していました。要するに、サルモネラ中毒の背後には共和党の自営業者保護と規制緩和がある、と言わんばかりのコメントです。

 そんな中、この火曜日の深夜には「ティーパーティー」がらみの重要な予備選がいくつか結果が出ます。こちらは結果が出てから改めてお話することにしますが、とにかく卵の安全性以前に、景気と雇用そして財政を争点に、秋の訪れと共に中間選挙へ向けて熱い政治の季節がやって来ました。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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