コラム

「グラウンド・ゼロ」の「モスク」論争はどうして政治問題化したのか?

2010年08月18日(水)10時38分

 穏健イスラム教グループによる、マンハッタン島の南部、トライベッカ地区に「イスラム・コミュニティ・センター・パーク51」を建設する計画が明らかになると、一気に全米での論争に火がつきました。9・11のテロで世界貿易センターが倒壊した、いわゆる「グラウンドゼロ」から2ブロック離れただけの場所に、イスラム教のモスクが建設されるのは「テロ攻撃によってこの地がイスラムに支配される」ことになり、「敵の勝利を許すもの」というのが反対論者の主張です。

 これに対して、ニューヨークの地元は冷静です。ニューヨーク市のマイケル・ブルームバーク市長は「私有地に宗教施設を建設するのは憲法に認められた自由」だとして、反対論に対抗していますし、全国レベルでの調査では反対論が70%(今週に入って加速しているようです)という数字もある一方で、マンハッタン島内の世論は、48%が賛成、36%が反対と賛成論が多数になっています。

 この建設予定地は「コルドバハウス」という古いビルが建っている場所なのですが、反対派は、この「コルドバハウス」を歴史的建造物に指定して「パーク51」の建設を阻止しようとしました。歴史的建造物に指定する権限は、地元の委員会にあるのですが、このダウンタウン地区の委員会では、29対1の大差で、指定は却下されています。とにかく、マンハッタンの地元としては、「問題なし」としているのです。

 一方で、反対派は全国レベルになっており、それこそ保守系のFOXニュースなどでは毎日のようにコメンテーター達が入れ替わり立ち代り、反対論を繰り広げています。その背後にいるのは、サラ・ペイリンで、そもそもは彼女がツイッターで「敵の勝利を許すものだ」と言い始めたのが反対論が拡大するキッカケでした。

 では、基本的に個人所有の土地に宗教施設を建てる、その場合に信教の自由は合衆国憲法で保証されている、こうした条件の下では、討論をやればボロが出るのが分かっているのに、どうしてペイリン以下の共和党は、連日のように感情論丸出しの反対キャンペーンを張っているのでしょうか? 彼等には、彼等なりの計算があるようです。1つは、オバマ以下の民主党のリベラルは、こうした「信教の自由」といった理念的な問題になると「モスクに賛成」せざるを得ないわけで、そこへどんどん追い込んでいこうという戦略です。そうすれば、真ん中やや右寄りの無党派の票をオバマの民主党から「剥ぎ取る」ことが可能というわけです。

 先週末にオバマ大統領が、「憲法上はモスクを建設する権利がある」と声明を出して、これが保守派からの「大統領はもはや国の多数派を代表してない」という「炎上」に近い非難を浴びると、翌日には「自分はこのモスク建設の主旨に賛同するわけではない」と取り消しに近いコメントを出さざるを得なくなった、このドラマについてはどう見たら良いのでしょう。一見すると「別にオバマは悪くない」ように思えるのですが、上記のような「共和党のワナ」に「まんまと引っ掛かった」という点では、政治的にはかなりダメージが効いているという見方もできるのです。

 オバマの迷走を受けて、民主党も浮き足立ってきました。何と言っても、全国調査で70%が反対という数字は、中間選挙を目前にした時点では刺激的で、これに耐えられる政治家は少ないのです。そんな中、民主党内では「何もあそこに作らなくても」という声が出入するようになり、これを受けて、本稿の時点ではニューヨーク州のピーターソン知事が、問題のモスクを含む「パーク51」プロジェクトの責任者と直接会談して、どこか別の場所への自発的移転を説得するらしいという報道も出ています。

 この辺には、「人種のるつぼ」として信教の自由を絶対視しなくては「やっていけない」マンハッタン島内と、保守的な草の根リベラルを抱えた「アッパーステート」というニューヨーク州でもニューヨーク市からはるか北にある、州都オールバニとの「温度差」という問題もあるようです。ですが、仮に民主党のピーターソン知事の努力で「自主的な移転」などが実現してしまった場合には、それこそペイリン以下の反対派は「聖地グラウンドゼロを守った」とか「憎いイスラムを追放した勝利」などと雄叫びを上げる可能性が濃いわけで、そうなったらそうなったで、オバマ以下の民主党のリベラルは立場を失うことになります。

 マンハッタンのそれこそ、問題の場所に近い人々からは「特別なのはあの場所だけでしょ。俺達は別にグラウンド・ゼロに住んでいるわけじゃないのに」とか「2ブロック以内がダメと言ったって、もう2ブロック以内にはモスクは2軒あるぜ」などという声もあるのですが、問題はもうそれどころではなくなりました。では、今度の問題は「中間選挙へ向けて民主党の大失点」なのか、あるいは「2012年のオバマ再選」へ向けて決定的なダメージなのかというと、そんなことはないと思います。まだまだ挽回は可能で、特に今週から経済が妙に明るいので、そのまま行けば政権に支持は戻る可能性はあります。

 そうは言っても、論争としては不毛なこのエピソードも、明らかに政治的なゲームとしては意味を持ってしまいました。次に同じような「ひっかけ」があった場合に、同じようなミスを犯してしまうとオバマも民主党も相当苦しいことになります。今回のドタバタで、「オバマは法科大学院あたりの先生としては立派だが、合衆国大統領としてはまだまだ」というような評価が語られるのはそのためです。いきなり飛躍するようですが、そんな情勢下ですから「今年11月のオバマ広島献花」などという話は、残念ながら実現可能性は限りなく低いと考えるべきでしょう。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

貿易分断で世界成長抑制とインフレ高進の恐れ=シュナ

ビジネス

テスラの中国生産車、3月販売は前年比11.5%減 

ビジネス

訂正(発表者側の申し出)-ユニクロ、3月国内既存店

ワールド

ロシア、石油輸出施設の操業制限 ウクライナの攻撃で
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 2
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2人無事帰還
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    あまりにも似てる...『インディ・ジョーンズ』の舞台…
  • 6
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 7
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 8
    「隠れたブラックホール」を見つける新手法、天文学…
  • 9
    イラン領空近くで飛行を繰り返す米爆撃機...迫り来る…
  • 10
    【クイズ】アメリカの若者が「人生に求めるもの」ラ…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 3
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 4
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 5
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 6
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 7
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 8
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story