コラム

「シボレー・ボルト」の燃費は本当にリッター96キロなのか?

2009年08月17日(月)12時52分

 8月上旬アメリカでは、野球中継に映る看板広告などで「8・11、23○」という意味不明なキャンペーンが行われていました。23○という「マル」の部分は実際は丸の中に笑顔、いわゆる「ピースマーク」のスマイルが見えるのですが、全体は謎、とにかく8月11日になると「230」という数字に関係する「何か」が起きるというのです。

 その11日になると、「230」の意味が発表されました。以前から発表されていたGMの環境戦略車「シボレー・ボルト」の開発が進む中で、このクルマの燃費が「230MPG」つまり1ガロン(3.8リットル)のガソリンで230マイル(368キロ)走行が可能だというのです。これは通常のガソリン車の10倍以上の効率に当たります。発売中の新型プリウスが51MPG(市内低速走行時)、インサイトが40MPGですから、現行のハイブリッド車と比較しても4倍から5倍という驚異的な数字です。ちなみに、日本の燃費計算に換算すると「ボルト」はリッター96キロになることになります。

 ですが、この「230MPG」に早速「異議」が出ました。一切広告を取らないことで定評のある消費者雑誌「コンシューマー・レポート」がそのウェブ版で「この数字の信憑性は怪しい」とコメントしたのです。調べてみますと、この「ボルト」はトヨタやホンダのハイブリッドとは構造が違い、ガソリンエンジンの駆動力は車輪に行かず発電専用となっています。基本的には「プラグイン」といって家庭用の電源で電池をフ
ル充電しておき、電池の残量が足りない場合と、大きなパワーが必要な場合に自動的にガソリンエンジンが回って追加の発電をするようになっています。

 さて、この230MPGですが、実は電池がフル充電の状態でまず40マイル(64キロ)を電池の電源だけで走らせ、電池の残量がなくなってきたところでガソリンエンジンで発電してエネルギーを補いながら更に11マイル(17キロ)走らせたというのです。これで合計51マイルを走り、その間にガソリンを0.22ガロン(0.84リッター)しか使わなかったので全体の燃費は230MPGというのです。要するにこの51マイルを走るに当たって消費したエネルギーは、ガソリン0.22ガロンだけではなく、電池をフル充電するのに必要な電気代(一晩かかるそうで、こちらの方がずっと大きいはず)があるわけで、これが算入されていないのです。

 というわけで230MPGというのは、コスト的にも環境へのインパクトという意味でもナンセンスな数字、つまりまるで詐欺のような話なのですが、実はこの検査方法は「これから」EPA(米国環境庁)が導入しようとしているハイブリッド車向けのガイドラインで計測したものだそうで、GMが最初から作った捏造ストーリーというと言い過ぎになるようです。ただし、この230という数字とプリウスの51を比較することは全く無意味だということは言えます。

 もう一つこの230MPGが問題なのは、この230という数字から来る航続距離の問題です。GMは600マイル以上の航続距離があると言っています。これはほぼ1000キロということになり、一般のガソリン車よりも長いことになります。ですが、この数字もあくまで低速の「市街地走行」のケースであって、高速走行の場合はずっと落ちると思います。私の勘ですが、55マイル(時速88キロ)では、せいぜい40MPGぐらいでしょう。そうでなくては物理学の質量保存の法則に反します。実際に1000キロも一般道を走るということはないわけですから、この航続距離の話も注意しないといけないでしょう。

 そんなわけで難癖をつけることはいくらでもできそうな「ボルト」のスペックなのですが、日本のメーカーは安心してはいけないと思います。というのは、GMいやアメリカの自動車業界は「なりふり構わず」こうしたエコカーを立ち上げにかかっている、その姿勢には警戒する必要があるからです。例えば、エコカー最大の問題である電池の安全性などでも「なりふり構わず」日本車叩きをする可能性はあると見なくてはなりません。訴訟合戦で一歩も引かない備えからPR活動で言い負けない覚悟まで、何重にも防衛線を張っておく必要があると思います。また「多少マユツバ」ではあっても「230MPG」という数字が一人歩きしたインパクトは無視できません。

 この夏、米国の景気には「まだら模様」の中、先に光が見えてきています。景気が少しでも上向きになると原油価格が敏感に跳ね上がる中、昨年の初夏にあったような石油価格の暴騰が再現する可能性は十分にあります。となれば、エコカー戦争は一気にリアリティを帯びてくるでしょう。夢物語とか未来の技術ではなく、現在進行形の戦いがもう始まっているのです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

豊田織機の非公開化報道、トヨタ「一部出資含め様々な

ビジネス

中国への融資終了に具体的措置を、米財務長官がアジア

ビジネス

ベッセント長官、日韓との生産的な貿易協議を歓迎 米

ワールド

アングル:バングラ繊維産業、国内リサイクル能力向上
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは? いずれ中国共産党を脅かす可能性も
  • 3
    トランプ政権の悪評が直撃、各国がアメリカへの渡航勧告を強化
  • 4
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 5
    アメリカ鉄鋼産業の復活へ...鍵はトランプ関税ではな…
  • 6
    関税ショックのベトナムすらアメリカ寄りに...南シナ…
  • 7
    ロケット弾直撃で次々に爆発、ロシア軍ヘリ4機が「破…
  • 8
    ロシア武器庫が爆発、巨大な火の玉が吹き上がる...ロ…
  • 9
    ビザ取消1300人超──アメリカで留学生の「粛清」進む
  • 10
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 3
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 4
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 8
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 9
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 10
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story