コラム

オバマでも伸びなかった投票率の秘密

2009年07月27日(月)11時29分

 7月20日に連邦政府統計局(センサス・ビューロー)は、昨年11月の大統領選における投票率のデータを公表しました。住民登録制度のないアメリカでは、投票総数や各候補の得票は分かっても、肝心の「分母」つまり、地域・人種・年齢といった要素で切り分けたものを含む「総数」は簡単には把握できません。そこで、統計局から「あの時の人口」(実は高度な統計処理による推定値ですが)を教えてもらわないと「率」は出ないわけで、それで今頃になっての発表になったというわけです。

 さて、この結果の中で意外だったのは、「史上初の黒人大統領オバマ」の「旋風」にも関わらず投票率が横ばいだったということです。2004年の「ブッシュ対ケリー」の際の投票率が64%、そして今回の「オバマ対マケイン」も64%という数字でした。ちなみに、日本では小数点以下まで計算して「下がった」という報道がされていますが、アメリカの当局は「統計的には横ばい」と言っています。どうも数字の精度として、小数点以下はあまり意味がないようです。

 小数点の話はともかく、「オバマ旋風」でも投票率が伸びなかったのはどうしてなのでしょう? そこにはアメリカ独特の政治風土の問題があります。1つには「投票所に行ったり行かなかったりする層」の存在です。例えば、宗教保守といわれる勢力ですが、彼等が強く関心を寄せるのは「社会価値観」つまり中絶など生命倫理の問題や、銃規制への反対というテーマであり、こうした問題が軍事外交政策や経済政策よりも重要だと考える人々です。彼等は、自分たちの思想に共鳴してくれる人は「真性保守」だとして強く支持しますが、気に入った候補がいないと投票所に行かないのです。

 例えば、2006年の中間選挙では、ハリケーン・カトリーナの災害対応で当時のブッシュ大統領の人気が下がった結果、共和党が大幅に議席を減らしたと言われていますが、それ以上に、共和党議員の「少年愛疑惑」を宗教保守派が嫌ったということ、具体的には宗教保守派が投票所に行かなかったのが痛手になったと言われています。2008年の大統領選では、中道のマケイン候補は「真性保守にあらず」というレッテルを貼られていましたし、そのためにペイリン知事を副大統領候補に据えたのですが、それでは足りずに共和党支持の中から多くの棄権者を出したと見るべきでしょう。

 もう1つ、民主党支持層の中で「行ったり行かなかったり」するのは黒人票です。彼等は政策論だけでなく「黒人への尊敬心を持っているか?黒人の民生向上に努力してくれるのか?」を基準に候補を評価して、「信用できる人物がいない」場合は投票所に行かないのです。例えば、2000年、2004年のブッシュの勝利の背景には黒人の低投票率があるという分析が可能ですし、1992年、1996年のビル・クリントンの勝利には「南部出身で黒人コミュニティで育った」彼のことを「初の黒人大統領」という言い方で支持した黒人票の存在がありました。

 ですから、2008年の選挙の投票率に関して言えば、白人の保守票から大量の棄権が出て、黒人票、若年層の票の上乗せ分を食ってしまったということ、非常に表面的に言えばそういうことになります。では「オバマ旋風」は所詮はその程度だったのか、というとそんなことはありません。そこにもう1つの問題があります。それは、アメリカの大統領選の投票プロセスそのものに、物理的なキャパシティーの問題があるということです。

 というのは、いくら全国レベルの連邦政府のトップを決めるといっても、各州の選挙は各州の州法によって進行しますし、各市町村の選挙はそれぞれの地方の予算で実施されます。また、住民登録制度がないアメリカでは、選挙のたびに「選挙登録」をしなくてはなりません。その結果として、行こうと思ったが「混んでいて止めた」とか「手続きが面倒で止めた」という人がぞろぞろ出るのです。そう言うと、不真面目な人が多いようですが、実際に手続きは面倒で、しかも投票所のキャパシティーがないために、投票するのには長蛇の列ということになると、諦めて帰ってしまう人も出ます。

 その中には「これだけオバマが優勢なのだから、まあ大丈夫だろう」という感覚で「止めてしまった」という人も多いと思います。ですから、投票率が「横ばい」だったので「オバマの政治的資産は大したことはない」とか「それほどの圧勝とも言えない」というのは間違いだと思います。また、アメリカ人が政治に無関心だったり、政治不信のために(勿論、そうした感覚もあるにはありますが)投票率が伸びないという言い方も正確ではないと考えられます。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

英借入コスト上昇は「懸念」、直ちに格付けに影響なし

ワールド

EUとメキシコ、FTA現代化で合意 トランプ関税の

ワールド

ロシアの燃料輸出、24年は約10%減 ウクライナの

ワールド

原油先物は上昇、対ロ制裁巡り供給懸念根強い
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプ新政権ガイド
特集:トランプ新政権ガイド
2025年1月21日号(1/15発売)

1月20日の就任式を目前に「爆弾」を連続投下。トランプ新政権の外交・内政と日本経済への影響は?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    失礼すぎる!「1人ディズニー」を楽しむ男性に、女性客が「気味が悪い」...男性の反撃に「完璧な対処」の声
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼いでいるプロゲーマーが語る「eスポーツのリアル」
  • 4
    感染症に強い食事法とは?...食物繊維と腸の関係が明…
  • 5
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 6
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 7
    メーガン妃とヘンリー王子の「山火事見物」に大ブー…
  • 8
    本当に残念...『イカゲーム』シーズン2に「出てこな…
  • 9
    注目を集めた「ロサンゼルス山火事」映像...空に広が…
  • 10
    女性クリエイター「1日に100人と寝る」チャレンジが…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 3
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼いでいるプロゲーマーが語る「eスポーツのリアル」
  • 4
    メーガン妃のNetflix新番組「ウィズ・ラブ、メーガン…
  • 5
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲う…
  • 6
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 7
    ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で再注目...軍艦島の…
  • 8
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 9
    「搭乗券を見せてください」飛行機に侵入した「まさ…
  • 10
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命をもたらす可能性も【最新研究】
  • 3
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 4
    夜空を切り裂いた「爆発の閃光」...「ロシア北方艦隊…
  • 5
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が…
  • 6
    TBS日曜劇場が描かなかった坑夫生活...東京ドーム1.3…
  • 7
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 8
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 9
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
  • 10
    「腹の底から笑った!」ママの「アダルト」なクリス…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story