コラム

ヴェネツィア・ビエンナーレとは何か(1):水の都に集まる紳士と淑女

2015年10月07日(水)17時15分

 説明が前後したが、ビエンナーレの公式展示は2種に大別される。ひとつは上述した各国パビリオンにおける国別展示。もうひとつはディレクターが自らキュレーションを行う企画展。ビエンナーレの総合テーマは事前に発表されるが、そのときには各国パビリオンの作家が決まっていることも多く、総合テーマはディレクターの企画展のためのものと考えてよい。メディアの批判が集中したのはその企画展に対してである。

 業界内で評価の高いナイジェリア出身のディレクター、オクウィ・エンヴェゾーが採用・主唱した総合テーマは「All the World's Futures」(世界のすべての未来)だ。「未来」が複数形になっているところがミソで、「未来たち」は必ずしも薔薇色ではないし、均一でもない。非常に政治的で社会的、もっと正確に言えばラディカルなまでに左翼的な展示であり、カタログに収録されたステートメントにもその傾向は明確に示されている。

04_enwezor.jpeg

オクウィ・エンヴェゾー (photo by Bengt Oberger - Own work. Licensed under CC BY-SA 4.0 via Commons -)

 冒頭に引用されるのは、ナチスに追われて1940年に服毒自殺したユダヤ人批評家、ヴァルター・ベンヤミンの評論『歴史哲学テーゼ』の一節。「新しい天使」と題されたパウル・クレーの絵についての文章だ。天使は未来に背を向け、過去の破局を見つめている。破局は瓦礫の上に瓦礫を積み重ね、それを彼に向かって投げてくる。天使はそこにとどまりたいが、楽園から嵐が吹きつけていて、行きたくもない未来のほうへ押し流されてゆく。眼前には瓦礫の山が積み上がって、天にも届かんばかり......(大意)。ベンヤミンはこの絵を死に至るまで携行していたが、エンヴェゾーが引く彼の言葉は次の一文で閉じられる。「私たちが進歩と呼んでいるもの、それがこの嵐なのだ」

 それに続く本文では「アートには何の義務もない。社会問題や批評的な政治関与へのあらゆるアピールに対し、口を閉ざし、耳をふさいだままでいることをいつでも選択できる」との一般論がまずは述べられる。だが、実際の展示は口も耳も開いた作品ばかりだ。ジャルディーニにある「セントラルパビリオン」に入って最初に出迎えてくれるのはファビオ・マウリのインスタレーション。天に延びた梯子の向こうに古い旅行鞄がいくつも積み重ねられていて、瓦礫の山に見えなくもない。隅のほうに半裸の女性のモノクロ写真があり、胸にはダヴィデの星の刺青が入れられている。強制収容所に送られ、身ぐるみ剥がされた上で殺された、ユダヤ人を追悼する作品であることは誰にでもわかる。エンヴェゾーは、自らの企画展の起点に、20世紀最大の狂気を主題にしたアートを置いたのだ。

05_central.JPG

セントラルパビリオン(photo by Hiroko Ozaki)


06_mauri1.JPG

Fabio Mauri, Macchina per fissare acquerelli, 2007 (front) and Il Muro Occidentale o del Pianto, 1993 (photo by Hiroko Ozaki)


07_mauri2.JPG

Fabio Mauri, Il Muro Occidentale o del Pianto, 1993 (detail, photo by Hiroko Ozaki)

プロフィール

小崎哲哉

1955年、東京生まれ。ウェブマガジン『REALTOKYO』『REALKYOTO』発行人兼編集長。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。2002年、20世紀に人類が犯した愚行を集めた写真集『百年の愚行』を刊行し、03年には和英バイリンガルの現代アート雑誌『ART iT』を創刊。13年にはあいちトリエンナーレ2013のパフォーミングアーツ統括プロデューサーを担当し、14年に『続・百年の愚行』を執筆・編集した。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

豊田織機の非公開化報道、トヨタ「一部出資含め様々な

ビジネス

中国への融資終了に具体的措置を、米財務長官がアジア

ビジネス

ベッセント長官、日韓との生産的な貿易協議を歓迎 米

ワールド

アングル:バングラ繊維産業、国内リサイクル能力向上
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは? いずれ中国共産党を脅かす可能性も
  • 3
    トランプ政権の悪評が直撃、各国がアメリカへの渡航勧告を強化
  • 4
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 5
    アメリカ鉄鋼産業の復活へ...鍵はトランプ関税ではな…
  • 6
    ロシア武器庫が爆発、巨大な火の玉が吹き上がる...ロ…
  • 7
    関税ショックのベトナムすらアメリカ寄りに...南シナ…
  • 8
    ロケット弾直撃で次々に爆発、ロシア軍ヘリ4機が「破…
  • 9
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 10
    ビザ取消1300人超──アメリカで留学生の「粛清」進む
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 3
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 4
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 8
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 9
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 10
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 6
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 7
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story