コラム

30年間贋作を制作し、資産家や神父を装って美術館に寄贈し続けた男

2015年10月30日(金)17時00分

『美術館を手玉にとった男』史上最も善意ある贋作者の衝撃のドキュメンタリー (c) Purple Parrot Films

 『美術館を手玉にとった男』は、とんでもなくユニークな贋作者を題材にしたドキュメンタリーだ。事の発端は、2008年にオクラホマシティ美術館のレジストラー(情報管理担当者)、マシュー・レイニンガーが、マーク・ランディスなる人物によって寄贈された作品が贋作だと気づいたことだった。彼は他の美術館に問い合わせるなど調査を始め、驚くべき事実が明らかになっていく。ランディスは30年にわたって多様なスタイルを駆使して贋作を制作し、資産家や神父を装って美術館を訪れ、慈善活動と称してそれらを寄贈していた。騙された美術館は全米20州、46館にも上った。

 ともに美術界にバックグラウンドを持つふたりのドキュメンタリー作家が、「ニューヨーク・タイムズ」の記事でランディスのことを知ったとき、事件の背景はまだ解明されておらず、謎に包まれていた。そこで彼らはランディスに接触し、その実像に迫っていく。

『美術館を手玉にとった男』

 そんな映画は意外な展開を見せる。ランディスは贋作者の典型的な人物像には当てはまらない。才能を証明することや権威を失墜させること、金儲けなどにはまったく関心がない。ちなみにFBIも捜査はするが、金銭を受け取っていないため罪には問われない。1955年生まれのランディスは10代の頃に統合失調症と診断され、精神疾患による疎外感に苛まれてきた。そんな彼がとる行動は、自分をコントロールするための自己流のアートセラピーと見ることができる。と同時にこの映画は、最初に贋作を見破ったレイニンガーにも迫る。彼はランディスに執着し、仕事を失っても彼を追いつづける。そして、彼らの思惑や感情が絡み合っていくとき、美術や贋作に留まらないテーマが浮かび上がってくる。

 そこで、このドキュメンタリーとぜひ対比してみたいのが、スティーヴン・スピルバーグの『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(02)だ。有名な詐欺師の実話に基づくこの映画は、1963年から始まる。16歳の主人公フランクの父親は、第二次大戦でフランスに駐留しているときに母親に出会った。父親を尊敬していたフランクは、事業の失敗や浮気が原因で両親が離婚したことに激しいショックを受け、家を飛び出して詐欺師としての才能を開花させる。彼はパイロット、医師、弁護士へと次々に姿を変えていく。そして、そんな詐欺師を執拗に追いつづけるのがFBI捜査官カールで、ふたりの間には絆が芽生えるようになる。

スティーヴン・スピルバーグ『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(02)

 このドラマには、スピルバーグ自身の体験や世界観が反映されている。少年時代の彼は、戦時中に爆撃機の無線師だった父親が語る戦争の話に夢中になった。その後、人種差別や両親の離婚を体験した彼は、表層的で画一的な郊外の世界に強い違和感を覚えるようになる。やがて映画監督となった彼は、本物と偽物が鮮やかに転倒するような独特の話術を身につけていく。それがこの映画にもよく表れている。詐欺師フランクは、本物の世界に潜む偽者といえる。カールは、偽物としてのフランクを受け入れている唯一の人物であり、偽物であることを見抜きつづけることによって、いつしか彼らは本物の家族になる。スピルバーグは本物と偽物が転倒するドラマを通して、表層にとらわれた世界に揺さぶりをかける。

 『美術館を手玉にとった男』は、時代背景と話術の両面でこの映画に通じる魅力を放っている。ランディスの父親はアメリカ海軍の中尉で、少年時代の彼は両親とともにロンドンやパリ、ブリュッセルなどで暮らした。そしてパーティーなどで両親が家を空けているときに、美術館のカタログにある絵を模写する習慣を身につけた。10代の彼が最初に統合失調症と診断されるのは、父親を癌で亡くした後のことだった。やがて彼は先述したように、贋作を制作し、慈善活動を繰り返すようになる。さらに、この映画が撮影される2年前に彼は母親を亡くし、その行動がエスカレートしている。

 そんな彼の行動で見逃せないのは、優れた贋作者でありながら、生活圏が一般の人々となにも変わらないことだ。彼は画材をウォルマートのようなディスカウントストアで調達している。絵画の裏面はコーヒーで染みをつけて古く見せかける。10代の頃に母親からプレゼントされたことが記憶に焼きついているテレビの影響も大きい。彼は作業中に必ず古い映画を流しつづけている。美術館を訪れるときに演じる資産家や神父は、映画の登場人物がヒントになっている。つまり彼は、絵画だけでなく演劇も含めた自己流のアートセラピーを実践しているわけだ。

 一方、ランディスを執念で追いつづけるレイニンガーの心理も興味深い。彼自身もある記事のなかで認めているように、贋作を見抜いたのが彼だけとは限らない。たとえ気づいたとしても美術館のキュレーターやディレクターが、贋作をつかまされたことをおいそれと認めるはずもない。しかし、レイニンガーは事実を公にするだけではなく、ランディスの才能を評価し、魅了されていく。だから贋作を見抜きつづける。そして、なんとか慈善活動を止めさせようと悩むうちに、美術館のかつての同僚がランディスの個展を開くというアイデアを思いつく。

 この映画は、ランディスがオリジナルを否定し、贋作の制作に励む場面から始まるが、いつしか彼のアートセラピーがオリジナルなものになり、オリジナルに固執しながら表層にとらわれている人々や社会に揺さぶりをかけていくことになる。

●映画情報
 『美術館を手玉にとった男』
監督:サム・カルマン、ジェニファー・グラウスマン
公開:2015年11月21日(土)よりユーロスペースほか全国順次ロードショー
配給:トレノバ
(C)Purple Parrot Films

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

豊田織機の非公開化報道、トヨタ「一部出資含め様々な

ビジネス

中国への融資終了に具体的措置を、米財務長官がアジア

ビジネス

ベッセント長官、日韓との生産的な貿易協議を歓迎 米

ワールド

アングル:バングラ繊維産業、国内リサイクル能力向上
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは? いずれ中国共産党を脅かす可能性も
  • 3
    トランプ政権の悪評が直撃、各国がアメリカへの渡航勧告を強化
  • 4
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 5
    アメリカ鉄鋼産業の復活へ...鍵はトランプ関税ではな…
  • 6
    関税ショックのベトナムすらアメリカ寄りに...南シナ…
  • 7
    ロケット弾直撃で次々に爆発、ロシア軍ヘリ4機が「破…
  • 8
    ロシア武器庫が爆発、巨大な火の玉が吹き上がる...ロ…
  • 9
    ビザ取消1300人超──アメリカで留学生の「粛清」進む
  • 10
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 3
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 4
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 8
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 9
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 10
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story