コラム

学生運動と台湾の伝わらない声

2014年04月02日(水)17時31分

「服貿」をめぐる台湾の学生運動が過熱している。「服貿」とは服務貿易協定、つまりサービス貿易協定のことだ。大陸と台湾の自由貿易協定(FTA)に当たる経済協力枠組み協定(ECFA)の柱であるこの協定の承認を急ぐ馬英九政権は、3月半ばに立法院(国会)の審議を強引に打ち切った。それに対して学生が怒っているのだが、彼らの怒りは経済問題でなく、むしろ政治問題に向けられている。

 経済依存が強まれば強まるほど、台湾が中国にのみ込まれ「第2の香港」になるリスクは高まる。そうなれば少なくとも87年の戒厳令の解除以降、台湾社会が築き上げてきた民主主義や人権重視といった価値観は危うくなる――学生たちはそう懸念している。同じ中国語を話し、同じように漢族が90%以上を占める国だが、台湾と中国は今やかなりカルチャーが違う国になった。民主主義をいつまでたっても認めず、人権を平気で踏みにじる大陸の共産党政権のやり方を見て、学生たちが台湾の未来を不安に思うのもある意味無理はない。

 先日、台北で「服貿」に反対する大規模なデモ(参加者数は主催者側が50万人、警察が11万人と発表している)もあった。日本ではまるで「台湾全体が協定反対で盛り上がっている」「学生の運動は理性的で、市民にも支持が広がっている」という印象が特にメディアの報道を通じて広がっている。ただいったんこういったイメージが広がると、運動の異なる側面はなかなか伝わって来ない。果たして、この学生運動は正しいばかりのか。


「多くの学生が自分たちの考えに反対する人たちをひどい言い方で攻撃している。到底耐えられない。反対の声が上げにくいこんな雰囲気は、とても民主的とは思わない。互いに尊重し、理性的に議論してこそ本当の民主主義のはず。でも今は『同意しなければすなわち敵』になっている......」

「議会を開かせないため議場を占領するのは分かる。でも設備を壊すのはやり過ぎ。今回興味深いのは、多くの学生たちが考えの違うフェイスブック上の友人を削除していること。考えが違う自分の友人を許容できない人が、どうして他人を尊重できる? みんな自分の考えを他人に認めさせることばかり考えている。そして、自分と違う声や考えなら、即削除。この活動が『理性的』って本当に言えるかしら」

 デモの後、知り合いの台湾人女性2人に意見を聞いた。2人とも子供のいる母親だが、まるで自分の子を叱るような、思いもかけない厳しい言葉が返って来た。しかもまったく別々に取材したのに、驚くほど内容が似通っている。2人とも国民党支持あるいは民進党系という政党性はなく、明らかにノンポリだ。

 台湾のテレビ局TVBSが先月23日に実施した世論調査で、立法院の占拠は51%が賛成、反対は38%だった。TVBSは国民党系のテレビ局なのである程度割り引いて考えるべきだが、それでも今回の運動に対する一定数の反対者たちがいることは間違いない。そしてその声が台湾の外に伝わることはあまりない。


「彼らはサービス貿易協定に反対してるけど、協定が何か本当に知っているのかしら?」

「国と国との間で決めた協定を片方が勝手に破棄すべきではないでしょう。サービス貿易協定がいいかどうか、私には断言できないし、賛成か反対か表明することもできない」

 このサービス貿易協定は美容や印刷から建築、金融まで相当広い範囲の業種を対象にしている。しかもそれぞれの業種によって台湾、中国それぞれの開放の度合いが違い、この協定が「台湾に得か、損か」を論じるのは実は簡単ではない。2人の正直な声は、一定の教育を受けた常識的な台湾人の本音を反映しているはずだ。だが、こういった声もあまり日本に届くことはない。

 もちろん大半の台湾人にとって、大きくなるばかりの中国の存在はチャンスであると同時に脅威だ。リスクを取って独立を求めるでもなくあきらめて統一を受け入れるでもなく、現状維持というある意味「ぬるま湯」に浸って来た台湾に、清算の時が迫りつつある――今回の学生運動は今後始まる軋轢の序章でしかない。だとすれば、台湾と台湾人が選ぶべきなのは、どんな未来なのだろう。母親である彼女たちは、子供の将来をどう思い描いているのだろうか。


「大陸に行かなければ仕事がない......悲しむべき事態だけど、台湾人はこうするしかなく、ほかに方法はない。1人の母親として子供に望むのは、競争力を身につけて国外で成功すること。台湾は沈み続けるだけだから......」

「たぶん、将来はもっと『現状維持』が難しくなる。そう分かっているから、台湾はもっと外に出ていかなければいけないと思う」

 台湾と台湾人が育ててきた価値観は、中国が振りかざすその場限りの強権政治に劣るものでは決してない。ただ、中国の膨張と日々強まる圧力は、国際社会の否定しようもない現実だ。民主主義や人権を大陸の圧政から守ろうと主張する学生運動は正しい――そう手放しで称賛することはたやすい。ただ、台湾が直面している現実は、遠く離れた日本で日本人が想像しているよりずっと複雑で、台湾人たちは日々その難しい状況と格闘している。そして、彼らなりのやり方で必死に生き残る方法を考えている。

「伝わらない声」にも耳を傾けなければ、台湾問題の深層は理解できない。

――編集部・長岡義博(@nagaoka1969)

※終わりの見えない学生運動と台湾を取り巻く国際環境についてリポートした記事「台湾学生運動の本当の敵」が載ったNewsweek日本版4月8日号は好評発売中です!

プロフィール

ニューズウィーク日本版編集部

ニューズウィーク日本版は1986年に創刊。世界情勢からビジネス、カルチャーまで、日本メディアにはないワールドワイドな視点でニュースを読み解きます。編集部ブログでは編集部員の声をお届けします。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

タイ、米関税で最大80億ドルの損失も=政府高官

ビジネス

午前の東京株式市場は小幅続伸、トランプ関税警戒し不

ワールド

ウィスコンシン州判事選、リベラル派が勝利 トランプ

ワールド

プーチン大統領と中国外相が会談、王氏「中ロ関係は拡
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 2
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2人無事帰還
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 6
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 7
    「隠れたブラックホール」を見つける新手法、天文学…
  • 8
    【クイズ】アメリカの若者が「人生に求めるもの」ラ…
  • 9
    イラン領空近くで飛行を繰り返す米爆撃機...迫り来る…
  • 10
    あまりにも似てる...『インディ・ジョーンズ』の舞台…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 3
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥーが解明される...「現代技術では不可能」
  • 4
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 5
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 6
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 7
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 8
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジ…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story