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コラム
ニューズウィーク日本版編集部 From the Newsroom
NYオペラ界を沸かせる大西宇宙って?
「彼は将来を約束された才能の持ち主だ」――世界中から若き才能が集まるニューヨークで、オペラ指揮の巨匠リチャード・ボニングにそう言わしめた日本人のバリトン歌手がいる。大西宇宙(たかおき)さん。ジュリアード音楽院声楽科に留学中の28歳だ。
昨年リンカーンセンターで開催されたリチア・アルバネーゼ=プッチーニ国際声楽コンペティションの受賞者コンサートで、大西さんが会場の空気を一瞬にして支配するという場面に出くわした。コンサートに詰め掛けたのは、熱狂的なオペラファンや新進の若手声楽家をチェックしに来た音楽関係者といった面々。いわば「通な」観客たちが拍手やブラボーコールで自分の好き嫌いをそれとなく意思表示していくという、ガラコンサートといえどもコンクールの延長的な要素も垣間見られる音楽会での出来事だ。
1位入賞者である大西さんが登場したのは、2位のテノール歌手が『トスカ』のアリアを歌い上げて会場の盛り上がりが最高潮に達し、さあ1位はどうする?という雰囲気でのことだった。笑顔で舞台に登場してきた大西さんはバリトンの美声を発したその瞬間に、2位の演奏で熱を帯びていたその場の空気を一気に支配してしまったのだ。会場全体が興奮していた心をどこかに置き忘れ、大西さんの声に引き込まれる。そしてオペラ『ドン・カルロ』からの情熱的なアリア「私の最後の日」を聴き終えると、我に返った観客たちが惜しみない拍手を送る――そんな一幕だった。
耳の肥えたオペラファンの心をわしづかみにしてしまう28歳とはどんな人物なのか。ジュリアード音楽院にいる大西さんに会いに行ってきた。
リンカーンセンターに隣接するジュリアード音楽院は、世界屈指の名門音楽学校だ。ダンス、演劇、音楽の3部門を擁し、大学と大学院を合わせて45カ国から800人以上が在籍している。オーディションを始め厳しい選考を勝ち抜いた人しか入学を許されず、世間的には既に「プロ」の域に入る学生もいる。大西さんは武蔵野音楽大学・大学院を首席で卒業後、そんな「世界のジュリアード」に2011年、唯一の日本人として声楽科の大学院コースに入学。昨秋からは大学院卒業者のうち一握りしか進むことができないアーティスト・ディプロマ・コースに全額奨学金を得て進学している。
ジュリアードに入学後の大西さんは、わずか半年で声楽科全66人のうち上位2人に選ばれて「栄誉者リサイタル」に出演したほか、リチア・アルバネーゼ=プッチーニ国際声楽コンクール第1位、ゲルダ・リスナー国際声楽コンクール優勝、オペラ・インデックス・コンペティション第1位と名だたるコンクールで次々と入賞。今日2月19日からはジュリアードのオペラ本公演でチャイコフスキーの『エフゲニー・オネーギン』にオネーギン役で主演する。今夏のサイトウ・キネン・フェスティバル松本オペラ公演のカバー(キャストが出演不可になった場合の代役)にも、小澤征爾さん直々のオーディションによって選ばれた。昨年オペラ指揮の大御所リチャード・ボニングに大西さんの評価を取材したところ冒頭の言葉で絶賛したところをみると、今やニューヨークのオペラ界で異彩を放つ日本人であることは間違いない。
■「寿命の長いオペラ歌手になりたい」
そんな大西さんだが、彼は音楽の英才教育を受けて育ったいわゆる「エリート音楽家」タイプではない。ピアノは4歳から習っていたし、中学と高校では吹奏楽部でチューバを吹いていたが、両親はクラシック音楽とは無縁の会社員。だが高校時代にオペラの曲を演奏したり音楽の授業でカンツォーネなどを歌ううち、クラシック音楽にはまっていく自分がいた。「声は音楽の起源。自分の体が音楽を発する」楽しさに目覚めていったという。
高3で初めて声楽の先生につき、武蔵野音楽大学の受験を決意。両親には音大受験を反対されたが、大西さんはホワイトボードに「なぜ音大に入りたいのか。入って何をどう勉強するのか」を理論立て書き出し、「演説した」という。「自分には明確な目的意識があった。英才教育を受けた音楽家というのは親の思いのほうが強い場合が多く、親のためだと途中で自分が何をやりたいのかを見失う。自分を見失ったときというのが一番怖い」
なぜ自分は歌うのか、なぜ音楽を学ぶのか。それがクリアだからこそ、上手くなるために必要なことは全力でやる。武蔵野時代にも「誰よりも練習した」という大西さんだが、ジュリアードに入学後は文字通り音楽漬けの日々が始まった。1年目のスケジュールを見せてくれたが、朝から夕方まで音楽理論や発音法、発声レッスンやオペラの演技指導、夜や週末は予習や歌の自主練習、オペラのリハーサルなど休む間もない多忙さだ。『エフゲニー・オネーギン』主演に向けては、ロシア語の歌詞に英訳を付けて意味を解読したり、プーシキンの原作を読んだり。「学者みたい」と言われることもあるそうだが、そんな孤独な作業を楽しんでやれるのは「人と音楽をシェアしたい」からだという。
「芸術家はみんな孤独だけど、みんな最終的には自分を分かって欲しいからやっている。楽譜は作曲家からの手紙で、演奏者は通訳だ。作曲家が楽譜に込めた世界を、自分を通して人に伝える。音楽は自分にとって、自分がありのままでいられる場所」
音楽が自分の居場所――そう言う大西さんだが、ジュリアードにもすっかり居場所を築いているようだ。授業が終わった校舎を訪ねると、すれ違う学生やスタッフたちが次々と彼に声をかけ、大西さんも流暢な英語で挨拶を返しながら笑顔でハグを交わす。そんな彼を見ていると、ボニングが大西さんの才能の1つとして「人間としてチャーミングなこと」を挙げていたのもうなずける。自分自身が「楽器」である声楽家にとって、人間的な魅力というのはもしかすると最も重要な資質なのかもしれない。
そんな仲間たちとも厳しい世界で生き残りを賭けて努力するライバル同士であることには変わりない。オペラ歌手にとってプロというのは狭き門で、ジュリアードの学生は道路を挟んで校舎の向かい側にあるメトロポリタン歌劇場を「道の向こう側(アクロス・ザ・ストリート)」と呼ぶそうだ。その道には見えない高い壁が立ちはだかり、卒業生のほんの少数だけが向こう側に行けるのだ。
とはいえ、ボニングに言わせれば「将来を約束されている」大西さん。向こう側への追い風を噛み締めているだろうと思いきや、本人は「ようやく麓に立ったかな、というところ」と至って冷静だ。「コンクールでの入賞は、才能の一角にあるということが証明されただけ。それが色々なきっかけを与えてくれることには違いないけれど、目標はコンクールでもメト(ロポリタン歌劇場)でもなくて、寿命の長いオペラ歌手になること。50歳でやりたい役、50歳じゃないと出来ないだろうな、という役もある」と言う。今日から演じるエフゲニー・オネーギンという役も、40歳くらいでやるものだと思っていたそうだ。
「音楽家は常に自分に満足しない民族。自分に100点をあげられる公演なんてない。何がダメか、自分でそれが分かる以上は前に進み続ける」という大西さん。「歌は自分をどこまで持っていってくれるんだろう」とも語る。彼が今後の長い人生で何を吸収し、それを音楽家として世界にどう伝えていくのか。それはきっと、彼の歌を聞いた誰もが楽しみにしていることだろう。
――編集部・小暮聡子(ニューヨーク)
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