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ニューズウィーク日本版編集部 From the Newsroom
「子連れハーバード留学」で見つけた両立の極意
華麗な経歴を誇り、パワフルに活躍する人の話を聞くと、すごいと思う反面、「特別な才能があるからできたことで、自分とは違う」と感じることも少なくない。その点、産婦人科医の吉田穂波さんは、周囲の人々に「自分にもできるかも。一歩踏み出してみよう」と思わせる不思議なオーラをまとっている。すべてを包み込むような温かさと、穏やかで前向きなエネルギーに満ちているせいだろうか。
都内の女性総合外来で臨床医として働いていた吉田さんが、0歳、1歳、3歳の3人の幼子を連れて渡米したのは08年夏のこと。ハーバード公衆衛生大学院で2年間学び、帰国後は国立保健医療科学院の研究者として、災害時の母子支援体制などの研究に取り組んでいる。この夏には、やりたいことをまとめて叶える時間管理術や、波乱の留学生活を乗り切った交渉ノウハウを記した著書「『時間がない』から、何でもできる!」(サンマーク出版)も出版した。
しかも現在、5人目のお子さんを妊娠中! 第一線でキャリアを積み重ねながら、家族との時間も大切にできる秘訣はどこにあるのだろう──そんな疑問に駆られ、仕事と子育てと受験勉強を同時進行できた理由や、キャリアと子育てを楽しみながら両立する方法について聞いてみた。
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──なぜ3人の子連れで留学することに?
子どもを出産した後、臨床医として仕事に追われる一方で、夕方になると保育園へダッシュして......と必死で頑張っていたけれど、夜間当直はできないし、会議にも出られないから評価は下がる一方。2人目が生まれて肩身がますます狭くなり、にっちもさっちもいかなくなっていた。周囲から「子供は宝。今が一番可愛い時よ」と言われても、そんな実感はなく、子供がいるために大事な仕事を任せてもらえないことが悔しかった。現場に張り付いている時間が短いと、どれだけがんばっても低い評価しか受けられないことにも疑問を感じていた。
ちょうど何回か臨床研究について学会発表をする機会があり、留学して統計や疫学のスキルを身につければ、診療とは別の学術的な面で貢献できる、自分に付加価値をつけてステップアップできると思った。今思えば、正直なところ、私はもっと出来る、もっと認めて欲しいという気持ちが強かったと思う。鬱々とした気持ちで自己啓発書を読み漁っていた時、「困難だから、やろうとしないのではない。やろうとしないから、困難なのだ」という言葉に出合って、ガツンと来た。
「来年から留学しよう」と決めた後に3人目を授かったのもラッキーだった。これなら産休を取るタイミングで留学できる!解決策は留学しかない!とますます勢いがついた。
──07年夏に留学を決意して、出願の締め切りは12月。半年間で小論文や推薦状を用意し、TOEFLとGRE(大学院志望者用の学力テスト)で高いスコアを取らなければいけない。受験準備の時間をどうやって捻出した?
本にも書いたように、時間がないから、出来ないからこそ、やりたいことが次々に出てくるもの。制約が多い時ほど、それを燃料にして、次のステージにステップアップするチャンスだと思う。
当時は小さな子供を2人かかえて毎日疲れ果てていたけれど、12月という締め切りができたことで火事場の馬鹿力が出た(吉田さんは、子供と一緒に夜8時過ぎに就寝し、朝3時に起きるという生活スタイルに切り替え、早朝の3~6時を勉強時間に充てた)。子供たちが目を覚ますまでしか自分の時間がないと思うと、信じられないほど集中できた。留学のスタート時期をあと1年先延ばししていたら、あんなパワーは出なかった。
(著書に対して)切羽詰まっているワーキングマザーからの反響が多いが、密度の濃い時間の使い方は男女関係なく必要なスキル。仕事が終わらないから残業するのが当然だと思っている男性も、「もし子供のお迎えがあって絶対に残業できない立場だったら」と緊張感を持って考えてみてほしい。そうすると、誰でも必ず、もっと効率化できるポイントに気付くはず。細切れ時間の使い方や優先順位の付け方も変わってくる。
──何か目標を立てても、そのための努力を続けるのはなかなか難しい。
私もそうですよ。だから、小さな手帳のメモ欄に感動した言葉や自分に渇を入れる表現を書き出して、暇さえあれば見返していた。何度も思いだすことで刷り込み効果があると思う。また、いろんな障害に直面してやる気が削がれても、また自分の心にエネルギーを注入するために、自分の心を満たすのを忘れないこと、人の助けを借りること、批判や意見衝突から学ぶことにした。
それに、出来るといいなと思って努力するけれど、できないときはしょうがない(笑)。こういう日もある、体調の波も人生の波もあるんだから、ずっとトップスピードで走るなんて無理、とあきらめる。でも不思議なもので、しばらく止まっているとまた歩き出したくなるように、ダメだな、と思う日が続くと反省してまた頑張れるようになる。
見事、ハーバード公衆衛生大学院の合格通知を手にした吉田さんは、3人目の子供を出産した1カ月後の08年夏、仕事を休職した夫と共にボストンへ渡った。ところが、大学院でのハードな学業に加えて、プライベートでもトラブルが続出。子供3人の保育園代は月額50万円に達し、家族5人の医療保険料として120万円を請求される。借りていたマンションで予想外の改修工事が始まったのに、退去も家賃の減額も認められない......。貯金はみるみる減っていった。
──数々のトラブルをどう乗り切った?
留学する前も精神的にきつかったけれど、留学中のお金がないストレスのほうがその何倍も辛かった。 でも、被害者意識を持っていても始まらない。自分の下調べが甘かったんだし、家族に辛い思いはさせたくない。家族がいたおかげで、「困ってるの。助けて!」と声を上げて、人の力を借りることができ、人から受けた優しさが身に染みた。解決策を求めてあちこちの壁を叩くと、思いがけないアイデアをもらえたり、壁だと思ったところに扉があったりした。
アメリカでの私は、お金も肩書きもなく、言葉もおぼつかず、子供をぞろぞろ連れた「子沢山で貧乏な移民」。銀行の窓口でもスーパーのレジでも人の力を借りないとサバイバルできないのに、何もお返しできるものがなかった。できるのは大喜びして感謝の気持ちを示すことくらいしかなかった。留学を経て以降は、人に何かお願いをしたり、お世話になったら、感謝して、喜ぶことをはじめ、して頂いた以上のものを恩返ししようと心がけている。役立ちそうな情報を知らせたり、人を紹介したり。
帰国後は産婦人科医として、東日本大震災の被災地で妊産婦や乳幼児の支援に奔走した吉田さん。昨年春に臨床の現場を離れて研究職に転じ、災害時の母子支援システムの構築などに取り組んでいる。しかもお腹には5人目の赤ちゃんがいる(第4子は留学中に出産)。
──留学する前のような両立をめぐる悩みはもうない?
もちろん毎日が試行錯誤。でも(子供の数が)0から1に増えた時の変化や、1から2の負担増に比べれば、3人以上は何人増えても親の負担はあんまり変わらない(笑)。逆に子どもたち同士がお互いに育て合っているので、親の負担は軽くなったと感じる。それに、「子供には母親の手料理が一番」のように自分を縛っている価値観を探して、別の視点で捉えられないかなと考えることで、人の手を借りたり、開き直ったりする図太さが生まれたと思う。
産休から復職した人から、自分だけ定時に帰るのは気が引ける、子供の病気で休むと上司に言いにくいと相談されることがある。効率よく働いて成果を出すことは大切だけど、あえて職場で家庭や子供の話を開示するのも、一つの方法だと思う。私も以前は、職場でただでさえ迷惑をかけているんだから、と思って、パーソナルな話はせず、ひたすらビジネスライクに振舞っていた。でも、ハーバードで考えが変わった。アメリカは多様性の国で、民族も宗教も出自も違うから、「自分は敵じゃない」と示すためにあえてプライベートな話をする。自分が親であり、夫や妻であり、地域の一員でもあるという人間的な顔を見せ合うことで、互いの理解が深まって職場の空気もよくなる。
──具体的にはどうしたらいい?
助けを求めるとき、「○○さんには聞いておいてほしいんです。信頼しているから相談したいのです」と、頼りにしている気持ちを十分伝えたうえで相談すると、受け入れてもらいやすいのでは? 早く帰る時は周りに感謝して、「皆さんのおかげで働けます」という気持ちを表す努力も必要だと思う。あと、上司や同僚に子供時代の話を聞いてみるといいかもしれない。例えば上司が子どものとき、熱があるときにお母さんが付いていてくれて、どれだけ安心したか思い出すと、子育て中の部下に対する対応が変わることもある。
仕事と育児の狭間で苦しい思いをしている人には、十分に働けなくて劣等感や無力感を感じるのは自然なことだと知っておいてほしい。子育てと仕事の両立支援関連の書籍や情報サイトには成功例や楽しそうな話ばかり並んでいるから、自分だけができていない、と思いがちだけど、皆、二軍落ちのような気持ちを抱いている。アメリカでもコンシャスネス(意識する、気づく)という方法を聞いたけれど、自分の気持ちに目を留めて、「辛いんだな」「悔しいんだな」「当たり前だよね」と気づくだけで、少し落ち着くこともある。
──子供を預けて働くことに罪悪感をもち、キャリアを諦める人も少なくない。
私も罪悪感がないわけじゃない。でも、両親が教師という共働き家庭で育ち、親は仕事を通じて社会から必要とされている、仕事のおかげで生き生きしているということを理解していた。親が保育園や学童の存在をいつもポジティブに話してくれたのも、よかったと思う。「たくさんの大人に育ててもらえてよかったね。たくさんの人にかわいがられたね」と。おかげで今でも、親以外の他人への信頼感や、社会・地域への安心感がとても強い。
子供への愛情を示したくて、「ごめんね。本当は行きたくないけど、仕方がないから仕事に行くね」と謝っていると、仕事は仕方なくやる嫌なものというイメージを刷り込んでしまうかもしれない。我が子がニートになったら困るし、「仕事って楽しい。将来、自分も好きな仕事をしたい」と思ってほしい。だから、被災地支援で家を留守にした時も、子供たちが保育園で教わった宮沢賢治の「アメニモマケズ」という詩にかけて、「東北に困っている人がいるから、心配ないと言ってあげるんだよ。お母さんを必要としてくれる人が待っているんだよ」と話していた。
──子供をもちながら働くことの大変さが強調されるせいか、両立は無理と最初から諦めている人もいる。
仕事と子育てのどちらも大変だから、両方なんて無理だと考える気持ちはよく分かる。でも100のタスクと100のタスクを足しても、200にはならない。仕事で煮詰まった時、子供と向き合えば嫌でも気分が切り替わるし、子供のことでイライラしても、仕事に行けば忘れられる。別の世界を行き来することでストレスが相殺されるから、むしろ精神的な負荷は楽になる面もあるくらい。
若い人は24時間すべてが自分の時間で、飲み会にも自由に行ける楽しさは知っていても、家庭をもった後、子供をもった後の楽しさや充実感は体験していないのだから、躊躇するのは当然だろうなと思う。失うものの大きさは分かっても、それと引き換えに手に入るものがどれほど素晴らしくて、おまけに自分にとってもどれほどメリットがあるかはイメージできないから。それを伝えていくのは、私たち経験者の役割だと思う。これから結婚を考える年齢の人には、子どもをもつことの奇跡、楽しさ、子どもをたくさんもつことのメリットについて体験者の声として伝えられればと思う。
──自分にとって、子どもをもつメリットとは?
子供がいる生活は、予測不可能なことや不合理で想定外の出来事の連続だから、不測の事態に対応する経験値がぐっと上がる。忍耐強さや許容力も劇的に高まるし、異なるバックグラウンドをもつ地域や保育園の人たちと接点が増えて、コミュニケーション能力も磨かれる。
「大変でしょ?」と聞かれると、つい愚痴や苦労自慢を言いたくなるけれど、周りにはできるだけ楽しい話を伝えていきたい。私が子沢山なのも、「たくさん産んで、仕事も家庭もドタバタだけど、にぎやかでハッピー」という生き方を草の根レベルで示したいなと思って。「これがいいから真似しなさい」という意味ではなく、私の例を見て、こういう選択もあるんだな、自分はそうなりたいかな、あるいは、そんな生活は嫌だと思うかな、と考える、リトマス試験紙のような存在になれれば嬉しい。
>吉田 穂波(よしだ ほなみ) 神奈川県立保健福祉大学 ヘルスイノベーション研究科 教授
医師,医学博士,公衆衛生学修士。1998年三重大学医学部卒業。名古屋大学大学院医学系研究科で博士号を取得。その後ドイツとイギリスで産婦人科及び総合診療を学び、2010年、ハーバード公衆衛生大学院にて公衆衛生学修士号を取得した後,安倍フェローシップを得て同大学のリサーチフェローとなり政策研究に取り組む。2011年の東日本大震災では産婦人科医として妊産婦や新生児の救護に携わる傍ら,災害時の母子保健整備の必要性を感じ,人財育成,政策研究やガイドラインの作成に関わるなど、母子保健レベルの向上に尽力。2018年より現職。著書に、『「時間がない」から、なんでもできる!』(サンマーク出版)、『「つらいのに頼れない」が消える本――受援力を身につける』(株式会社あさ出版)ほか多数。
──編集部・井口景子
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