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コラム
ニューズウィーク日本版編集部 From the Newsroom
メディアは本当に「第四の権力」なのか
なぜ日本メディアは「安全デマを垂れ流している」「原発報道で腰が引けている」という罵声を浴びているのか。その原因はよく言われる「東京電力が投じてきた巨額の広告費」の呪縛ゆえではない――そんな記事を本誌今週号の特集「検証3.11」の中で書いた。
詳しくは記事を読んでいただきたいが、その取材と執筆の過程で自分がかつて向き合い、「格闘」した大事なテーマと再会した。本誌の記事で書ききれなかった部分もあるので、改めてここで触れてみたい。そのテーマとは「メディアと権力の距離感」だ。
筆者は91年から01年まである全国紙で記者をしていた。志望動機はほかの記者と大差ない。「権力のチェック機関」で「社会的弱者を救う」記事を書きたいというよく言えば純粋な、悪くいえばかなり青臭い思いだ。だが実際に支局で記者として働き出してまもなく、その仕事がどうやら自分の思い描いていたものとは少し違う、ということに気付かされる。
新聞記者にとって、何より優先されるのは特ダネを書くことで、それ以外の記事を書いてもそれほど評価はされない。しかもその特ダネは警察・検察を筆頭とする行政機関の非公開内部情報であればあるほど高く評価される。いわゆる「街ダネ」のすぐれた記事も歓迎はされるが、何と言っても求められるのは行政情報を事前に報じる「前打ち」記事だ。
その結果、特に所轄警察署を担当する1、2年目のサツ回り記者たちは自然と警察官の取材に熱を上げることになる。非公開の捜査情報を握る警察官に食い込むうえで、彼らに嫌われるのは基本的にご法度だ。警察官に限らず、新聞記者が行政機関の取材に重きを置いているのはそこに情報が集約されているからだが、特ダネ競争に熱中するあまり、多くの記者は次第に「社会的弱者」のことも「権力のチェック機関」としての役割も忘れていく。
言い尽くされてきた議論だ、と思うかもしれない。確かにサツ回り取材に由来するメディアと権力の癒着構造は、これまでさんざん批判されてきた。それでも新聞やテレビへの罵声が消えないのはなぜか。それは、記者の側にほとんど自覚がないことに原因がある。
あえていえば既存メディアは市民でなく権力の側に立っている。たまに権力の腐敗をスクープで糾弾しても、それはむしろ「ガス抜き」的でしかなく、構造的にメディアと権力はかなりの部分で一体化している。そして市民はそのことに気付いている。
ところがほとんどのメディアの人々は既に本質的にそうでないのに、自分たちのことを未だに「弱者の味方」で「権力のチェック機関」だと思い込んでいる。もちろん、記者は権力機関の不正にも目を光らせている。取材とは究極のところ、人間対人間のぶつかりあいだから、必ずしも権力に媚びを売る記者だけが特ダネを独占するわけでもない。
だが記者の全体の仕事量から見れば、重きを置かれるのは批判精神ではなく「前打ち」記事を書く能力だ。構造的には権力寄りなのに、記者個人の意識としてはあくまで「市民の味方」だから、いつまでたっても自分たちへの批判を理解できず、逆に市民の不満に不満の矛先を向け返し、その結果お互いの不信感が深まる悪循環を招いている。
「自分は警察・検察記者でないし今も弱者の味方だ」という記者もいるだろう。警察官はその職業的特性から敵味方を敏感にかぎ分ける能力に長けている人たちだが、筆者はその自宅に夜訪れる「夜回り」取材の最中、警察官から自分の娘を結婚相手として紹介されかけたことがある。実際、警察官の娘と記者が結婚するケースもある。警察官が記者を自分の家族に受け入れるという事実が、既存メディアと権力の距離感を如実に物語っている。組織の本質がそもそも権力寄りであれば、「自分は違う」という記者の存在も異端でしかありえない。
弱者の味方を装う10年間の「仮面生活」に破綻したのが、つまるところ筆者が新聞記者をやめた原因だったと、今になって思う。行きたい部署ややりたい仕事もあったから何とか我慢していい「警察記者」になろうとしたが、結局はなり切れなかった。
今回の原発報道に対する批判も、結局のところは市民の味方のようでありながら、本心は権力を向くメディアへの不信感がその根底にある。いわゆる記者クラブ問題も一見形式的に過ぎないように見えるが、その本質はメディアの権力依存にある。少なくとも市民の側はそれに気付いている。だから「記者クラブ批判本」は消費され続ける。
権力をチェックする権力、という意味でメディアは「第四の権力」と呼ばれる。だが、実はその矛先が市民を向いた本当の意味での「四つ目の権力」なのではないか――元新聞記者として、この仮説が間違いであることを心の底から望んでいる。
――編集部・長岡義博(nagaoka1969)
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