コラム

魔法の薬の「実験体」にされた子供たち...今も解決しない英「薬害エイズ事件」、なぜ日本と差がついた?

2024年05月21日(火)16時29分

面子を保ち、経費を節約するため多くの真実が隠蔽された

しかしウイルスを不活化する加熱処理は施されていなかった。濃縮凝固因子製剤を投与される人や、子供の場合は両親に医師から非加熱製剤の感染リスクが伝えられることはなかった。医師のアドバイスの重点は濃縮凝固因子製剤の有益性に置かれた。

母親の1人は「投与に内在するいかなるリスクも知らされなかった。娘は『ちょっと刺すだけでよくなる』と書かれたミッフィー(ウサギの女の子のキャラクター。日本では、うさこちゃんの名で知られる)のような絵本を見つけたと話していたのを覚えている」と証言している。

最終報告書を受け、英下院でリシ・スナク首相は「わが国にとって恥ずべき日だ。本日の報告書は私たちの国民生活の中心における数十年にわたる道徳的失敗を示している。NHS、官僚、歴代政府の閣僚まで。被害者を研究対象にすることさえ許した」と謝罪した。

最終報告書をまとめたブライアン・ラングスタッフ卿は「隠蔽工作はあった。一握りの人間が組織的な陰謀を企て誤解を招いたという意味ではなく、もっと微妙で、広範で、冷ややかな意味合いを持っていた」という。面子を保ち、経費を節約するため、多くの真実が隠蔽された。

日本と英国の差はどこから来るのか

英紙の報道では被害者への補償は100億ポンド(約3兆円)にのぼると推定される。スナク首相の謝罪は虚しく響く。被害救済が遅々として進まないのは、富士通がポストオフィスに納入した勘定系システムの欠陥で民間委託郵便局長ら736人が冤罪に陥れられた事件と同じである。

日本でも厚生省が承認した非加熱製剤にHIVが混入していたため、80年代前半に血友病患者の3割に当たる約1400人がHIVに感染した。検察の捜査が入り、96年には民事訴訟で被告企業が責任を全面的に認め和解が成立している。日本と英国の差はどこから来るのか。

階級社会が残る英国では司法は弱者のために機能しない。高額報酬の優秀な弁護士を雇える企業や富裕層が法廷では圧倒的に有利だ。弱者は泣き寝入りするしかない。かつて「揺りかごから墓場まで」の福祉国家モデルとして称賛されたNHSは神でもあり、悪魔でもある。

被害者の1人は「国民に対する国家の最もひどい職務怠慢だ。政府は私たちを致命的な感染症にかかりやすくした。私たちはウイルスとの闘いだけでなく、政府との闘いも繰り広げてきた。意味のない謝罪にはうんざりだ。何を言ったかではなく、何をしたかが問題だ」という。

英国は日常生活でも政治でも公然とウソがまかり通る。正直者は損をする社会だから、自分の非は絶対に認めない。非を認めたら最後、解雇されたり、賠償を求められたりする。しかし司法の機能不全と「否定の文化」は間違いなく英国社会を衰退させている。

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プロフィール

木村正人

在ロンドン国際ジャーナリスト
元産経新聞ロンドン支局長。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『欧州 絶望の現場を歩く―広がるBrexitの衝撃』(ウェッジ)、『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。
masakimu50@gmail.com
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