コラム

盗聴よりひどい英大衆紙の実態

2011年07月10日(日)23時18分

 先週、メディア王ルパート・マードックの保有する英メディア大手ニューズ・インターナショナルが、傘下のニューズ・オブ・ザ・ワールドを廃刊すると発表し、大きな衝撃が走った。ニューズ・オブ・ザ・ワールドは168年の歴史をもつ老舗の大衆紙で、これまでも安定した利益を挙げていた。

 ところが同紙は、盗聴疑惑によって非難の嵐にさらされるようになった。同紙はこれまで、殺人事件やイラクやアフガニスタンで亡くなった兵士、2005年のロンドン同時多発テロの犠牲者など、事件の被害者の身内の携帯電話から、留守番電話のメッセージを盗聴したとされている(政治家や有名人の留守番電話も盗聴していた)。

 読者と広告主からボイコットされて経営が立ち行かなくなることは目に見えている。同社は人々の激しい怒りを封じ込めるために廃刊を決断したようだ。

 彼らのやったことには嫌悪感を覚えたが、正直言って驚きはしなかった。イギリスの新聞、とりわけニューズ・オブ・ザ・ワールドのような大衆紙はいつも、むごい事件が起きれば執拗なまでに追い回してきた。被害者の家族の悲しみを格好のネタにし、プライバシーを土足で踏みにじる。

 硬派で通っているイギリスの新聞で東京特派員をしていた僕でさえ、それに似た経験をしたことがあった。たとえば、ルーシー・ブラックマンの殺害事件で、この事件の後に被害者の両親が不仲になったことについて日曜版のサンデー・テレグラフ用に記事を書いてくれと言われたことがある。

 愛する人が殺されたら、残された人々は悲しみを共有することで絆を深めるものだと、僕らは思いたい。だが悲しいことに、心理的な苦痛が絶え難いほど大きいため、残された人たちの関係も崩れてしまう場合が多い。わが子を殺された後、残された両親が離婚に至ることは珍しくないし、被害者の家族が自殺するケースは恐ろしいほど多い。

■被害者の写真をくすねることも

 仁義なきシェア争いを繰り広げるイギリスの新聞にとって、こうしたストーリーは読者ののぞき趣味を刺激するおいしいネタだ。ルーシー・ブラックマンが消息を絶った後、大衆紙はこぞって六本木のホステスの軽薄な生活ぶりを、ひどく誇張したトーンであげつらった記事を載せた。

 大見出しを飾るような事件被害者にだけはなりたくないものだと、僕の同僚は言っていた。ひどい事件に追い討ちをかけられるように、私生活までさらしものにされてしまうのだから。

 殺人事件の報道で大衆紙の記者がどんな取材をするか、微に入り細にわたって書かれたある文章を読んだことがあるが、忘れられないほど衝撃的だった。

 被害者の写真は紙面に欠かせない。そこで、合法的に入手できなければ被害者の自宅からくすねてでも手に入れるという(イギリスの家庭では、家族の写真を写真立てに入れて窓辺に飾る習慣があるので、開いている窓から盗むらしい)。

 さらに驚くのは、被害者の家族と最初に接触し、話を聞くことに成功したら、それを「独占記事」にするための裏技があるというのだ。家族から涙を誘うようなエピソードを聞き出して取材を終えたら、帰る間際にわざと被害者を辱めるような暴言を吐く。そうすれば、家族はその後に来る他紙の取材にはいっさい協力せず、コメントもしなくなる、というわけだ。

 僕の知り合いの記者には、そこまで卑劣な手を使う者はいないと思う。しかし、どの新聞も犯罪がらみの話題に飢えているから、平気ででっち上げの記事を書き、真実かどうかなど気にも留めない記者たちがいるという話は耳にする。

 僕自身も、リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件で最初の記事を本社に送ったとき、被害者が容疑者と付き合っていたかのように、危うくデスクに書き直されそうになった(デスクは、被害者が事件以前に容疑者に数回会っていたという根拠薄弱で不正確な報道にもとづいて記事を書き直そうとしたのだ)。

 犯罪被害者の留守電メッセージを盗聴することは違法で、醜悪だ。けれどもイギリスの大衆紙の伝統的な報道姿勢を考えれば、「ショックを受ける」ほどのことではないだろう。

プロフィール

コリン・ジョイス

フリージャーナリスト。1970年、イギリス生まれ。92年に来日し、神戸と東京で暮らす。ニューズウィーク日本版記者、英デイリー・テレグラフ紙東京支局長を経て、フリーに。日本、ニューヨークでの滞在を経て2010年、16年ぶりに故郷イングランドに帰国。フリーランスのジャーナリストとしてイングランドのエセックスを拠点に活動する。ビールとサッカーをこよなく愛す。著書に『「ニッポン社会」入門――英国人記者の抱腹レポート』(NHK生活人新書)、『新「ニッポン社会」入門--英国人、日本で再び発見する』(三賢社)、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉』(NHK出版新書)、『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(三賢社)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ米大統領、日韓などアジア歴訪 中国と「ディ

ビジネス

ムーディーズ、フランスの見通し「ネガティブ」に修正

ワールド

米国、コロンビア大統領に制裁 麻薬対策せずと非難

ワールド

再送-タイのシリキット王太后が93歳で死去、王室に
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:脳寿命を延ばす20の習慣
特集:脳寿命を延ばす20の習慣
2025年10月28日号(10/21発売)

高齢者医療専門家の和田秀樹医師が説く――脳の健康を保ち、認知症を予防する日々の行動と心がけ

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    超大物俳優、地下鉄移動も「完璧な溶け込み具合」...装いの「ある点」めぐってネット騒然
  • 2
    中国レアアース輸出規制強化...代替調達先に浮上した国は?
  • 3
    「宇宙人の乗り物」が太陽系内に...? Xデーは10月29日、ハーバード大教授「休暇はXデーの前に」
  • 4
    シンガポール、南シナ海の防衛強化へ自国建造の多任…
  • 5
    為替は先が読みにくい?「ドル以外」に目を向けると…
  • 6
    「信じられない...」レストランで泣いている女性の元…
  • 7
    ハーバードで白熱する楽天の社内公用語英語化をめぐ…
  • 8
    「ママ、ママ...」泣き叫ぶ子供たち、ウクライナの幼…
  • 9
    報じられなかった中国人の「美談」
  • 10
    【ムカつく、落ち込む】感情に振り回されず、気楽に…
  • 1
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 2
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号返上を表明」も消えない生々しすぎる「罪状」
  • 3
    今年、記録的な数の「中国の飲食店」が進出した国
  • 4
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
  • 5
    超大物俳優、地下鉄移動も「完璧な溶け込み具合」...…
  • 6
    【クイズ】1位は「蚊」...世界で「2番目に」人間を殺…
  • 7
    報じられなかった中国人の「美談」
  • 8
    【2025年最新版】世界航空戦力TOP3...アメリカ・ロシ…
  • 9
    中国レアアース輸出規制強化...代替調達先に浮上した…
  • 10
    本当は「不健康な朝食」だった...専門家が警告する「…
  • 1
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になりやすい人」が持ち歩く5つのアイテム
  • 2
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 3
    「大谷翔平の唯一の欠点は...」ドジャース・ロバーツ監督が明かすプレーオフ戦略、監督の意外な「日本的な一面」とは?
  • 4
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 5
    増加する「子どもを外注」する親たち...ネオ・ネグレ…
  • 6
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
  • 7
    バフェット指数が異常値──アメリカ株に「数世代で最…
  • 8
    「日本の高齢化率は世界2位」→ダントツの1位は超意外…
  • 9
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
  • 10
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story